書かずとも(忠暦) 今から会えないだろうか。そんなメッセージを受信したのは、夕食を食べ終えて自室に戻ってきたタイミングだった。
会う時は必ず前日までに予定を確認してくる律儀な恋人にしては珍しい突然の誘いに、首を傾げながらも大丈夫だと返信するとすぐに反応が返ってきた。
ここで待っていると自宅から一番近い公園を指定されて、ますます珍しいと思う。
こんな時間に一体なにがあったのだろうと思いながらも、部屋に置いてあるスニーカーとボードを手に窓からいつも通り抜け出すと、こっそりと公園に向かった。
「——急にすまなかった」
「全然だいじょーぶ」
ベンチと小さな遊具があるだけの小さな公園に入ってすぐ、奥のベンチに座っている忠を見つけて駆け寄る。
今日まで仕事で東京に行くと言っていた気がしたので、もしかすると帰ってきたばかりではないだろうか。
「仕事お疲れ」
「ああ」
隣に座ると、忠がペットボトルの炭酸飲料を差し出してきた。
どこかで買ってきたのだろう、僅かに雫を纏わせた五百ミリリットルのペットボトルを受け取りながら労えば、軽く頷きながら忠も手にした缶コーヒーのプルタブに指をかける。
金属の軽い音をたてて空いた飲み口から微かにコーヒーの香ばしい匂いがするのを感じながら、自分もペットボトルのフタを捻った。
静かに缶コーヒーに口を付けている忠の様子を横目で伺うが、その横顔はいつも通りに見える。
何を考えているかはわからないが、仕事で何かあったというわけでもなさそうだ。
「東京、どうだった?」
「そうだな……暑かった」
「こっちだってあっちーじゃん」
「暑さの種類が違う」
「へぇ、そういうもん?」
「ああ」
東京に行ったことのない暦にはピンとこないが、そういう違いもあるのかとペットボトルに口を付ける。
しゅわりとした炭酸を楽しみながらぽつぽつと他愛の無い話をする。こういう時間が、暦は好きだ。
とは言っても、普段なら通話でするような話をしているだけで、忠はわざわざ暦を呼び出した理由を口にしない。
聞いても良いのだろうか。
「ああ、そうだ」
悩んでいると、忠が暦とは反対側に置いていた小さめの紙袋を差し出す。反射的に受け取ると、満足そうにその目を細めた。
「土産だ」
紙袋を覗くと、中身は手のひらサイズの小ぶりな半円型の容器に入ったゼリーのようだった。夜空を思わせる青に乳白色のラインと、葉を思わせる緑色や長方形のピンク色のパーツが閉じ込められている。
こんな構図をどこかで見た気がする。どこだっただろうと思い返して、家の縁側に飾られた笹を思い出した。
「そう言えば、本土って今日が七夕だよな」
七月七日。
沖縄で古くからあるタナバタとは日にちも内容も違い、本土式の七夕では笹に願いごとを書いた短冊を結ぶらしい。
最近は沖縄でもこの催しは行われていて、近くの店やショッピングセンターでも笹が飾られていて誰でも短冊を吊るせるようになっているし、学校行事になっているところもあるらしい。
妹たちもそれぞれ体験したらしく、夕食での話題にも上っていた。
「そうだな。あちこちに笹が設置されていて、飾りも見事だった」
「ふぅん」
「君はしなかったのか?」
「何を?」
「願いごとだ」
そう言われて、家でも七夕をやりたいと言う妹たちの為に用意された小さめの笹と、折り紙を切って作った短冊のあまりを渡されて書いた願いごとを思い返す。
「もっとスケート上手くなりてぇって」
「……君らしいな」
「いーだろ、別に」
「七夕の願いごとは芸事の上達を願うものが良いらしいから、スケートもまぁ、近くは無いが遠くも無いだろう……多分」
「なんでそこで言い切らないんだよ」
唇を尖らせて抗議すると、忠がふっと息を漏らした。
「笑うなって」
肘で軽く小突くと、痛いとたいして痛くもなさそうな声が返ってきた。嘘つけと思いながらも、残りが半分ほどになったペットボトルをなんとなくいじる。
「そう言うアンタは? なんて書いたんだよ」
「いや、私は書いていない」
「は?」
予想外の答えに思わず忠を見ると、いつも通り落ち着いた色を浮かべた目と視線が絡んだ。
「願いは叶ったからな」
「は?」
「君に会えた」
「……え?」
言いながらスマートフォンで時間を確認した忠が立ち上がり、意味を理解できずに呆然としている暦の頭を優しく撫でた。
「遅い時間にすまなかった。また連絡する」
「え、あ、うん……?」
それじゃあとあっさり踵を返して公園を出て行く背中をぽかんと見送りながら、忠の言葉を思い返す。
「会えたって……」
まさか、それが願いごとだと言うのだろうか。
「……マジで?」
願いごとは芸事の上達を願う良いと言っておきながらどういうことなんだとか、珍しくこんな時間に会いたいと連絡してきたのはそういうことだったのかとか、言いたいことも聞きたいこともたくさんあるが、それよりも顔が熱くて仕方ない。
悔しい。もしも忠が本当に会いたいと思ってくれていたのだとしたら。それを嬉しいと思ってしまう自分が。
「チョロ過ぎだろ、おれぇ」
両手で顔を覆って空を仰ぐ。メッセージや通話でやり取りをしていても、会えるならその方が嬉しいに決まっている。
忠も同じように思ってくれているのなら、もっと嬉しい。
きっと忠には暦を喜ばせているつもりはないのだろうけれど。
「……あーもう、覚えてろよっ」
次に会う時は、絶対に忠を喜ばせてやる。そう心に決めて、暦は勢いよくベンチから立ち上がったのだった。
完