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    賢涼/早朝に里塚さんを幸せにしたい涼さんの話

    #賢涼
    xianliang

    レモンを切る 故郷の星は、どれだけの時間を過ごしても、ずうっと景色が暗いままだった。でも、地球には朝昼晩という概念がある。
     涼は地球に来てから、朝と昼の白い空気が好きになった。特に朝は心なしか少しひんやりとしていて、肺いっぱいに空気を吸い込むと気持ちがすっきりする。早起きは三文の徳という言葉があるが、こういう時に『得をしたかも』と思う。
     東京の朝は札幌よりもあたたかいなぁ。とぽやぽや考えながら、寝巻きのまま自室を出る。ほんのり霞む視界がリビングを写す。うごめく人影とタイピング音を認めて、あー、と声を出した。
    「おはよう、ケンケン」
     ぺたぺたと廊下を歩きながら朝の挨拶をすると、ノートパソコンに向かってなにやら思案顔をしていた賢汰が顔を上げた。
    「ああ、おはよう涼。早起きだな」
    「目が覚めちゃったから。でも、ケンケンのほうが早起きだよ」
     なにしてるの? と訊ねると、中間レポートだと言われた。朝のほうが捗るのだという。理系の学部に在籍している涼は、講義の評価はほぼほぼ試験で決まるので、賢汰の感覚がよくわからないなと残念に思った。
     壁掛け時計を見た。時刻は朝の六時だった。賢汰はこんなに早い時間に起きて、ぴしりと外行きの服を着て、学業に勤しんでいる。
    (ケンケンは偉いなぁ)
     賢汰のそういうところが、賢汰らしくて好きだ。
     キッチンに入り、自分のコップに浄水を汲んで、喉を潤した。だんだんと目が冴えてきた。真剣な賢汰の横顔をぼんやりと眺める。賢汰のために、何か自分にできることはないだろうか。
     ふと、テーブルの上にある資料と、白いコーヒーカップが目に入った。
    (……コーヒーなら、オレでも淹れられるかも)
     名案だと思った。お湯を沸かして、コーヒーの粉を入れたカップに注ぐだけ。そうして上手にコーヒーが作れたら、新しいコーヒーを淹れなおす手間が省けた賢汰は、課題に集中できて幸せになれるはず。
     頷いて、善は急げとお湯を沸かそうと思ってコップを流しに置いた。
     そうして、はたと首を傾げる。
     こういう場合のお湯って、どうやって作るんだろう。
     お風呂のお湯はあたたかいけれど、それを汲むのは違うだろう。
     お鍋だろうか。でも、コーヒーを作る時の賢汰はわざわざお鍋を温めていなかった気がする。
    「涼、どうした。お腹が空いたか」
     その場で立ち尽くしてうんうん唸っていると、いつの間にか賢汰がキッチンに入ってきていた。手には空のコーヒーカップを持っている。
    「ケンケン……お湯って、どうやって沸かすの?」
     地球人にとっては当たり前のことを訊ねている自覚はあった。でも、賢汰は涼の無知に呆れたり、馬鹿にしたりせず、
    「ああ。ちょうどコーヒーのお代わりを淹れるところだったから、教えよう」
     と眼鏡を押し上げて微笑んでくれる。
    「ありがと〜」
     今日も、賢汰は優しい。涼は破顔して、賢汰のテキパキとした所作を眺める。お湯は『ケトル』というポットの形をした小型家電に水を入れ、コンセントに繋いだ専用の台に設置してスイッチを押すと簡単にできるのだという。ふむふむと頷いて賢汰がスイッチを押すのを眺めていたら、はたと重大な事実に気がつく。これでは意味がない。
    「あ……」
    「どうした、涼」
     突然落ち込んだ涼を見て、わずかに目を丸くする賢汰。
    「オレ、ケンケンのためにコーヒーを作りたかったんだった。でも、結局ケンケンが自分でやっちゃったから……これじゃあ、ケンケンを幸せにできない……」
     賢汰の手助けをしたかったのに、賢汰の手を煩わせてしまった。
     お湯の沸かし方を教わった自分だけが幸せになってしまった。
     これで、また星に帰る日が遠くなってしまった。
     罪を重ねてしまったせめてもの懺悔として、合掌をする。
    「なるほどな」
     賢汰は頷くと、顎に手を当てる。そうしておもむろに冷蔵庫に手をかけ、レモンをひとつ取り出した。
    「そうしたら涼、レモンを輪切りにしてくれないか?」
     つややかなレモンを手渡してくる賢汰の提案は藪から棒に聞こえて、首を傾げた。
    「……どうして?」
     一拍置いて、訊き返す。
    「そろそろ那由多もコーヒーを欲しがる頃だと思ってな。俺の代わりにレモンを切ってくれると、俺は幸せになれるんだが?」
     そうか。レモンを切るお手伝いをすれば、賢汰は幸せになれるのか。
    「わかった。オレ、それならできるよ」
     しっかりと頷いて、レモンを受け取る。那由多は『夜明けのコーヒー』という、レモン入りのコーヒーが好きだ。今みたいに作曲にかかりきりの時は特に好んで飲んでいたから、ここでレモンを切れば、もしかしたら那由多も幸せになってくれるかもしれない。
     レモンを一旦まな板に置いて、キッチンの扉裏に収納されている包丁の柄に触れた。
     まだまだ贖罪は終わらない。故郷の星に帰ることを許されない。
     でも、誰かが幸せになるかもしれないと思いながら行動をするのは大好きだから、全く苦ではなかった。
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