(燭へし)ヒバナチル夏の夜空を裂く音がして、黒い夜空に幾重にも花が咲く。
きらきらと光の花が夜空を舞い、隣で空を見あげる男の横顔を照らす。
好きだ。
空へとあがる細い光にのせてつぶやいた言葉はどんという音にかき消された。
「休み明けで結構ですって、俺も休みなんだがなあ」
人が減るごとに「こっち消しておきますね」と消された照明はいまはもう長谷部のうえだけしか点いていない。
取引先に社内、同僚に上司まで。
休み前に案件は投げておきたい気持ちはよくわかる。
朝から長谷部だっていくつか気になっていた案件の確認はした。
休みが明けてからで構いませんとこちらは言ったのに、先方からはその返事とともに「締め切りは休み明けに」との一言が添えられていた。
出社したらすぐに手をつけたいんだと言わんばかりのその言葉が、トレンドかとばかりににメールボックスにあふれている。
そっちは投げつけて「じゃあいい休みを!」って気持ちよく休みに入っただろうが、こっちはそれで残業だぞ。
最後のひとりが帰るときに、自分ももう明日出社して帰ろうかとスケジュールアプリを確認した長谷部は「フロア改装工事のため立ち入り禁止」という文字にため息をついた。
できるところまでやるか。そんなわけで気が付くとフロアにひとりきりになっていたのだ。
そういえば光忠はもう帰ったのだろうか。
ふとこういうときいつも声をかけてくる同期の顔が浮かんだ。
「長谷部くん、まだいたの?」
「そっちこそ」
まるでこちらの心の声を読んだかのように、フロアの入り口から思い浮かんだ顔がのぞく。
「今日一日外だったからさ。メールだけ片付けてきた」
「おつかれ」
「まだ終わらなさそう?」
「もう少しだな」
「待っててもいい?」
「飲みにでもいくか」
「うん」
カタカタという長谷部がたたくキーボードの音に、この前いったイタリアン美味しかったよねという光忠ののんびりした声が重なる。
さっきまで動きが悪かった指が自然と早く動く。
「そういえば駅前にクラフトビールの店ができてたぞ」
「どこ?」
「ノリのいいウェイターがいたスペインバルの跡地」
「あそこよかったのになあ」
「ラム串うまかったな」
「君あれ好きだったよね」
「お前はあれだ茄子のフライ」
「あれは家でも同じようにできないんだよね」
なんでもない話をしてるうちに、最後の返事を打ち終わる。
うーんと伸びをしてパソコンの電源に指を伸ばすと、遠くでドンという音がした
「なんだ?」
窓に目を向けるとキラキラと散る花が見えた。
「花火だ」
「今日だったか」
顔をみあわすとふたりして子どもみたいに窓際まで走ったけれど、ちょうど角度が悪いのかわずかな欠片が見えるだけだ。
「見えないね」
「屋上なら見えるかもしれないな」
「行ってみようよ」
階段を駆けあがり、鉄の扉を開くと腹に響くようなドンという音がして空に大きな花が開く。
「きれいだね」
そういって空を見上げる光忠の横顔を、次々にあがる花火が照らす。
入社したころはライバルというか、張り合ってばかりだったけれど、きちんと向き合うと思いのほか気が合い、気がつくと同僚というよりは友人と言ったほうがいい距離まで近づいていた。
そして近づきすぎた距離は、心に違う気持ちを芽生えさせた。
気づかないうちに芽生えたその気持ちは、抑えようとしても光忠から向けられる笑顔に、声に、言葉に、そして触れる手のぬくもりに育っていった。
はみ出ないようにどこか一線を引こうと思いながらも、時折その一線を越えてしまいたい衝動にかられることがあった。
空調に冷やされた身体がむわりとした屋上の空気にじわりと汗ばむ。
「長谷部くん見える?こっちのほうが見えるよ」
伸ばされた指が長谷部の腕を取り、汗ばんだ肌がまるで吸いつくようにぴたりとはりつく。
こんな色もあるんだねなんて言いながら、長谷部の腕をつかんだ光忠の熱が伝わったかのように、じわりと長谷部の身体が熱を持つ。
このまま熱に溶けてしまえばいいのに。
ドン、ドンと規則的にあがっていた花火の音が消え、隣にならぶ男が闇に包まれる。
「もう終わりかな」
「最後にもう一発大きいのをあげるんじゃないのか」
しんとした空にひゅうひゅうと音をたてて幾筋もの光があがっていく。
真っ暗な空にひとつ大きな花が咲き、そして次々に色とりどりの花が音を立ててひらいていく。
ドドドドという音に紛れて、長谷部は口を開いた。
「好きだ」
重なるようにまた大きな音が鳴り、幾重にも広がる花が空に咲く。
聞こえただろうか。
伏せていた目を開くと、隣で光忠は空を見上げて目を細めていた。
聞こえてないか。
最後に大きな花が開き、パチパチと音をたてて光が空を舞った。
「これで終わりかあ。そういえば来週は----の花火だね」
聞こえなかったのか流されたのか。
花火の音が消え、光忠は長谷部の言葉などなかったかのような言葉を紡ぐ。
なにも変わらない。
けれど、これでいいのだろう。
ふっと笑いを漏らす長谷部を覗き込むように、光忠がこちらを見つめる。
夜の屋上にひとつ金色が瞬き、散る火花みたいだなとぼんやり長谷部は思っていた。
「あれはさすがにここからは見えないだろう」
一緒に見ようと言われたわけじゃないのに、この答えでよかったのだろうか。
「うちから見えるんだ」
それはどういうことだ。
長谷部の腕を握る光忠の掌に力が入るのを感じ、身体にまとう空気が熱を帯びたような気がした。
「ねえ長谷部くん」
「………」
「僕もだよ」
長谷部の胸の奥で、チリと小さな火花が散った