体温 スマホの画面をじっと見る。
いくら眺めても進まない日付け、進まない時間。
ドラルクとジョンがじいさんに連れ去られて何日経っただろう。
冷蔵庫の作り置きを食べ尽くし、何か下拵えをしてあるらしい食材を何とかしようとしたが駄目で、どうやったら食えるか聞こうにもドラルクはスマホの電波が届かない所にいるらしく連絡がつかない。
取り敢えず火を通せば食えるだろうと適当に鍋で煮たりしてみた。腹は下ってないから多分大丈夫。
そうしたものも無くなって、今日は久々に宅配ピザを注文してみたが、美味しそうに食べるジョンがいないと美味しさも半減だ。
テレビをつけてみる。
チャンネルをいたずらに変えてみるけれど、特段興味を引くものはない。
原稿でも進めればいいのだろうけれど、まぁ、まだ締め切りまで日にちがあるし…とやる気は起きない。
美味い飯、食いたいなぁ。
日頃の食事がどれだけ贅沢だったのかを思い知らされる。
帰って来やがったら、唐揚げと、オムライスと…。
メニューを羅列すれば、悲しそうに腹がぐう、鳴った。
そうだ、美味いもの食わせろ。
そんな言葉が聞こえて来そうだ。
明日は何か料理でもしてみるか。
大惨事は確定だろうけど。
なんと言うか、外のものを食べる気がしない。
スマホの画面をもう一度見る。
ほんの少しだけ時間は進んだが、それだけだ。
ドラルクからの連絡はない。
一体どこで何をやらされているのか。
あのじいさんの思いつきツアーだから、きっととんでもない目にあっているのだろう。
こんなに長い間アイツが居ないのも久しぶりだな、と思う。
所謂こ、恋人になってからは初めてだ。
「〜〜〜。」
恋人、という響きにむず痒くなって頭を抱える。
アイツが俺に好きだと言って。
俺も好きだと返事をして。
同居人だとか相棒だとか、そんな肩書に、恋人、というものが加わって。
暴力に訴えがちだった手は繋ぐために。
暴言を吐いていた唇は重ねるために。
その存在意義を変えていった。
低いはずのあいつの体温が、何だか無性にあったくて、心地よくて。
ソファに寝っ転がってぼんやりと天井を眺める。
愛してるよ。
不意に脳裏に浮かんだドラルクの声。
そうだ、ここで、こんな風に──。
「……!!」
触れる指の温度だとか、這い回る舌の感触を思い出してぶわっ!と体温が上がる。
もう何日もしてない。
もちろんキスだってしてない。
べべべべ別に欲求不満だとか、そんなんじゃない。
多分、ない。
きっと、ない。
……でも。
あの低い体温に触れたい。
そう、思う。
すっかり膨らんだスウェットを見下ろし、はぁ、と溜息をつく。
──一人でするの、久しぶりだな。
誰もいないけれど何となく気恥ずかしくて掛け布団を引っ張り出す。
ぼふん!とくるまってそっと手を伸ばす。
初めて触れられた時は、それだけで暴発した。
馬鹿にされるかと思って泣きそうになったけれど、アイツは優しく笑うだけだった。
とても、嬉しそうに。
そんな顔を見てたらまたガチガチになって、「元気だねぇ」なんてまた笑って。
「……っ。」
初めてした時は、上手く力が抜けなくて結局出来なかった。
アイツの細い指でさえ、苦しくて。
すげぇ凹んだけど、「大丈夫だよ」と優しくキスしてくれたっけ。
それから何度もチャレンジして、少しずつ少しずつ慣れていって、やっと出来た時はすげぇ嬉しかった。
「……うっ!」
今じゃこんな風に、アイツとの時間を思い出して一人でするまでになっちまった。
でも以前とは全然違う。
他人に与えられる事を覚えてしまったからだろうか。
気持ちよくないわけじゃないけれど、満足出来たかと言えば、決してそうでは無い。
「……。」
ぐしゃぐしゃとティッシュを丸めてゴミ箱に放り投げる。
ゴミ箱の縁にあたって床に転がったティッシュをぼんやりと眺めた。
ゴミを散らかすんじゃない。
そんな言葉が浮かんできて、しぶしぶと起き上がり、ティッシュを拾ってゴミ箱に捨てた。
──もう寝よう。
一度眠れば日付が変わる。
気分だって変わるだろう。
「……。」
ソファの横の棺桶を見る。
ここで、寝るか。
ソファに布団を出したけれど、まぁいいや。
寝心地のいいそこに潜り込んで蓋を閉めた。
適度に保たれた空調。
アイツの香水の残り香。
あぁ、居ないんだっけな、と再認識してしまう。
スマホを立ち上げて、RINEのトーク画面を開く。
画面をスクロールすれば、スタンプや絵文字が賑やかに並んでいた。
どうせ電波の届かないところにいるんだろうな、と通話ボタンをタップする。
予想に反して鳴るコール音。
──やべぇ!通話っつったって、何話すんだよ!
慌てて通話を切る。
──履歴、残るよなぁ?
じいさんに連れ去られたとはいえ、せっかく家族水入らずなのに邪魔しちゃ悪ぃよなと、「間違えただけだから気にすんな」とメッセージを送る。
スマホの電源を落として枕元に放り投げ、マッサージ機能のスイッチを入れて、プラネタリウムをつける。
棺桶の蓋の裏にキラキラと光る星を眺めているうちに、うつらうつらとしてきたので抗わずに目を閉じた。
どのくらい眠ったのだろう。
ガタ、という音に少しだけ意識が浮上する。
「寝心地はいかがかね?」
その声に、跳ね起きた。
「ドラ公!?」
まだ薄暗い部屋の中、見慣れた黒マントに身を包んだドラルクがいた。
「……寂しかったのかね?」
そっと俺の髪を撫でるその顔はだいぶやつれているようだった。
「お前……何で?」
「何でも何も、帰ってきてはいけないのかね?」
「そういう訳じゃ…。」
塞がれた唇。
頬に触れる冷たい手。
「……まだ帰れそうにはなかったがね、君からあんなRINEをもらったら帰らない訳にはいかんだろう?」
「?俺、気にすんなとしか…。」
「気にして欲しかったのだろう?」
ドキ、と胸が鳴った。
「べ、別に…そんなつもりじゃ。」
「帰って来いと、私に言いたかったんじゃないのかね?」
「……。」
そんなつもりじゃないとは言えなかった。
心のどこかではずっとそう思っていたから。
でも、せっかく家族でいるのに、俺なんかがそれを言っていいのかと。
そんな風に思ってしまって。
「君は、帰って来いと私に言っていいのだよ。」
見透かしたようなドラルクの言葉。
「……君に、帰って来いと言って欲しかったんだがね。」
ドラルクはそう言ってゆるく笑う。
「お、俺……。」
「うん。」
「その…。」
「うん。」
「……腹、減って。」
俺の言葉にドラルクがプッと吹き出す。
「うん、それで?」
「明日は、自分で料理しようかと思って。」
「やめておくことだな。」
「……多分、美味くないから。」
「そうだろうねぇ。」
「お前の、飯がいい。」
「よく出来ました。」
深く重なる唇。
首筋から項にかけて撫であげる冷たい手。
髪に差し入れられた指が優しく地肌を擽る。
「欲しいのは私の食事だけ?」
キスの合間の問いに、
「……分かってんだろ。」
小さく答える。
「ちゃんと言って。」
意地悪く笑う赤い瞳に抗えなくて、口から出たのは思いのほか素直な言葉。
「……してぇ。」
「いいとも。」
服の間に滑り込む指先。
「私もね。」
早急な触れ方にビクリと肩が震える。
「君に触れたかったよ。」
重なった唇。
絡む舌先。
ごくりと喉を鳴らす頃には俺の衣服は全部棺桶の外。
前をはだけたドラルクのシャツの隙間から手を差し入れれば、手のひらに伝わる薄い皮膚の下の骨の感触。
自分に触れるのが自分とは違うけれど確かに生き物なのだと感じる瞬間。
指先で背骨の凹凸をなぞれば、「煽っているのかね?」と柔らかい笑顔。
違うよバーカ、と悪態をつきながらシャツと皮膚の間の手で肩を引き寄せてキスを強請る。
んっふふ、どうしたの?
髪を撫でる手は優しくて、キスをくれる唇は柔らかい。
親父さん達には悪いことしちまったな、と思うけれど、ごめん、でもやっばりドラルクとこうしていたい。
今度親父さんにあったら、詫びの代わりにスナバ奢っておこう。
それから、じいさんにもちゃんと謝って、一緒に遊ぶか。
お袋さんもいたんだろうか。お袋さんには──。
「こら。」
むぎゅ、とドラルクが俺の鼻を摘む。
「集中しろ。」
──私の事以外考えるな。
耳元での低い囁きに、ぞわりと背中が震える。
久しぶりの刺激に歓喜する体。
だんだんとぼうっとしてくる頭。
それでもちゃんと伝えたくてドラルクの細い体を抱き寄せて耳元に口を持っていった。
色々言いたいことはあったけど、照れくさくて全部飲み込む。
やっと捻り出したのは、何の変哲もない短い言葉。
「……おかえり。」
ドラルクは、俺の言葉にただ満足そうに笑っていた。