きみに触れたい、だけ「暦は、菓子をよく食べる方か?」
突然愛之介に呼び出されて、何ごとかとホテルにやってくると、開口一番にそう聞かれた。暦は意図を図り兼ねて、首を傾げながら答える。
「まぁ、それなりに?」
「そうか」
「でも、なんで?」
「いや、後援会の会長から差し入れをもらったんだが……」
珍しくはっきりしない物言いの愛之介に、ふうんと相槌を打つ。一体何をもらったのか分からないが、珍しいものを見たなと得をした気分になる。
「これだ」
ひょい、と手品の様に取り出されたのは、誰もが一度は食べた事のある赤いパッケージのチョコレート菓子だ。
「あぁ、これ。美味いよなー」
「そうか、なら持ち帰ってくれると助かる。ご家族や友人にも配ってもらって構わないから」
「は?」
ぱちり、と愛之介が指を鳴らすと、何処からともなく台車を押した忠が現れた。台車には、段ボール箱が三つほど乗っている。
「……もしかして、これ全部」
「そうだ」
これでも、事務所のスタッフや近隣のお宅にも配ったんだ。とため息交じりに言われて、呼ばれた理由を完全に理解した。
愛之介が手のひらをひらりと振ると、台車を残して忠が静かに退室していく。その背中を見送りながら、カレンダーを思い浮かべて納得した。
「そういえば、もうすぐだもんなぁ、ポッキーの日」
「そんな日があるのか」
「知らねぇの?結構有名だと思うけど」
「企業戦略の一環か?」
「まぁ、多分。ほら、11月11日って、形が似てるだろ?」
「……あぁ」
パッケージを眺めて納得した様子の愛之介を見て、そもそも食べた事があるのだろうかと言う疑問が湧く。
「愛之介、食べた?」
「……いや、まだだな」
これがノルマだ、と手に持った箱を振るが、未開封のままだ。
「食べねぇの?」
「……そうだな」
こういった菓子は気が乗らないのか、パッケージを眺めているだけの愛之介の手からひょいと箱を取ると、ぱかりと開ける。
「おい」
現れた銀色の袋を破いて、取り出した一本を、ほい、と愛之介の目の前に差し出す。
「結構美味いよ?」
「……ん」
手に取るかと思いきや、何を思ったのか愛之介がそのままぱくりと齧りついた。予想外の事に驚くが、ぽきりと齧って口を動かしている様が珍しくて、ついそのまま眺めてしまう。
「……美味い?」
しっかりと飲み込んでから、あぁ、と頷いた愛之介に、そりゃ良かったと笑う。あ、とまた口を開くので、残りを口に運んでやる。
――なんかこう、餌付けしてるっぽい。
聞かれたら怒りそうな事を考えながら、一本食べきるまでそれを繰り返す。黙ってもぐもぐと口を動かしているのを見て、自分も食べようと新しく一本を取り出して口に運ぶ。
舌に触れたチョコレートの甘さに、そうそうこんな感じだった、と味わっていると、ぐいと手を引かれる。何かと見れば、暦が食べていた残りを愛之介が口に含んでいた。
「あっ、それ俺の分!」
「元は僕のものだ」
「じゃあ、自分で食えば良いだろ?」
ぺろりと食べきって、あっさりと言い返してくる愛之介に、なんだかなぁと思いながら箱を差し出す。が、愛之介が自分で取る気配はない。
「……えー」
ただ無言で暦を見つめてくる愛之介に、もしやと新しく一本を取り出して差し出すと、満足気に口を開ける。
それを何本か繰り返して、だんだん妹たちを相手にしているような気分になってきた頃。ふと、クラスメイト達の会話を思い出した。
「そういえば、ポッキーゲームって知ってる?」
「ポッキーゲーム?どういうものだ?」
新しく出したポッキーを指揮棒のように振りながら、クラスメイトの説明を思い出す。
「ええっと、二人でするゲームで、ポッキーの端と端をお互いに咥えて、ちょっとずつ食べ進めていって、先に折っちゃった方が負け?」
「それは、何が楽しいんだ?」
「なんか、ドキドキを楽しむとかなんとか」
「ふうん」
眉を寄せて、全く分からないと首を傾げた愛之介だったが、まぁいいと暦の持っていたポッキーを奪うと、チョコの側を暦に咥えさせた。
「んっ!?」
「試すのが一番、だな」
にこりと笑って、反対側を咥えてくる。
反論しようとしたが、愛之介が、かり、と食べ始めたので、仕方なく咥えているポッキーに歯を立てた。
――ていうかこれ、近付いたらキスしちゃうやつ!?
じりじりと食べ進めながら、どんどん近付いてくる端正な顔に、嗅ぎなれた香水と微かな煙草の香りに、内心でパニックを起こす。
このまま折ってしまうべきなのか。けれど、愛之介が満足しなければもう一本繰り返すのは間違いない。
――ええい、なるようになれ!
無心で齧り続けていると、案の定、唇が柔らかいものに触れた。それと同時に、先ほどまで咥えていた菓子が無くなって、食べ終わったのだと気付く。終わったのならと慌てて身を離そうとしたところで腰に腕が回され、逃げられないようにホールドされた状態で、ぺろりと唇を舐められた。
「……っ」
驚いて目の前の愛之介を見ると、最後の一欠片も食べ終わったのか、口を開く。
「……楽しい、のか?」
よく分からないなと眉を寄せる愛之介に、内心、いつまでこの体勢のままなのかと思いながら暦も答える。
「俺に聞かれても」
「言い出したのは君だろう、暦」
「そうだけど……ていうか、近い」
至近距離で囁かれると、どうにも落ち着かない。肩を軽く押して離れるように促すが、聞いてくれるつもりは無いらしい。
「……近いって」
鼻先が触れる距離を維持したままの愛之介に、どうしたら良いか分からずに目を逸らす。
「思うに、これは僕たち向けではないな?」
「ソーデスカ……なぁ、近い」
「今更、照れる仲でもないだろう?」
ふ、と笑われ、その吐息が唇に触れて思わず息を吞んだ暦に、どうした?とチョコレートよりも甘い声で尋ねられて、ぐぅと唸る。
「……うっさい」
「相変わらず、語彙が少ないな」
くつくつ、と楽しそうに笑われるのは悔しいが、その通りなので言い返せない。けれど、このまま言い負かされるのは面白くない。
ぐ、と目の前の端正な顔を軽く睨むと、弧を描いている唇に、自らのそれを押し付ける。そのままちゅ、と軽く音を立てて離れると、べ、と舌を出してみせた。
「照れる仲、なんだよ!」
緩んだ腕から抜け出して、ソファから立ち上がる。帰る、とリュックを手にすると、ふうん、と愛之介が楽しそうな声をあげた。
「……なるほど。つまり、今、照れていると」
「〜〜っ!?」
図星を指され、反射的に振り向いたものの返す言葉もない暦に、愛之介はへぇと笑う。
「なら、君はこのゲームを楽しめた、という事かな?」
じわじわと追い詰められていくのを感じながら、思わず後ずさると、愛之介が立ち上がり、長い足であっという間に距離を縮めてしまう。
「けれど、僕には少し物足りなくてね」
――分かるだろう?
頰を撫でられて、思わず体を震わせた隙にリュックを奪われる。どこか熱っぽく艶のある視線に気付きたくなくて視線を泳がせると、空いた手を取られて引き寄せられ、まるでダンスのようにくるりとターンさせられる。バランスを崩しかけた隙に足を払われて、背中から落ちた先はシーツの海だった。
「君は、すぐに分からないフリをしようとする」
「……わかんねーもん」
覆い被さって、暦の目を覗き込んでくる愛之介から逃げるように顔を背ける。愛之介が何を考えているかなんて、分かるわけがない。
「……まぁ、いい」
大きな手のひらが、ゆるりと首筋を辿って鎖骨を撫でる。それだけで、自分とは違う体温を感じて、肌がざわりと騒ぐ。
「分かるまで、じっくり、何度でも、教えてやる」
出来の悪い子供に言い聞かせるように、ゆっくり告げる愛之介に、背筋を走ったのは恐怖か期待か。
思わずバンダナをずり下ろそうとした手を止められ、逆に外されてしまった。ちゃんと見ろと言いたげな紅と目が合って、息を呑む。
「……覚悟しておけ?」
「……やだ」
いつの間にか両手を押さえつけられて、完全に身動きが出来ないようにされて、けれど、素直に頷くのは嫌で、つい子供のような振る舞いをしてしまう。
「全く。仕方のないやつだな、君は」
宥めるように額にキスをされて、チラリと愛之介を見上げると、熱で溶け始めた紅と目が合った。
「まぁ、君の覚悟なんて、関係ないんだけど、ね」
指を絡めるように繋ぎ直されて、唇を塞がれて、お互いの唇に残ったチョコの甘さを感じながら、それよりずっと甘くてタチの悪い物に溺れさせられる予感に、暦は微かに体を震わせたのだった。
完