隠し味は、もちろん決まってる「あ、そうだ。誕生日プレゼント何が良い?」
年下の恋人を自宅に招き、良い雰囲気に持ち込んでいざ、というタイミングで突然言われた言葉に、虎次郎はがくりと脱力した。
洗濯したばかりのシーツに押し倒されて、先ほどまでキスの余韻でぼぅとしていたというのに、一体この少年は何を考えているのだろう。
このまま返事をせずに事を進めてしまうのも躊躇われて、仕方なく体を起こすと、気づかれない程度のため息を漏らしながら肩をすくめた。
「なんだ、急だなぁ?」
「……いや、思い出した時に言っとかないと、その……訳わかんなくなっちゃうから」
若干乱れたパーカーの裾を直しているのか弄っているのか、布地をやたらと引っ張りながらそういう暦に、へぇと余裕のある笑みを見せながら、脳内では焦らしプレイという言葉が浮かんだのを打ち消した。
「ジョーって、モテるし。色んなプレゼント貰うだろうし。でも、俺あんま予算ねぇからどうしよっかなって思ってさ」
「それで、直接聞いてきたと」
「そう」
頷く暦の素直さに、可愛いと声には出さずに噛み締めながら、顎をひとなでする。
「……成る程なぁ。なんでも良いのか?」
「お、俺に用意できる範囲なら?」
あっさりと言質を取れた事に心配になりながらも、恋人としては喜ばしい限りだ。
素直すぎて悪いオトナに騙されないように、ちゃんと指導しなくては。
「……じゃあ、俺のお願い聞いてくれるか?」
悪いオトナは、内心で悪い笑みを浮かべながら、素直で可愛い恋人にひとつの提案をしたのだった。
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「なぁ、マジですんの?」
数日後、再び虎次郎の家にやってきた暦は、渋々とキッチンに立ちながら振り返った。
「マジだな、楽しみにしてるぞ」
「……プロに料理作るとか、マジでやなんだけど」
「だからなんでも良いし、文句も言わないって言ってるだろ?」
にこやかに笑って、跳ねる赤毛をぐしゃりと撫でれば、やめろよーと嫌がってるようには聞こえない声が返ってくる。
うっかりこのまま可愛がりたくなるのを抑えて、頬を撫でてから離れるとキッチンチェアを引いてキッチンカウンター越しに暦を眺める体勢になる。
虎次郎の助けを期待できない事を察した暦が、僅かに眉を下げてから渋々冷蔵庫を開けた。
「言っとくけど、俺マジで上手くないからな?」
「だから、良いって言ってるだろ?」
食材は持ってきても良いし、虎次郎の家にあるものを使っても良いと言ってあったせいか、冷蔵庫から調味料をいくつか取り出して、持ってきたビニール袋から食材を取り出す。
「まな板はそこ、包丁はそっちの使って良いぞ」
「どこだよ……」
文句を言いながらも野菜を洗い、切り分ける手つきは思ったよりも手慣れていた。
慣れないキッチンで慣れない料理に苦戦している暦を頬杖をついて眺めながら、これは意外と良いかもしれないと抑えきれずに口元が緩んだ。
「どーぞ、召し上がれ」
しばらくして出てきたのは、ほかりと湯気の漂うナポリタンだった。ケチャップの赤にピーマンの鮮やかさが目に眩しい。ソーセージや玉ねぎと具材もシンプルで、いかにも家庭料理と言った出来だ。添えられた小さなサラダは、シンプルに野菜を切って持っているタイプだが、ナポリタンと合わせるならそのシンプルさがちょうど良い。
「いただきます」
フォークに少し硬めのめんを巻き付けて、口に運ぶ。麺の湯切りが不十分だったのか、僅かに水気の多い味わいと、しゃきしゃきとしたピーマンや玉ねぎの歯触り。ソーセージは少しばかり焦げているものもある。
「……うまい」
なのに、美味い。
料理人として、ダメ出しをしようと思えばいくらでも出来るだろう。けれど、そう言った理論や技術では語れないものを、虎次郎の舌は確かに美味さとして拾い上げたのだ。
「……気ぃつかわなくていいって」
「いや、これマジで美味いぞ」
フォークに大量に巻いた麺を大口を開けて頬張る虎次郎を複雑そうな表情で見ている暦には、お世辞だと思われているのかもしれない。
けれど、美味いのは事実なのだ。
これまで、それなりの数の人間と付き合ってきた。恋人と呼べる関係であったり、一晩限りの関係であったりもしたが、その誰にも虎次郎は料理を作って欲しいと頼んだ事がない。
自分が作ることが殆どだったというのもあるが、恋人と呼べるはずの人間が作った料理を美味いと感じた事が無いからだ。
不味くはない。けれど、美味くはない。
料理人として気になる部分が多く、それは虎次郎が口に出さなくても進まない箸に相手が察してしまう事も多かった。
家族の作った料理や、飲食店で供される食事を食べる分には問題なく美味いと思うのだから、これは一種の病気なのかもしれない。
そんな事を薫にぽろりと溢したら、憎まれ口と共に病院に叩き込まれ、あれこれと精密検査を受けたが問題は無かった。
精神的なものなのであれば、料理人として致命的ではない。まだ大丈夫だ。
そうして、恋人の料理を美味しく食べられない事を除けば問題のない生活だと割り切って過ごしていた。
暦に料理を頼んだのは、少しの気まぐれと、少しの願望だった。
いつもなら、なるべく後腐れのない相手を選んで付き合っている虎次郎が、年の差だとか割り切るとか後腐れとか、そんないつものあれこれを放り投げて望んだのが暦だ。
スケーターとして、相棒との差に心が挫けそうになりながらも戻ってきた、どこか危なっかしくて、でもきらきらとスケートを楽しむ、眩しい少年。
自分でも驚くくらいに夢中になってるのだと分かる、はじめての恋人。
そんな暦なら、もしかしたら。
でも、もしかしたら。
――心配する必要なんて、無かったんだな。
美味い、と噛み締めるように呟いて、サラダもナポリタンも綺麗に食べ終えると、顔を赤くした暦が何か言いたそうに虎次郎を見ている。
「……そんなに美味い?」
「ん、すげぇ美味かった」
さんきゅ、と言えば、への字だった暦の口元が緩む。きっと、緊張していたのだろう。
暦の口元に着いたケチャップを指で拭ってぺろりと舐めれば、赤かった顔がケチャップよりもずっと赤く、熟れたトマトのようになる。
「俺、料理とかあんましないし。かぁさんにアドバイスもらったんだ」
ふにゃりと緩んだ口が、不安だったと溢す。
それに興味を惹かれて続きを促すと、僅かに目を泳がせてから、そっと虎次郎と目を合わせた。
「一番の隠し味は、愛情だって」
今、この頰を齧ったら、さぞかし甘いのだろう。
「いや、クサいこと言ってるのは分かってるけど。でも、ジョーが美味いって食ってくれたらいいなって、そう思って作ったから」
だから、嬉しい。
照れ臭いのだろうか、恥ずかしいのだろうか。本当は気が進まないのだろうに、首まで赤く染めてそう言うのは、これを虎次郎がプレゼントとして求めたからだろうか。
じわじわと喉元まで込み上げてきた感情を無理矢理飲み込んで立ち上がると、虎次郎は可愛くて健気で愛おしい恋人を思い切り抱きしめたのだった。
完