憧れと風船(導入部分) 物資補給のために停泊する予定の移動都市に、大規模な移動遊園地のキャラバンが滞在している──よりによって、合流の一日前にもたらされたその情報は、瞬く間にロドス艦内を駆け巡った。
年少のオペレーターたちはもちろん、年長のオペレーターも普段娯楽の少ない生活をしていることもあってか、かなりの数が慌てて外出許可申請を出した結果として、ドクターは決済処理に負われていた。
「パッセンジャーは遊園地行かないの? 申請出してないみたいだけど」
「興味がありませんので」
「まあ、君ならそう言うかなとは思ったけど。出すだけ出しておいたら? ここまで来たら一枚や二枚増えても変わらないよ」
目の高さを超える書類の山に囲まれたドクターは乾いた笑いをもらす。
「ドクターはどうなさるのですか?」
「アーミヤが行きたいのを我慢してるみたいだったから、たまには誘ってみようかなって」
二枚の書類をぴらりと見せる。二人分の申請書だが、筆跡はどちらも同じだった。
「おやおや、職権乱用を怒られますよ」
「いくらリーダーとはいえ、息抜きが必要だもの。そこまで腹を立てやしないよ、きっと」
「なら、無駄口をやめて仕事にお戻りになることですね。その山をどうにかしない限り、遊びに行く時間が捻出できるとは思えませんから」
「うう……今日は辛辣だな、君」
「これは失礼。予定では、もう山の一つは片付いているはずだったのです。ドクターの疲労を考慮に入れなかった私自身の計算ミスを嘆いていたところなのですよ。いまコーヒーを淹れてさしあげますので、どうぞ続きをなさってください」
「が、がんばります……」
言外にお前がサボっているからスケジュール通りに仕事がすすまないのだと指摘されて、ドクターは冷や汗を流した。パッセンジャーは秘書としてすこぶる優秀で、彼が担当の日はいつもの倍以上仕事が進む。それが滞っているのは、浮き足立っていて集中できないからだ。
自覚している以上に、遊園地を楽しみにしているらしい。どんな場所なのか記憶はないけれど、自分はそれを知っているのかもしれない。
だが、ひとまず初日に外出申請を出しているオペレーターの分だけでも決済を終わらせなければ、彼らの恨みを買うのは必至である。まだ許可が下りないのかと、ハラハラしながら待っているだろうから。
必死になってペンを動かしていると、ノックの音がした。
「どうぞ」
シュッと音がしてドアが開く。その向こうにいたのはシェーシャだった。長身のヴィーヴルはひょいと身を屈めて執務室に入ると、室内を軽く見まわす。奥の給湯室から漂う甘い香りに目を細め、書類の山に囲まれたドクターを見て顔を引きつらせる。
「あーっと…………外出許可の申請、まだ間に合うか? ダメならダメでもいいけどよ」
「いいよいいよ。でも明日じゃないとありがたいかな」
「ん……」
シェーシャは口ごもり、書類で口を元隠した。
「いつ出掛けるかは、まだ決まってねぇんだよ」
「え、どういうこと?」
「ドクター、コーヒーをどうぞ。おや、シェーシャくん。来ていたのですか」
パッセンジャーとシェーシャはつき合っているらしいのだが、パッセンジャーは公私を分けるタイプなのか、少なくともドクターは彼が恋人に甘い顔をするのを見たことがなかった。
シェーシャが葛藤に眉を寄せる。パッセンジャーに話があるようなのだが、ドクターの前で口にすべきか迷っているようだった。数秒の逡巡の後、彼は決意の表情で口を開く。
「パッセンジャー」
「なんでしょう?」
「一緒に遊園地行かねぇか? 二日目か三日目あたりで」
「はい? ────………………………………はい」
呆気に取られてしばらく言葉を失っていたパッセンジャーは、ようやく微かに頷いたが、まだ自分が何を言われたのかイマイチ理解できていないようだった。
「よし。じゃ、ここにサインくれ。二日目でいいか?」
「はい……」
パッセンジャーは言われるままにペンを取り、サインをする。
「よし、じゃあこれ頼むわ。またな」
できあがった申請書を決済箱の一番上に置くと、シェーシャは去って行った。まだ機能不全を起こしているパッセンジャーは、閉じたドアを呆然と見つめている。
「良かったじゃない」
「はぁ……」
「ロドスの外でデートするのは初めてでしょ?」
「デート……?」
「いまの、デートのお誘い以外の何物でもないでしょ?」
「デート……」
途方に暮れたように呟くリーベリの耳羽は、力なく垂れ下がっていた。
珍しいものを見せてもらったなぁと胸中で呟いたドクターは、自分も早く仕事を終えてアーミヤを誘わなければ、と決意した。