想・喪・葬・相 ①「で?今回はどうだったんだ」
曦臣がのそのそと袋から割りばしを取り出し箸置きを作り始めた。すらっとした形良い白い指先でちまちまと折り紙をする仕草はどこか滑稽で可愛らしい。江澄は自分の分の箸置きも作れと無言で箸袋を渡した。
「プロフィールだけなら仕事に趣味に㬢臣と気が合ったんじゃないか?叔父さんが選んだんなら良い所のお嬢様なんだろうし、見た目だって及第点だったんだろ?」
曦臣が割りばしを丁寧に正しく二等分に割る頃にはレモンハイとウーロン茶のジョッキが机に並べられた。
「そうなんだけど…お断りしようと思っていて」
「何だよ。今回は何が気に食わなかったんだ?」
「気に食わないなんてそんな!ただ何というか…この女性と将来一緒にいることがどうしても想像できなくて」
曦臣は江澄の鋭い視線から逃れるように、丁寧に折った箸置きをまた広げもじもじと折り直し始めた。
「またそれか!いいか、付き合ってもみないうちから将来も何もわからないだろ!」
江澄はジョッキと一緒に運ばれた搾り器を横に追いやり半分に切られたレモンを片手で潰した。レモン汁の飛沫が飛び、二人のシャツにまで飛び跳ねるのはいつものことだ。おなじみの光景なので曦臣も文句は言わない。
「藍叔父さんも頭を抱えてるぞ。早く安心させてやれ。ひとまず付き合うくらいはしてみろよ。まずは三カ月くらい付き合ってみて、それから答えを出したって遅くないだろうが」
「私のことより阿澄はどうなの?」
「話を逸らすな!」
「気になるんだもの。ね、どうなの?」
「今日は曦臣が報告があるって言うから来てやったんだぞ。俺の話はどうでもいいだろうが」
この二人のやり取りは毎月恒例と言っていい。
曦臣は姑蘇藍グループの御曹司だ。江澄の実家も藍家程ではないにせよ裕福な部類だったため、企業間のパーティーによく連れ出され、幼い頃から交流があった。家も近く通っている学校も小学校から大学まで同じで、所謂幼馴染という関係だ。
同い年である忘機とはどうも何を話していいかわからず仲は深まらなかったが、年上の曦臣は孤立しがちな江澄をよく気にかけてくれた。江澄も何くれとなく甘やかしてくれる曦臣を兄の様に慕っていたのだが、社会人となった今ではその立ち位置はやや変化している。
「阿澄は彼女つくらないの?」
「はっ!じゃあ㬢臣の見合い相手を紹介してくれよ。今まで㬢臣が振った女と家庭を築いて幸せを見せつけてやるよ」
江澄が運ばれてきた唐揚げにレモンを搾ろうとし、曦臣は自分の分の唐揚げを小皿に避難させた。
「…だめ」
「何だよ、一人くらい紹介してくれてもいいだろう?」
「嫌だよ。阿澄は女性を怒らせる天才だもの。紹介した私が刺されたらどうするの」
「酷い言いようだな。それがわざわざ金曜日の夜に相談に乗ってやってる幼馴染に言う言葉かよ。この鬼畜め」
「じゃあ、阿澄はどんな人が好きなの?」
「昔っから言ってるだろうが、いい加減覚えろよ。清楚系美人で色が白くて綺麗な黒髪で、優しくて俺の愚痴に笑顔で付き合ってくれるような穏やかな人だよ」
「進歩しないなぁ、阿澄は。そんな人、ドラマとか映画の中にしかいないよ」
「いるかもしれないだろうが。曦臣の見合い相手にそういう女いないのかよ」
「いないよ」
「本当か?じゃあ、今回振る予定の女の写真、見せてみろよ」
「嫌」
「何だ、俺が先にゴールするのが怖いのか?」
「そうじゃないけど、今回の人は阿澄とは絶対に合わないよ」
つい先日見合いをした女性は色白で長い黒髪を綺麗に編み込んだ清楚な女性だった。おっとりとした物腰に優しげな雰囲気を纏い、いかにも大事に育てられた令嬢といった印象だった。だから話をしながらもずっと「これはまずい」と思っていた。
江澄の好みの女性かもしれないと。
そう思うと、彼女との話には全く身が入らなかった。表面上は上手く取り繕えたが、庭園をゆったりと歩いている時も心中穏やかではなかった。
この女性と江澄が出会ったらどうなるだろうか。江澄は理想の女性が現れたと普段の口の悪さをひっこめ、不器用ながらも必死に優しさを見せるかもしれない。そうしたらこの女性は江澄を受け入れてしまうかもしれない。二人が相思相愛となり結婚したら、幼馴染にかける時間などなくなってしまうかもしれない。もう二人で自由に遊ぶ時間はなくなってしまうかもしれない。
見合いの席だというのに、目の前の女性との将来よりも、幼馴染との関係のことばかりを悶々と考えてしまったのだ。こんな思考に陥るのは別に今回に限った話ではない。曦臣と見合いをする女性は器量がいい人ばかりだった。どの女性と結婚してもそれなりに良い家庭を築けるだろう。だが、いざ家庭を持つという思考になった時、必ず江澄の事が頭をよぎる。
「やっぱり俺に先越されるのが嫌なんだろ?だったらもだもだしてないでさっさと決めちまえよ」
「そうじゃないよ。でも結婚するって実感が湧かなくって。阿澄は結婚したいの?」
「まぁ、いずれは…な。なあ、見合い相手どんな女だったんだよ」
あの女性が江澄に凭れ笑ってる姿を一瞬想像した。すると身体の血がゼリー状となって胃に溜まり重くなっていくような、何とも言えない気持ち悪さを覚えた。
「そんなに気になる?」
「何だよ、もったいぶるなよ。見せろって」
「今持ってない」
「あぁ、そうかよ。じゃあ叔父さんに頼むわ」
「駄目!」
自分でも予想外に大きな声を出してしまい、隣の席の男性客が迷惑そうな顔でこちらを睨みつけた。
「そんなに見せたくないって思うなら、本当はその女のこと気になってるんじゃないのか?いいから、ちょっとだけでも付き合ってみろよ。そうじゃなきゃ、俺が叔父さんに頼んで紹介してもらうからな」
「阿澄がそう言うなら…付き合ってみるよ」
渋々頷くと江澄は「そりゃよかった」と言ってレモンハイを一気に飲み干し、すぐ様店員を呼んでレモンハイを追加注文した。
「今度飲みに行くときは祝杯になるといいな。そうなったら俺のおかげなんだから奢れよ」
「うん、わかった」
ニヤリと笑う江澄の目が悲しみを帯びていたことに、江澄の胸中を知らなかった曦臣が気づけなかったのは無理ないことだった。
「ちょっと仕事の電話してくる。先に食ってていいぞ」
「うん」
店を出て念のため向かいまで歩くと、江澄はある番号に電話をかけた。
「もしもし、今大丈夫ですか?」
『ああ、江澄。大丈夫だ』
「頼まれてた件、曦臣は一応付き合ってみると言いました」
『そうか。本当にいつもすまないな』
「慣れっこなんで別にいいですよ」
『全くいい歳して曦臣はまだ腹を決めないのだからどうしようもない…』
電話の向こうで盛大な溜息が聞こえる。
そのどうしようもない甥の将来を心配し、見合いを設定して結婚までレールを敷こうとする過保護っぷりも中々にどうしようもない気がする。しかし、藍家の事情を知っていればこの必死さにも多少の理解はできた。この叔父からすれば、自分の兄のような泥沼の結婚劇というスキャンダルは二度と御免なのだろう。
「そんなに焦らなくたって、曦臣なら相手なんて選り取り見取りでしょう」
『曦臣は付き合っても何故か長続きせんのだ。先手先手を打っておかないと』
流石にそこまでは手助け出来ないけどな、と思いながら「大丈夫ですよ。少し時間が必要なだけでしょう」と適当に慰めの言葉を投げ通話を終了させた。
携帯の画面から店へと視線を移すとその先には曦臣がいた。メニュー表をパラパラと捲っている。江澄が帰って来るのを待っているのか、小皿の上の唐揚げにも、新しく運ばれてきた土鍋料理にも手をつけていない。
鼻筋から唇と顎のラインがこれ以上ない程綺麗に並んだ横顔だ。ずっと見続けてきた横顔だが見飽きるということはなかった。これからも見飽きるなんてことは決してない。
(きっと皺くちゃのジジイになっても曦臣は綺麗なんだろうな)
こちらの視線に気づいたようで、曦臣が笑いながら小さく手を振っている。こっちだけを見て笑う曦臣の顔。その顔が世界で一番愛しいものだと自覚したのは、江澄が中学生の頃だった。