被験体Sはかく語りき きっかけは確か、真っ当な仕事の依頼だったと思う。
マスターの指示で向かった先は、その頃まだワクチンを打つ時くらいしか来たことの無かった場所、の更に奥のフロア。そこで俺は、奇妙な白い仮面で顔を隠した男性に出会った。
背は高いけど痩せっぽちで、首からガラスのフラスコをぶら下げていた。ひどい猫背なのは、きっとその重そうなフラスコのせいだろうと思ったのを覚えている。
彼はゆらりと俺を見上げて、
「VRC所長のヨモツザカだ」
と言った。意外にハッキリとした強い響きに、俺は無意識に背筋を伸ばしていた。
「ハ、退治人ギルドから来ました、サテツといいます。今日は、その、よろしくお願いします」
「ああ、よろしく。…………」
「…………?」
謎の沈黙と視線が気になった。
彼は俺を案内してくれた女性にチラリと顔を向けて、
「カズラ君、彼を検査棟へ連れて行け」
と言うなり、椅子に座って黙々と何かのデータをパソコンに打ち始めた。
「検査棟ですか? 施設訪問の補助じゃなかったんですか?」
(え? 施設訪問って聞いてたのに検査?)
「気が変わった。手隙の班から二、三人引き抜いて補助にあたらせればいい。後で俺様もそっちに向かう」
「はぁ……わかりました。ではサテツさん、検査棟にご案内します」
あの時の、彼女の憐れむような表情は未だに脳裏に焼き付いている。
「え? いやいやいや、け、検査って何ですか⁉︎」
「大丈夫ですよ。ちょっとチクッとしたりギュッとなるだけですから」
「チクッとかギュってなんですか⁉︎」
「個人差はあります」
「あの、アームを着けたままでも……」
「全部外せ」
「え」
まさか、この後本当にチクッとしてギュッとなって、色々あって本気で泣くとは思わなかった。今思い出しても恥ずかしい限りだ。俺は身体能力その他を徹底的に検査され、結局解放されたのは朝だった。
ヨモツザカさんは、当時のことを時折愉快そうに話す。
「あの時は、これほど研究材料に適した人間は居ないと思ったんだ。むしろ光栄に思え」
確かにその検査のおかげで、自分が実は仮性吸血鬼化しやすいというか……つまり、後天性吸血鬼の適正が標準より僅かに高いと判明したわけで。
ワクチンの調合も変えてもらったし、仕事的にはラッキーと云うべきなんだろう。でも、今でも治験の協力をさせられるのは正直怖……いや、うん。これも立派な仕事だ。
それに、役得な部分も、あるにはあるし。
「どうした? どこか調子が悪いか」
「え、あ、いや。大丈夫です」
止血パッチに指を当てたままじっとしている俺を訝しんだのか、ヨモツザカさんが俺の顔を覗き込んだ。
「最初にここで検査を受けたときのこと、ちょっと思い出して……ははは」
「ああ、確か直腸の触診で泣いたんだったな」
「エーーーーーン! もう忘れてくださいって‼︎」
ヴェェェ恥ずかしい! 椅子の上で思わず頭を抱えてしまう。
そんな俺の髪に、ヨモツザカさんの薄い掌が触れる。いつものように、犬の毛並みを愛でるみたいにワシワシと掻き回してくる。
こうされるのが好きで、俺はされるままじっと目を瞑ってしまうのだ。
「お互い様だろうが」
「!……そう、ですね」
それに、数年経った今じゃ俺も、彼に同じようなことをしてしまっているし。
人生って、何がきっかけでどう転ぶか、本当にわからないもんだ。