特別な呼び名「おい新入りのちいせぇの、次のワインとってこい」
「あ、っす」
「ネロ、慌てて転ぶなよ」
団員のからかいの声に振り向いたら、ちょうど躓いてよろめいた。わっと笑い声が広がっていく。
「ははっ、おこちゃまには厨房へのおつかいも早かったか?」
ボスの声に恥ずかしいやらなんやらと眉間にしわを寄せながらも顔を赤くして厨房へと足早に駆け込んだ。ワインの良し悪しなど全くわからないので、適当に見繕って5本ほど抱えて持っていく。
指輪がワインボトルに当たる音がした。少しだけネロの指には緩いその指輪は、黒い石を携えている。
盗賊団に入ってゆうに一年は経っている。やっとついこの間大きな仕事にも行くことができた。
身体中ボロボロになったが、ボスと交わした会話を思い出して指輪ごと手を握りしめる。
するりと、ボトルが落ちそうになった。
「あっ!」
「よ、っと」
派手な音をたてて床に落ちる前に、大きな手がボトルを掴んだ。
「ボス!」
「やっぱりてめえにはまだ早かったか?」
にやりと笑みを浮かべたボスからボトルを受け取けとる。
「…すんません」
「はは、代わりになんかツマミでも作れ」
「わかりました、今から作ります」
「おいおい、ボトルは置いてけ」
「あ、すんません」
「いつまでたっても新入りか?」
わしゃ、と頭を撫でられ、嬉しくもあり恥ずかしくもある。しかし、いつまでもこども扱いされていることには少し不満を持っていた。
「あの、もう、おれより新しい奴も入ってきてるんすけど…」
「ん? ああ、そうだな。てめえは面倒見も良いから助かってるよ」
さらにぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜられる。褒められるのは嬉しいのだが、そういうことではない。
「それに、ちいさくはねぇし…」
「俺様にとっちゃおまえくらいの歳はどいつもこいつもちいせえのに変わりはねぇよ」
「……………」
ムッと口を閉ざしていたら、なにかに思い至ったようにボスは口角をあげる。
「ああ、新入りのちいせえの、じゃ不満か?」
的確に言い当てられて、噤んでいた口が開いた。
「べ、べつに……」
ボスは信頼してる部下のことしか名前で呼ばない。役目で呼ばれるやつだってそれなりにいる。名前で呼ばれるようになってからが一人前だと、ネロは考えていた。
「そうかそうか、ま、新入りじゃそろそろわかりにくいかもなぁ」
思案するボスの顔をじっと見つめてしまう。ばくばくと心臓が煩かった。そもそもボスはおれの名前知ってんのかな? 他の団員にあれだけ呼ばれてるのにそんなことまで考える。
「料理番はどうだ? てめえにはぴったりだろ」
またワインボトルを取り落としそうになった。
そりゃ確かに役目としては最適な呼び名かもしれない。今となっては厨房がネロの居場所と言っても過言ではない。
まだまだおれは、そこまでの信頼は得られてないってことか、とうなだれて指輪に触れていたら、ぐいと顎を持ち上げられた。
「良いツマミ作ってこいよ、ネロ」
固まった俺をよそに、ワインボトルを魔法で取り上げてさっさと騒がしい場へと足を向けていく。ひらひらと後ろ手に振られる手に、ネロは足の力が抜けてしゃがみこんだ。
「……あんなの、ずるいだろ…」
なんだってあの人はあんなにカッコいいんだ。
からかわれたことに腹を立てるよりも、ボスの低い声で呼ばれた自分の名前が、好きでもなんでもない名前が、初めて特別なもののように感じた。
(あんなにしょげて、可愛げがあるじゃねぇか)
ブラッドリーはワインボトルをくるくると宙で回しながら軽い足取りできた道を戻る。
死にたくない、ではなく死んでほしくない、と言ったあいつが一時も離さずに指輪をしていることに気がついていた。
きっと、次の大きな仕事ではおれに渡してくるつもりなんだろう。
ネロ、と呼んだときの呆けた顔を思い出しながらくつくつと笑い声をたてた。