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    下町小劇場・芳流

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    大昔に個人サイトに載せていた俺屍小説の序章。
    2002.10執筆………(古)。

    #俺の屍を越えてゆけ
    goBeyondMyCorpse.

    鬼鏡 序あきらけき鏡にあへば過ぎにしも
         今ゆく末のことも見えけり/繁樹     


     近頃、鳥辺野の地に鬼が出るという。
     急に向けられた話題に、私は目の前の治部卿に間の抜けた声で言葉を返した。
    「はあ・・・左様でございますか。」
    「知らぬはずはなかろう。このところ、京(みやこ)はこの話でもちきりじゃ。」 
     もちろん、世事に疎い私とて、世間を騒がすこの話を知らないはずはない。しかし、根拠のない噂であればいずれ消えると思い、知らぬふりを通していたのだ。百年前ならいざ知らず、魍魎(ばけもの)退治はごめんである。だが、私の希望を裏切り、京人(みやこびと)の間でそれとなく立ち上っていたこの話は、ついには御所の上でまで聞き及ぶに至っていた。
     治部卿は私の心情に気付きもせず話を続けた。
    「かの鬼は若い娘というではないか。いかなる迷い事があり鬼と成り果てたのか、苦悩か悲恋か、気になるのう。そうは思わぬか?」
    「ええ・・・まあ。」
     私はうんざりしながらも、曖昧に相槌を打った。何と言っても相手は治部卿。直接の上司ではないとはいえ、いい加減に相手をするわけにはいかない。ふとその時、右から左に話を聞き流す私の耳に、聞き覚えのある声が届いた。
    「なるほど・・・鳥辺野の鬼ですか。」
    「おお、これは別当殿。」
     私の上司である検非違使別当、参議、中納言殿が我々の姿を見かけ歩み寄ってきた。平氏一門の末席に連なる彼は、武家でありながらどこか貴族然とした佇まいを感じさせる。
    「ずいぶんと噂になっているようですね。火のないところに煙は立たずと申しますが、故のない噂であればいずれ消えると思いましたが・・・。」
     別当殿は、私と同じ考えを口にした。消えるどころか、近頃話が大きく広まっているのが気になるようである。別当殿は言葉を続けた。
    「京の治安を預かるのは、我ら検非違使庁の務め。京外(みやこはずれ)の鳥辺野とて無視することは出来ませんね。そうでしょう、佐(すけ)殿。」
     言葉を向けられ、私は肯くしかなかった。理路整然とした別当殿の言葉に隙はなかった。
    「・・・左様でございます。」
     私の返事に気を良くしたのか、別当殿はにっこりと微笑んだ。
    「では、佐殿。ここはひとつ鳥辺野に出向いてはいただけませんか?不安を取り除くのも、我々の勤めです。」
    「・・・承知。」
     別当殿にこう言われては、無視することもかなわない。京の治安を預かる身として、事の真相を確かめるべく、私は鳥辺野の地へ馬を走らせた。

     
     鳥辺野は、京の葬送地のひとつである。
     死の穢(けが)れを嫌うこの京にあって、死者をいつまでも身近に置いておくことは、穢れが移ることに他ならない。鳥辺野には、いつ立てられたのか定かでないような古ぼけた墓標がいくつも並んでいた。いや、墓標ばかりではない。わざわざ埋葬してもらえるのは、幸運な者だけである。埋められることもなく、風雨に晒され続けた乾いた髑髏がいくつも無造作に転がっていた。
     私は寒気を覚えた。このようなところに長居をしては、穢れが移る。そうなっては参内も出来なくなる。鬼がいるなら早く出て来い。私は打ち捨てられた骨を蹴飛ばしながら草の間を分け入った。
     頭上では、茜色の陽が、名残惜しげに山の稜線を染め上げている。逢魔が刻と呼ばれるこのとき。魍魎(ばけもの)が出るというのならば、いまをおいて他はない。
     しかし、鬼はおろか、動くものの影すらない。
     私は大きくため息をついた。ここまできたら腹をくくるしかない。穢れも仕方あるまい。私は、墓石を避け、自然に置かれたものであろう石の上に軽く腰を下ろした。
     目線が下がれば、目に映る景色も自然と異なる。私はふうっと天を仰いだ。龍田川のように鮮やかな紅葉色に染まる空が広がり、山々が薄墨色の影を長く伸ばしている。目障りな骨も墓標も視界に入らない。頬を撫でる風は心地よく、足元の下草がさわさわと葉ずれの音を奏でていた。
    「ほう・・・美しいものだな・・・。」
     私は感嘆の声を漏らした。誰も聞き咎めるものはなかった。
     そのはずだった。
     刹那、私の言葉を合図にしたかのように、風の中から若い女の歌声が響いてきた。
     私は、全身から汗が噴出すのを感じた。
     鳥辺野の鬼は、若い女であるという。これがそうか。私は腰のものに手をやり、注意深く立ち上がった。
     私は、歌に導かれ足を進めた。近づいてみると、それは鼻歌のようである。呑気な鬼もいたものだ。しかし、その陽気さが逆に空恐ろしい。私は、己を鼓舞するように柄を握る手に力を込めた。
    「さっ、綺麗になりましたよ、櫻(さくら)さま!」
    「そこの女、何者だっ!」
     女の声と、私の声が重なった。
     若い女は、私の誰何(すいか)にゆっくりと振り返った。栗毛の髪が、ふわりと揺れた。
     女は、私を認めるとしばし驚きに目を見開いていた。しかし、すぐに笑顔を浮かべ軽く頭を下げた。警戒心も何もなさそうな無防備な笑顔だった。
    「ああっ、お侍さまですか?見回りご苦労様です。このあたりは鬼が出るって言いますからぁ、お気をつけてくださいねっ!」
     その鬼がお前ではないのか。
     しかし、若い女の鬼とかけ離れた雰囲気に圧倒され、私は言葉を失った。豊かな栗毛の髪は若々しく、耳元に飾られた薄桃の花が良く映えていた。身に纏うのは、鮮やかな紅の単(ひとえ)。 京でも人気のありそうな色と柄である。そして、琥珀の大きな瞳にあるのは人懐っこい笑顔。想像していたものとはかけ離れていた。 
     私は、少々毒気を抜かれた気分だった。この娘相手に気負うのも馬鹿馬鹿しく、私は町娘に話しかけるのと同じ声色で彼女に尋ねた。
    「ああ、私は検非違使(けびいしの)佐(すけ)。近頃このあたりは物騒だと申し出があってな。お前、ここで何をしている?」
     私の問いに、女は当たり前のことのように笑顔で答えた。
    「お墓掃除です。」
    「は・・・?」
     私は唖然とした。墓掃除など、聞いたことがない。
     死は穢れ。その穢れに最も近い墓に好んで寄る者など、誰がいるのか。死者を弔うのならば、寺に参るのが普通なのだ。
     しかし、言葉の通り、彼女の足元には古い苔の生(む)した大きな石がいくつも転がっていた。おそらく、それが墓石なのだろう。見るからに長い時を経てきたと思われる。だがそのいくつかは、古さこそ感じるものの汚れもなく磨き上げられていた。
    「誰の墓なのだ?」
    「はいっ、イツ花(いつか)のお仕えいたしました方々のお墓です。」
     イツ花、とは彼女の名なのだろう。しかし主人が複数いるとはどういうことなのだろうか。見渡すと、彼女の周りにはざっと五十ばかりの墓石が並んでいる。よもや、全て主であるはずがない。しかし、その女、イツ花は、私の期待を裏切り、話を続けた。
    「もう大変なんですよ。五十六人もいらっしゃるから。でもやっぱり綺麗にして差し上げたいじゃないですか。」
     五十六人?
     あまりの数の多さに、私は混乱した。主の一族全員を指しているのだろうか。
     それに気付いているのかいないのか、イツ花と名乗る女は一つ一つの墓石を私に示した。
    「これが二十一代目御当主の明梨(あかり)さま。女の方だったんですけどぉ、すっごくお強かったんです!何しろ、あの朱点童子を倒されちゃったんですから!」
    「こっちは二十二代目の御当主でした洸介(こうすけ)さま。別当にまでなられたすごいお方だったんですよ。」
    「七代目の瑞貴(みずき)さまは・・・い、いえなんでもないです。ちょっと照れちゃいます。」
    「で・・・こちらが初代の櫻さま。お小さいときから、イツ花がずっとお仕えして来ました。お優しい方でした・・・。」
     二十二代もの世代を経るには、並々ならぬ年月がかかるはずである。しかし、いずれの者も良く知っていると言わんばかりの口調であった。私はますます混乱した。
     朱点童子?
     確かに、その名に聞き覚えはある。しかし、あれは祖父の時代に都を荒らしまわっていたという伝説の鬼ではないか。それを倒しただと?
     私はいつの間にか、物語の世界に迷い込んだような気に襲われていた。
    「ああ、そういえばお侍さまも検非違使の方でしたよね。ご存知ありませんか?九条洸介さま。検非違使別当をされた方です。」
    「九条洸介・・・?」
     私は背筋を凍らせた。
     別当九条洸介。それは後一条帝の御代の男の名である。物語上の人物ではない。検非違使庁歴代の記録の中で目にした、紛れもない実在人物。だが、もう百年も昔の話である。
     私は身構えた。右手を再び腰にかけた。
     柔和な外見に騙されるところだった。だが、もう見聞きした者もいなくなるほど遠い年月の昔を知るなど、人間ではない。
     この女、年をとっていない・・・!
    「貴様、やはり鬼かっ!」
     しかし、この娘はきょとんとしたまま大きな目をしばたかせた。再びあの人懐こい笑顔を浮かべ、困ったように両手を振った。
    「大丈夫ですよぉ、取って食べたりしませんから。イツ花、あっちの方からきたので、ちょっと変わってるんです。」
     そう言って、頭上を示した。指差す先に広がるのは、茜色の天。天上に広がるのは、我々の知らない極楽ではないか。
    「・・・あの世からの使いか・・・?」
    「そんなすごいもんじゃありませんよぉ。お掃除に来ただけなんです。」
     そうしてまた、あの笑顔で微笑んだ。この無防備の娘を切り捨てるのは、ずいぶん非道のことのように思えた。私は、様子を伺うことにした。
    「・・・いつから掃除をしている。」
    「えっとお・・・一ヶ月くらい前でしょうか。」
     確かに、鳥辺野の鬼が噂になりだしたのもそのくらいからだ。
    「・・・ずいぶんかかっているな。」
    「えへへ。イツ花、お掃除苦手なんです。」
    「その苦手な墓掃除に、どうしてそこまで勤しむ?」
    「だって、綺麗にして差し上げたいじゃないですか。折角、イツ花がこの方々を覚えているんですから。」
     そこには、京人が嫌う穢れへの恐れは微塵もなかった。ただ、故人を愛しみ懐かしむ心だけがある。私は、図らずも、胸の内が熱くなるのを感じていた。
    「・・・京では、鳥辺野の鬼が噂になっている。掃除を済ませるのなら、早く終わらせた方が良い。」
    「あ、ありがとうございます」
     イツ花は、感極まった笑顔を浮かべた。
     そうしてまた、呑気に鼻歌を歌いながら地面にしゃがみこんだ。手にした雑巾で、一つ一つ丁寧に墓石を磨き上げていた。
     手持ち無沙汰になった私は、することもなく手近なところに腰を下ろした。帰ってもよさそうなものだが、このまま放置していては、他の者に始末されかねない。それは少々気の毒だった。
     低くなった私の視界の隅で、イツ花の後ろ髪が揺れていた。
    「お侍さま?」
    「何だ。」
    「折角ですから、少しお話しませんか?」
    「話?」
    「はい。お侍さまは色々ものを知っておられる方のようですけど、その時々にいないと解らないことってあるじゃないですか。」
    「・・・歴史には、必ず裏があるというからな。お前たちもそういう存在なのか?」
    「はい。櫻さまは特に、『鬼娘』と呼ばれてご苦労されました。」
    「お前も、お前の主人たちも、影の存在だったということか。」
    「さっすがお侍さま。話がお早いですね。」
     この娘、人を乗せるのが上手い。こう言われて悪い気はしない。私は、苦笑交じりに肯いた。
    「わかった、聞こう。」
    「はいっ。」
     そうして、イツ花は語り始めた。長い長い、彼女の記憶を辿る旅。それは、影の歴史を紐解くことだった。
    「今は昔、後一条帝の御代のことでありました。朱雀大路に、少しばかり変わったお子様がおられましたのです。」
     私が、検非違使でありながら、鬼と呼ばれた一族の語り部となる、これがその始まりの時だった。
     この語りを、古人の例に習い『鬼鏡』とする。
     

    あきらけき鏡にあへば過ぎにしも
         今ゆく末のことも見えけり/繁樹

     明るく澄んだ鏡に向かうように、歴史に明るい貴方のお話を伺いますと、過ぎ去った昔のこともこれから後のことも、はっきり映って見えることです―歴史の真実が見えることだ

    すべらぎのあともつぎつぎかくれなく
         あらたに見ゆる古鏡かも/世継

     歴代の天皇の御事跡も次々と順を追って、隠れなく、新しく映し出し、歴史の真実を示す古鏡であることよ
    (日本古典文学全集『大鏡』/小学館より)
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