今日は寒いから暖かくなりたい「イヌピー、寒くねぇの?」
静かなアジトの中で、温かい声がする。
寒いのはテメェのせいだろ、と八つ当たりみたいなことを乾は考えながら「寒くねぇよ」と強がりを言った。
乾青宗は寒さよりもヤンキーのオシャレを貫きたい、気合の入った不良だった。ド派手で相手を威嚇できそうなピンクのジャージを着るし、寒さに日和ったと思われたくないから余計な厚着はしない。流石に布の厚みは季節に応じて変わるけども。
北風が吹こうが、バイクの運転中に氷のように冷たいかぜが吹き付けようが、ドンキに売ってそうな90年代のヤンキースタイルを崩すことはしなかった。だって、辞めたら自分に負けたみたいでなんかカッコ悪ぃだろ。夏はジャージを脱ぐだけで衣替えも済むし。
一方で、幼馴染の男は春夏秋冬と洒落臭いコーデを楽しむ男だった。いらないというのに買い物に付き合わされて、チャラチャラした服を着せ替え人形のように試着させられる事もあった。
「イヌピーはもちろんジャージも似合うけど、顔がいいからこう言うシンプルなシャツとかっちりしたパンツも似合うよ? いや、そのジャージも似合うんだけど、こっちのジャケットは暖かいし、イヌピーのスタイルの良さが際立つんだって! 確かに今日の真紫のジャージに何故か豹柄でPINKって書いてあるジャージもイカしてるんだけど、でも」
そこまで聞いたところで、大量の服(全て乾のもの)を抱えた男をぶん殴って乾は店を出た。それが一昨日の話だ。
たしかに、あの時のジャケットはグレーで地味だけどなんかかっこよかったし、内側がふわふわしていて着心地も良く、なにより暖かかった。今日の天気にちょうどよかったかもしれない。昨日まではそこまで寒くなかったのに今日は朝からとても寒い。午前中に小雨が降って、それからずっと天気が悪かったので気温が低いままだったのも関係している。いつもは隣にある体温が少し離れたところに座っているのも要因の一つだと思う。
「ふざけんな、この服はココと出かけるために新しく下ろしたんだよ」という言葉は、待ち合わせ早々服屋に連れ込んで着替えさせようとするムカつく男には教えてやらなかった。
「ジャージがダサくて一緒にいたくない」と言外に言われたような気がした。そんな小さなモヤモヤが着せ替えショーを経てイライラに変わり、最終的に殴った。最悪のデートだった。
それからへそを曲げっぱなしの乾に、九井はお菓子を与えたり、バイク用の暖かい手袋を買ってきたり、乾の好きな食べ物や飲み物を机に並べたりしていた。
あー、だか、うー、だか言いながらこちらを伺っている視線を感じるが、全て無視する。
意地になっていたのもある。だって、乾だってこれでもいいカッコをしているつもりだったのだ。お気に入りの服を着て、2人で出かけて美味しいものを食べて、夜はまったりして、そう言う1日を楽しみにしていたのに。
待ち合わせ早々「え?」と引き攣った顔をされて、問答無用に高そうな服屋に連れて行かれて、そこから2時間試着室で着せ替えショーをさせられた。むしろ2時間も我慢したことを褒めて欲しい。店員だってちょっと引いてた。九井が何かを握らせて黙らせてからは、彼らは遠くの方でこちらをチラチラと伺っていた。その視線も乾をイラつかせたし、なによりも楽しそうにヒラヒラふわふわキラキラした服を持ってくる、九井の楽しそうな顔がムカついた。
そんなにこのジャージはダメなのかよ。カッケーだろ、豹柄の英語。
乾は絶対に、自分から話しかけるつもりはなかった。でも、今日は殊更寒くて1人でいると段々と体が震えてくる。鳥肌が止まらない。いつもなら隣にいるホッカイロにそっと寄りかかって、暖かくなっているはずなのに。
アジトには暖房器具がボロいストーブしかないから、薄着で寒いから、人肌が暖かいから、そうやって寄り添う理由を探してくっついて、心も体も暖かくなるはずだったのに。九井のせいで今日はずっと寒い。クソ。
「イヌピー、寒くねぇの?」
聞き馴染んだ男の声がする。
アジトには乾と九井の2人しかいないので、自分でなければこの声はもう片割れのものだ。いつもと同じ暖かい声をしている。大好きなぬくもりにくっついてしまいたかった。でも、それじゃあ負けたみたいで悔しかった。だから寒さで震え出した体を抑えるように力を入れて、目線を合わせないまま返事をする。
「寒くねぇよ。貧弱なテメェと違って、オレはこのスタイルを気に入ってんだ」
返事がないので、部屋は冷たい空気と相まってしーんとしている。空気がより寒くなった気がして、乾はまたブルリと震えた。
カタリ、と音がして九井がソファから立ち上がる気配がする。そのまま部屋のドアに向かって歩いて行く音がした。
「あ…」
そう小さくつぶやきながら顔を上げた時には、九井は部屋を出て行ってしまった後だった。
開けっぱなしのドアは隙間風ふくアジトの通気をさらに良くするので、よりいっそう部屋が冷えていく。
しん…と静まり返る部屋の中でひとり暖を取るように、乾はソファの上で体育座りをした。少しでも熱を逃さないように顔を膝に埋めて小さく丸まる。それでも空気に触れた肌表面はとてもつめたい。
一昨日までなら乾専用のぬくもりがそばにいたのに、隣が空っぽの今日に限ってどうしてこんなに寒いんだ。
ココのバカ、オマエのせいでこんなに寒いんだぞ、ふざけんな。
理不尽だと判りながらも心の中で散々な悪態をついていると、不意に肩に何かがかけられる重みを感じた。
思わずビクッと反応した体を抱き締めるように、慣れ親しんだ熱が乾を包み込む。
「イヌピー、オレが寒いんだ」
顔を上げると、まっくろな瞳が心配そうな顔でこちらを覗き込んでいた。上から包むようにかけられた布団は2人の間にある空気を閉じ込めている。どうやら九井が寝室から持ってきたらしい。
「だからお願い、オレをあたためて」
そう言って九井は冷たい体をギュッと抱きしめた。火傷してしまいそうなくらい熱い背中に腕を回すと、それは嬉しそうに揺れた。
「……ココが寒いなら、仕方ねぇな」
「フフ、ありがとう」
そうして布団の中で隙間がないくらい抱きしめあった。2人の体温がおんなじになるまで、ずっとずっと溶けるみたいに1つになっていた。
外側はずっと寒いから2人きりの世界で暖を取り続けた。
そうやって理由を探さないと、一緒にいられなくなってしまう気がしたから。
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「イヌピー、寒くねぇの?」
黒髪の男は布団に寝転んだまま、背中を向けた短髪の男に声をかけた。金髪に夜の光を反射させながら男は振り返る。それからサイドテーブルにある灰皿に吸い殻を押しつけると、呆れたような声色で返事をした。
「寒ぃよ。誰かさんがスーツをぐちゃぐちゃに放り投げるから皺だらけで、オレは着る服が無ぇんだぞ」
「オイオイ、被害者面やめろよ?オレだって、お気に入りのチャイナが誰かさんの下敷きになってぐちゃぐちゃのぐちょぐちょになってるんだからな」
「……ぐちょぐちょになったのはオマエのせいでもあるだろ」
「アハハ、確かに」
九井はぬくぬくとした布団にくるまりながら楽しそうに笑った。乾がベッドに座ると布団の中から綺麗な手が伸びてきて、そっと乾の頬に触れた。
「うわ、冷た。結構長い間、布団の外にいた?」
「そんなに長く無いと思ってた」
「イヌピー、昔からやせ我慢というか……謎の寒さ耐久を試みるからなぁ」
「別に我慢してない」
「してただろ。いつも、スゲー薄着でさ。風邪ひきそうだし、寒そうで可哀想で、オレはどうにかしてあったかい格好をさせたかったんだよ」
そんなこと、言われたことなかった。ずっと、隣にいるオレの格好がお気に召さないのかと思ってたよ。そう思ったが、乾は代わりに違う言葉を選んだ。
「寒い日は嫌いじゃなかった。ココとくっついて、同じ温度になれたから」
九井の目は丸くなって、それからすぐ嬉しそうにニンマリと細くなった。ガバッ、と布団が持ち上がって、乾は世界の内側に引っぱり込まれる。
ずっと布団の中にいた体温は、冷え切った身体で受け止めるには熱すぎる。ぎゅうぎゅうと九井が抱きしめてくるので、余計にそう思うのかもしれない。
「今日のイヌピーすごい素直。どうしたの?」
「オレはいつも素直だ」
「んー?」
「嘘じゃない。オマエがオレの服をダメにしたから、そのせいで体が冷えたんだ」
それに、今日も外が寒いから。そう言いながら2人しかいない布団の中で、目の前にいる男にキスをする。九井の唇は熱くて、気持ちが良くて、ちゅ、ちゅ、と遊んでいるとそのうちにぬるりとした熱が乾の中に入ってきた。答えるようにちゅう、と吸い付くとその熱が嬉しそうにクツクツと揺れる。
「イヌピー、外は寒いから。だから、中で暖かくなろう」
もう一度キスをされる。熱い舌と、それから身体を弄る不埒な手を受け入れながら、乾は目の前のぬくもりに強く抱きついた。
「昨日もしたからまだ柔らかいね」そんなと共に焼けるように熱い塊が乾の中に押し入ってくる。溶けそうになりながら、乾は九井の腕を軽く叩く。九井は「なぁに?」というようにまっくろな瞳で優しく見つめ返してくれるので、ぴったりくっついたまま会話を続けた。
「ココ……服、欲しい」
「服?もちろん。ピンクのジャージでも、虎柄のシャツでも、なんでも仰せのままに」
嬉しそうにニコニコ笑う男は返事をしながらトン、と奥まで隙間がないくらい乾の中を満たしてくれた。
そのまま小刻みに揺さぶられるので、乾の足が視界の端でゆらゆらと揺れる。
「あっ…、ちが、ちがくて、服……ココが選んでくれた、ぁ、アッ…」
「え、オレが選んでいいの?うれしい」
「ふわふわでっ、暖かい、やつ、…あぁっ」
あの時の、グレーでかっこいいジャケットみたいな。そう言いたかったのに、熱い唇が乾の口を塞いでくるので全部言えなかった。
それからは会話にならなくて、体温がおんなじになるまで溶けるみたいに1つになっていた。
外側はいつまでたっても寒くてたまらない、だから2人きりの世界で暖を取りつづけた。
そうやって生きて来たことを、2人とも後悔していない。
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後日、フワフワもこもこの真っ白なかわいいパジャマをニコニコしながら買ってきた男を、乾は右ストレートで床に沈めた。