プロポーズは突然に『追伸:言い忘れてましたが、師匠に棺桶の場所を聞いておいた方がいいですよ。彼は酔っ払ったら面倒なんで、早いこと寝かせてしまうことをおすすめします』
ドラルクから手紙の返事が届いたのは、きれいな満月の晩のことだった。確かに、ノースディンは酔うと厄介だ。外で望まない酒を飲んでくることもあるし、そういう時は大体悪酔いしている気がする。ドラルクが言うのも一理あるな。
夕方の礼拝が終わり、いつものように屋敷に向かった。私がノッカーを鳴らすと、扉は自ら開く。そういう風にできているのか、ノースディンの能力なのかはわからない。
「おはよう、ノースディン。今日は月が綺麗だ」
「いい夜だな、クラージィ。そうか、今夜は満月だったな」
エントランスでの軽い抱擁のあと、私たちは居間でゆったりと時を過ごすことが日常になっていた。私が食前の祈りを捧げている間も、彼がその行為に異を唱えることは無い。
晩餐は、程よい酸味のトマトと野菜の滋味深いスープ。ナスのペーストはパンと共にいただく。葡萄酒はほどほどに。ノースディンは吸血鬼用と思しきワインと、友人の奥方——つまりドラルクの母君から教えてもらったというジャムサンド。見るからに美味しそうだが、私には恐らく食せないものだろう。
「ありがとう。とても美味しい」
「フ、そうか。よかった」
ドラルクの料理も大変美味だったが、私はノースディンの作る味が好きだった。彼の試行錯誤の末と考えると、ひと匙ごとに愛着が湧いてくる。
……おっと、それはそうとして。
「ひとつ聞いておきたいことがあるんだが」
「……? なんだ、改まって」
「お前の棺桶の場所を教えてほしい」
「……は?」
ん?
ノースディンは、飲み掛けたワインを飲まないままローテーブルに置いた。何となくだが、こちらを見据えて固まっている。まずいな、何か気に障ったのだろうか?
「すまない。誰にでも安らぎの場所というものはある。君たちとって棺桶とはそういうものだろうに、私が不躾だった」
私は手を拭い、慌てて頭を下げた。しかし、ノースディンは口に手を当て、何かを思案している。
「安らぎ……とは少し違うのだが」
「?」
「棺桶とは……いわば急所なのだよ。何せ寝ている間は無防備だから、そこを突かれて死ぬ同胞が多かった。しかし、吸血鬼にとって棺桶とは伝統であり、生きている限り共にあるものだ」
「生きている限り共にあるもの……」
ノースディンは、一度置いたワイングラスを再び手に取って、一口あおった。
「うむ。だからこそ、だ」
「ああ」
「……吸血鬼に棺桶の場所を聞く、というのは、その、……『あなたの命を私に預けてほしい』という意味であって」
「……ん?」
言葉を慎重に選んでいるのがわかる。ノースディンはワイングラスの中身を一気に飲み干し、こちらに向き直ると、
「つまり、『プロポーズの言葉』なのだよ」
と、今度は一息に告げたのだ。
「プロポーズ……」
「逆に、吸血鬼が相手に棺桶の場所を教えるときは、『私の命をあなたに預ける』という意味がある」
「プロポーズ……?」
プ ロ ポ ー ズ ⁉︎
「な、あ、あー……すまない、わ、私は」
顔から火が出そうだ。とんでもないことを言ってしまった。これが吸血鬼の伝統というならば、ドラルクのあれはきっと悪戯だろう。私がそう伝えたとき、ノースディンがどう反応するのか想像して、今頃笑っているかもしれない。
たまらず頭を抱える私の肩に、彼の手がトン、と触れた。
「来い、クラージィ」
隠し扉を抜け、石造りの階段を降りる。もはやここで一人放逐されたら戻れないかもしれない。それくらい方向感覚が狂う。
道中、なぜあんなことを聞いたのかを尋ねられたが、ドラルクのことは敢えて触れなかった。
「お前が酔い潰れたとき、棺桶で寝かせる方が良いかと思った」
「……なるほど」
嘘ではなかったし、ノースディンもそれ以上詮索はしなかった。一言二言会話をしている間に、私たちはある扉の前で立ち止まった。見るからに重厚な扉だ。
「この中に、私の棺桶がある」
「!……」
良いのか、と。思わず口走った。
自分から頼んでおきながら、教えてしまって平気なのかと。この先に、お前の急所があるのに。
「……よくよく考えてみれば、私たちは普通にベッドを共にしているだろう」
「……」
図らずも、確かに私たちはそうなってしまった。同じベッドで何度も夜明けを迎えた。
「ベッドも棺桶も同じだと思った。それだけだ」
懐から取り出された鈍色の鍵。それが鍵穴を通り、回されることでガチャリと音が鳴る。そのまま取っ手を引き、重苦しい音と共に開かれた扉の先には、人間がランプ無しでは進むことも出来ないような暗闇が広がっていた。吸血鬼は夜の住人だ。深い闇こそが彼らの安寧なのだ。
「……ここまででいい、ノースディン」
私は、手に持っていたランプの火を、敢えて消した。
「ここにお前達の伝統が在ると知れただけでもう十分だ。……ノース。私に、命を預けてくれてありがとう」
暗闇の中でも瞬く赤い瞳を辿り、掌で冷たい頬を包む。そっと口付ければ、吐息から漂うブラッドワインの香りに、こちらまで酔ってしまいそうだ。
「……今夜は、泊まっていくのか」
「そうだな。だが、まずは晩餐の続きをしよう」
それから、お前の部屋で月が見たい。そう言うと、ノースディンは額を合わせながら、満足げに笑ったようだった。