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    小栗ビュン

    HQ🏐東西(左右固定)

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    小栗ビュン

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    6話中1話目。西谷夕編。

    #HQ
    #東西
    eastWest
    #東峰旭
    dongfengxu
    #西谷夕
    nishitaniYuki

    海獣のバラード~人の子~世界に同じ顔した人が三人いるという迷信は聞いたことがある。けれど、同じ顔をしたやつとなんて出会ったとこがない。会いたくもない。けれど、恋人と同じ顔した人なら少しだけ見てみたい。

    「うちの旭さんの方がかっけぇだろ」って言ってやれるから。

    そんなことを考えているうちに、それでは恋人に対して失礼なのかそうではないのか、わからなくなってきて陸路の移動中に眠ってしまっていた。なぜそんなことを考えていたのか。

    この時点で、俺はもう、呼ばれていたのかもしれない。

    西谷夕は今、北海道を縦断していた。




    遡って昨日のこと。

    「今度は北海道の先っぽに行ってきます。」

    「マジか、締切が迫ってなかったら一緒に行ったんだけどなあ。」

    久しぶりの国内の冒険に、心配性の彼氏が安心と悲しみを合わせた複雑な顔をしていた。旭さんは止めても無駄ということを知ってくれている。その上で、時々渡航するのに細心のチェックを俺にしてくれる。毎日の世界情勢が変わるのは肌で感じているし、そんな中で出会う人達との時間がダイレクトに教えてくれる。日本て小せえなってつくづく思うけれど、日本てやっぱ寝る場所にはいいよなって思ったりする。一番の寝床は、旭さんといるベッドだ。それに限る。

    「いつ行くの。」

    「明日。」

    「はあ、またそうやってすぐ飛び出す。行くこと決まった時点でもう報連相はしなさいって言ってるのになあ。」

    また少し伸びた髪を掻きながら、旭さんが困っていた。困らせているのは俺なんだけど。わかってる。困らせている。わかっているけど、旭さんもわかってくれているから、俺は世界に飛び出せるわけだ。

    「で、なんで北海道なの。」

    「めっちゃ凶暴なシャチが見れるらしいんすよね。」

    「えー…やめなよそういうの。」

    「いや、凶暴になる理由があるんだろうなって思って。」

    「、」

    旭さんは煮物が上手くなった。今日は鶏肉と大根を煮てくれた。最初に大根だけ茹でておくといいんだよ、なんて言ってたけど理論的な部分はわからない。でも輝くほどに茶色くなっていて、味が染みている。超美味い。
    俺はフライパンで焼くぐらいしかできないし、基本的に焼くなと言われている。だいぶサバイバルしてきて上達したんだけど、家の中ではあまり家事をかせてくれない。服を畳むのは旭さんの方が勿論上手いし、物をしまうのも上手い。ただ、起きられない。寝るのも遅い。一緒に住めるようになって、改めて自分達の不得意なことが目に見えたものだった。

    「依頼された仕事じゃないんだろ、それ。」

    旭さんは俺をよく見ている。俺の考えを汲んでくれることが多いというか、それが自然なコミュニケーションのひとつになっている。俺は良い彼氏を持った。

    「そうっす。俺の第六感みたいなのがビンビンして、いかなきゃって。」

    「出来るだけ、早く帰ってきなよ。」

    「はい。」

    旭さんはコラーゲンたっぷりの鶏肉を箸でつつきながら溜息を吐いた。その後に、少しだけ笑った。

    「国内にいると思うと、なんか、よけい寂しくなるかも。」

    この瞬間の旭さん、可愛かったし、嬉しかった。


    まあ、そんなわけでその夜はとても激しかった旭さんだった。お陰でいつものことだけど出発時間まで旭さんは起きないし、俺もうっかりするとこうして移動中に寝てしまうわけ。高校生の頃の旭さんて、下半身が物凄く強いからぶっ壊されるんじゃないかって毎回思ってたけど、俺自身も相当な程に旭さんの受け止め方が上手かったんだろうなと今になって思う。次の元旦で27歳になる旭さんは、プレイが物凄く優しくなった。昨日の夜もそれで止めるに止められなくて割と朝までぶっ続けだった。その辺は優しくないけど、ひとつひとつが丁寧になった気がする。愛だろ、愛。

    10月、北海道に上陸、快晴。目指すは北海道の先っぽの方。空路を終え、陸路を終えて到着した頃には昼過ぎ。更に目指すはソロキャンプが出来る海の近く。町の港をうろついて、噂のシャチの話を聞き出すことを開始した。
    何せ人が歩いていないのでなかなか情報を得られず、やっと捕まえたおばあちゃんに話を聞いたついでに飯をご馳走してもらった。魚の煮付けの味がちょっと濃くて、薄味にしがちな旭さんがもう恋しくなった。そのおばあちゃんの話によると、夜な夜なシャチが歌いに出てくるそうだ。そして歌に誘われて寄ってきた人間を襲い、海に引きずり込んでいくんだとか。シャチの鳴き声は聞いたことがある人はいるらしいけど、この小さな町の人間が襲われたことはないらしい。

    「迷信だな。」

    しかし、鳴き声がした後の朝方には、鳥や魚、時にはサメなどを食い散らかした跡が残っているそうだ。水族館で見るイメージが強い反面、サメやクジラすらも襲って食べるという情報に驚きと興奮を覚えた。

    「迷信が大陸から伝わる時に肥大しちゃった感じかなあ。」

    人間を襲うなら何かしらのニュースになるだろう。危険区域にもなるだろう。

    「せっかく来たならひと目見てかなきゃな!」

    写真を撮れたら、旭さんにも見せてやりたい。シャチと撮れたら尚更いい。
    波が被らない辺りにテントを張った。夜はきっと寒いからって言って旭さんがデザインした防寒着を持たせてくれたんだ。凄いだろ。いいだろ、これは世界で一着だけの俺仕様だ。
    テントを張ると早速体ひとつで海を見に行った。潮風が本州のもとはまた違う気がする。島が見える。少し泳いだら隣の国に行けそうだと思わせる。そういう島は、旭さんのハートぐらいにデリケートな関係なものが多いから、俺が泳いでいったら話が拗れるのは知っている。伊達に弾丸していない。岬をうろうろとしていると、鼻の先に生臭い匂いが掠めていった。その匂いを追いながら足を動かす。岩をいくつか超えて砂浜に降りた。

    「おわっ、」

    そこに見えたものは、小さな小さな砂浜に打ち上がった、何かに頭から食われて無惨な姿になった小型のサメだった。一頭だけではない、群れを捕まえて食い尽くしたような状態だ。

    「これは……、」

    おばあちゃんから聞いた話と似てる状態だな。これは今さっきという匂いでもない。一晩経ったぐらいだろうか。

    「んんん、」

    水族館でしか知らなかった生き物の荒々しさを垣間見て、物凄く興奮した。絶対会って帰ろうと思った。今夜ももしかしたら現れるかもしれない。とりあえず旭さんに着いたことを報告して、限界まで浜辺を眺めていることにした。時折テントに戻り、ソロキャンプ用の道具を引っ張り出し、インスタントラーメンで腹を満たす。こんなものではまず満たされないのだが。日が暮れる時の海の美しさは、どこの国で見ても美しい。夕日を見ると、いつも部活帰りの自分の姿を思い出す。旭さんや龍、翔陽たちと騒ぎながら過ごした。夕日を見られる日の方が少なかったくせに、何故かあの頃を思い出させる。

    「まあ、どこの国の朝日もいいけどなあ。」

    更に時間は進み、星の明かりしかなくなる頃には寒くなってきた。防寒着を取りに戻ろうか迷っている時、猫が鳴くような声を耳にした。辺りを見回しても猫も犬もネズミだっていない。フナムシが少しいる程度だ。猫よりも長く高く鳴いている気がする。浜辺に降りて暗い海の方に目をこらす。その声は海の中から聞こえてくるようだった。我慢比べは得意だ。見えるまで待つ。冒険に必要なことのひとつだ。

    「でも、」

    待つだけじゃなくて。

    「おーーーーーーーい!!!」

    飛び込むのも必要だと思うんだ。

    いつまでも鳴いているなら、こっちも鳴いてみるだけ。すると不思議な鳴き声は止まってしまった。失敗したか。逃げられたか。賭けに負けたか。砂利を踏んで更に目をこらす。瞬きを忘れて目眩を起こしそうだ。不定期な中に定期的な動きがある波を寄せる。足首まで波が届いた時だった。

    「っ!」

    水面に黒よりも美しい、光る尾ひれを見た。天に向かう鋭い刃のようだった。何よりもデカい。旋回しているようだった。尾ひれと一緒に背中も見えたり隠れたりする。武者震いをしたんだ。食われて終わる人生かもしれないけど、足が前に出ちゃうんだよな。明日には、この小さな浜に俺の片足とか転がってるかもしれない。

    「おーーーい!!」

    でも、行っちゃうんだよな、俺。

    ざぶざぶと音を立てて冷たい海に腰を浸ける。旭さんからもらった防寒着、置いてきてよかったよ。引き裂かれちゃうのはちょっとせつない。だったら残った足と一緒に棺桶入れて欲しいかもね。

    二回呼んだ後に、尾ひれが一度消えてしまった。けれど海の中にはいる。近くにいる。その証拠に、いるであろうと思われる辺りの水面の波の動きが他とは違うんだ。

    じっと待つ。

    待つんだ、俺。

    多分大丈夫だから。

    逃げなよって旭さんには物凄く怒られるだろうけど。


    「きた、」

    水面が盛り上がる。そして現れたのは、人間よりも大きな人間だった。しかも誰かに似ている。似ていると言うより、そのままの顔だ。

    「旭さん。」

    肩まで出てきたところで、旭さんの顔をした巨人が俺をじっと見てくる。

    「旭さん?」

    今まで旅した場所でも不思議なものとか、この世のものなのか判別つかないものを見た気がするけど、これは明らかに図鑑とかに載ってないパターンの現象だ。

    「ユウ。」

    旭巨人が喋った。喋ったというより、あれだ、直接脳に話しかけている、ってよく漫画とかで見るやつだ。マジで頭の中で旭さんの声がする。ちょっと響いてる感じ。

    「そっす、西谷夕っす。」

    「…ノヤ?」

    困惑しているような感じもする。

    「ユウでいいっす。旭さん?」

    聞いてみたら、

    「アサヒ。」

    頷いた。そうか、こっちは“アサヒさん”なんだな。

    黒いものがぬっと現れて、俺の体は縛られるみたいに何かに捕まった。腕だ。俺、小せえな。いや、アサヒさんがでかいだけだ。アサヒさん、顔もでけえな。言ったら落ち込みそうだから言わないけどさ。食われるのかな。終わりかな。旭さんと同じ顔をしたアサヒさんに食われるならそれもいいか。でも、陸で待ってる旭さんは悲しむ気がする。俺が帰ってこなかったら、悲しむ気がする。一生自己嫌悪を背負っている気がする。それは嫌だな。死にきれないな。足だけになった俺、足だけでも帰りそうだな。そんなことを考えていたら、両手で掴まれていることは分かった。手の形をしているが、水掻きがあって鋭い爪も見える。俺の小せえ体なんか、直ぐに切り刻まれて終わりだな。

    でも、アサヒさんて、そういう顔はしてないんだな。

    大きな顔だけど、俺の事をずっと見てくる。まるで夢を見ているような、多分うっとりって言葉が似合うような。そんな顔をしている。それから、少しだけ泣きそうな顔にも見える。アサヒさんは、俺を知っているのだろうか。

    「ユウ。」

    「はい、」

    「会いたかった。」

    「、」

    会いたかった?俺、こんなデカいアサヒさんに会ったことあったかな。無いな。シャチならいつか水族館で見たことはあるけれど、多分違うシャチだ。こんなにデカくない気もする。なんだろう。アサヒさんを見てると、寂しくなる。嬉しそうにしてるのに、俺が寂しくなる。何でだろう。

    「会いたかったよお。なんでいなくなっちゃうんだよお。」

    「え、え、」

    掴まれたまま、大きな顔に頬ずりされる。俺はいなくなったのか。やっぱり会ったことがあったのか。違うな。何かが少し違う。俺であって、俺じゃないような、そんな感じがする。それから、アサヒさんの目からぽろぽろと大きすぎる涙が零れてきた。俺の顔にも思い切り被る。塩気が強い涙だった。でも、とても温かい。涙ってこんなに温かいんだな。

    アサヒさん、俺のこと、探してたのかな。

    「ダイチとスガも待ってるよ。」

    「え!?」

    まさか、大地さんやスガさんまでいるのか。俺のその声に、アサヒさんは嬉しそうに目を線にして笑った。それから、めちゃくちゃひろい胸に抱きしめられたんだ。その後に、キスされてた。ちゃんと髭も生えてて、ああ、やっぱり旭さんなのかなって思っているうちに、キスされた。口の中に何かを吹き込まれた。空気のような、体が軽くなるような、めちゃくちゃ軽いバレーボールを吹き込まれたように、体の中が軽くなるようなものだった。量が多くて、ちょっと口から漏らしちゃったけど。

    「行こう。」

    思わず、「はい」って言いそうになってしまったけど、言う間もなくアサヒさんは俺を抱いたまま、なんと海の中へ潜った。塩っぱいし砂利が口に入るし、最初は焦ったけれど、体の中に吹き込まれた何かのせいなのか、海の中でも肺呼吸が出来る摩訶不思議な状況になった。巨大な旭さんみたいな顔の人に会ったことも摩訶不思議でしかないんだけど。

    「、」

    海の底の方へ向かってアサヒさんは泳いでいく。足の方を見ると、なんとアサヒさんの腹から下はシャチそのものだった。尾もある、ヒレもある。それから、見たことがあるような不思議な模様も腹や腕に見えた。見たことあるんだよな、習った気がするし、見たこともある気がする。考えているうちに、アサヒさんが話しかけてきた。

    「ユウは、人間になったの?小さくなったね。」

    「はい、俺は人間っす。」

    「そっかあ。」

    アサヒさんは大きく尾と背中に力を入れてしならせると、水中をぐんと勢いよく泳いだ。見たこともない形の魚や、魚群、蛸も見た。みんなが俺を見ている気がした。

    アサヒさんは何メートルぐらいの大きさだろうか。とても大きい。十メートルぐらいあるかもしれない。腕の模様を眺めているうちに、何かで切り裂かれたような傷も、鋭いものが突き刺さったような痕もあった。アサヒさんは、どのぐらい生きているんだろう。長い時間を生きてる感じなのかな。シャチの寿命ってどうだっけ。色々と考えているうちに、景色がまた変わり、魚達がいなくなった。ゴツゴツとした岩が海底から顔を出していた。まるで古いお城を真上から見ているようだ。いつかの時代にあった何かが、沈んでいったものか。色んな可能性と不思議が溢れていて、ちょっとチビりそうになるぐらい興奮した。

    「ダイチぃ、スガぁ、」

    アサヒさんは知ってる名前を呼んだ。龍はいるのだろうか。ちょっとだけ見たい気がする。そしたら、潔子さんもいるのか。潔子さんの人魚とか、やべえだろ。エロい。

    あれ。今なにか、大事なことが分かりかけたような気がする。

    考えを整理しようとすると、アサヒさんよりは小さい体をしたスガさんの顔した、イルカっぽいのが現れた。その後に、真っ黒の体を持った大地さんの顔をしたクジラみたいなのが現れた。こうして見ると、アサヒさんはめちゃくちゃデカいようだ。スガさんが一番小さいかな。そして、俺が物凄くやばい程に小さい。

    「うわぁ、ユウ!」

    西谷って呼ばれないあたりはちょっと不思議な感じがするけど、でも響いてくる声はスガさんだった。

    「いやあ、人の子じゃん。」

    「ユウだよ。」

    少しだけムキになるような、アサヒさんの声だった。冷静に俺を見たダイチさんは、やっぱり大地さんぽいな。こっちのダイチさんもスガさんも筋骨隆々。スガさんは尻尾まで白くて、逆にダイチさんは真っ黒だった。

    やっとこれが人魚というものなのかと思った。俺は今、冒険して見つけて、交流をしている。すごい場面に遭遇している。しかも、俺の知っている人達にとても似ている顔をしていた。いやでも、これって俺がそう見えてるだけなのかな。でも、アサヒさんは俺のこと知っているようだし。

    あれ、俺のことを知っている?

    「、」

    また何かを思い出したような気がしたのだが、すぐに泡みたいに消えていく。

    「お前人の子さらって来たの?だめだよ、また銛で刺されるぞ。」

    「刺される?」

    ダイチさんが言ったことに、俺はアサヒさんの手の中で驚いた。迷信は現実なのだろうか。旭さんの顔をしたアサヒさんが、人をさらって食べるだなんて、やっぱり嫌だな。

    「こいつさ、デカいしこんなだからさ、仕方ないけど。浜に近づく度に人間に追い返されるわけ。」

    シャチだもんな。まあ、ビビるよな。普通の人間だったら、あっちへ行けって言いたくなるんだろうな。

    「浜に近づくサメを食ってるだけなのになあ。」

    アサヒさんが肩を落としながら言う。こっちのアサヒさんも、誤解されがちなようだ。俺の知ってる旭さんだって、よかれと思ってしようとすることで何故かビビられてるもんな。みんな旭さんのこと知ろうとしないから、ただビビって終わるんだ。もったいないよな。

    まあ、おかげで彼女ができる前に、付き合えたのかもしれないけど。

    いや、俺っぽくないな、今のは。撤回しよう。俺も旭さんも、俺と旭さんだったからこうなったんだ。

    アサヒさんは俺を手にしたまま、じっと見下ろしてくる。期待をするようで、何か言いたそうな顔をしている。こういう可愛いところも、かなり似ている。こういう顔の時って、旭さんは何て話しかけてきてたっけ。いや、何か言う前に、俺のこと捕まえて、甘えてくるんだ。大きな犬みたいに体を寄せてきて、静かに甘えてくる。それからキスをくれて、キスを返してやると、物凄く嬉しそうに笑う。そういう時の顔を、目の前のアサヒさんがしている。こういう場合、俺はアサヒさんとキスをしたら、旭さんに浮気されたって言われるのかな。浮気になるのかな。不倫かな。

    キスは出来ないし、サイズ的に何もしてやれないけど。

    「、」

    まあ、触れることは出来る。アサヒさんの頬に手を伸ばす。水の中だから当たり前だけど、やっぱり感触はちょっと違った。
    それにしても、俺の手、小せえな。

    「ユウ…、」

    下の名前で呼ばれるのって、あんまりないからな。慣れない。でも、アサヒさんの声は旭さんと同じだ。見上げると、アサヒさんは泣きそうな顔で俺を見ていた。いや、海の中だから、泣いてたらわからないか。泣いてるのかな。

    「おい、アサヒ、間違っても食うなよ、交尾しようとするなよ。ちんこ出すなよ。」

    「っ!」

    スガさんの声にアサヒさんは顔を赤くしてふたりのほうを見た。大丈夫、泣いてないだろう。下半身がシャチだけど、ちんこはあるんだなって思った。普段はしまってるのか。十メートルの体に対してちんこはどのくらいあるんだろうか。考えるの、やめよう。

    「もう少ししたらまた来るから、その時はちゃんと陸に帰すんだぞ。」

    「わかってるよ。わかってる。」

    またせつない顔をする。今度こそ泣きそうなくらい、せつない顔だ。スガさんとダイチさんが水を尾で蹴って泳いでいった。あのふたり、海の中でも一緒なんだな。海の天井のほの暗く明るい方へと泡がのぼっていった。

    ダイチさんとスガさんか。

    「あ!」

    「なになに、どうしたの。」

    わかった。わかったぞ。
    思いついて忘れていっていたことを思い出した。ダイチさんとスガさんもいて、アサヒさんもいる。そしてアサヒさんは俺を見てユウと呼んでいる。会いたかったって言ってた。つまり、海の中にも俺がいるってことか。

    やばい、海の中の俺、見てみたい。

    「アサヒさん、海の中の俺はどんな姿でしたか。」

    聞いてみると、アサヒさんは顔を明るくさせた。

    「可愛いんだ。すごく、可愛いんだあ。」

    「、」

    俺に甘えくれる時とか、照れる時の旭さんの顔と一緒だった。

    「俺は、シャチ?サメ?」

    「イルカ。」

    あれ、なんか意外だな。もっと攻めてる感じのやつだと思ったのに。

    「いつ会ったんすか。」

    「ええと、いつだったかなあ。十年…んん、三十年くらいは経つかな。」

    「そんなに!?」

    三十年も生きてない。少し足りない。俺は今二十五歳だ。よくわかんないけど、輪廻転生ってやつをしていたら、アサヒさんが探していたユウは死んでしまっている。いや、でも、旭さんは生きてるし、ここにアサヒさんもいる。

    「人魚は長生き過ぎるから、何年生きたとか忘れちゃうんだよね。」

    「人魚すか、かっけぇ!!」

    「ははは、言ってなかったっけ。」

    こうして話していると、ああ、アサヒさんは旭さんなんだなとも思える。だからアサヒさんは、俺にユウも求めてるのかもしれないな。でも、俺はアサヒさん達に比べたらあっという間に死ぬんだろうな。俺の何回分の一生を、アサヒさん達は生きるんだろう。今度は俺がせつなくなってきた。胸が痛い。俺がじいちゃんみたいなじいちゃんになったら、旭さんはそれでも愛してくれるかな。アサヒさんはどうだろう。もし、俺だけがじいちゃんになって死んでいくことを見ていくことになったら、どんなふうに何を感じるんだろう。

    人魚って、一生に何回、どんな相手に恋をすればいいんだろう。

    「……あのさ、」

    アサヒさんのデカい指が俺の頬をゆっくり撫でた。爪が当たらないように、優しく、優しく。皮膚の下にある涙が押し出されそうだった。

    「また、ここに連れてきていいかな。」

    「アサヒさん、」

    それからゆっくり顔が近づいてきて、唇の先で俺の頬を擦ってきた。これはキスになるのかな。イルカの人魚の俺は、そういうこともしてたのかな。してたんだろうから、アサヒさんは俺にもしてくるんだろうな。

    「ごめん、いいんだ、口約束で。また会えるんだろうなって思えるだけで。」

    アサヒさんはそう笑って言ったけど、全然笑えてなかった。そういうところ、下手くそなのも同じだな。全然それでいいだなんて、思ってないくせに。

    「ちょっと泳ごうか。大丈夫、ちゃんと帰すから。」

    「はい!」

    アサヒさんは俺を掴んで、海の中を案内してくれた。まだ見つけられていない大昔の沈没船だとか、北の海でしか見られない魚たち。それから、水面下から見る夜空。暗いのに光っていて、海の天井が優しく揺らいでいた。それから今度は俺が陸の話をしたんだ。何にでもビビるアサヒさんは可愛くて、やっぱり旭さんを見てるみたいで、愛おしいというか、恋しいというか、たまらない気持ちになった。この世のアズマネアサヒが全部幸せだったらいいのに。そんなふうに思ったんだ。

    星が光を零すなら、人魚は涙を空に向かって、のぼらせるのかもしれない。

    俺を優しく優しく掴んで、大きな胸に添えるように抱いた。全ての時間を惜しむように、静かに抱きしめて、言ったんだ。

    「ああ、帰したくないなあ。」

    アサヒさん、やっぱり泣いてた。

    「ダイチもスガも、もうすぐ来るだろうな。」

    涙が天井に向かって、泡になってのぼっていく。

    俺はユウじゃいないのに、泣いてくれるんだな。アサヒさんにとって、そのイルカの人魚はなんだったんだろう。海の中の俺は、一体何をしているんだろう。こんなに泣かせて、馬鹿なんじゃないか。

    「アサヒさんは、呼んでたんですよね。ほら、高い声で海の外へ鳴いてた、あれ。」

    「ああ、……うん、いつか、応えてくれるんじゃないかって思うとね。」

    「また呼んでください、俺また来ますから。絶対。」

    「ユウ……、」

    ああ、泣いちゃった。超大粒の涙がのぼっていく。アサヒさんの髪が、ワカメみたいに踊っている。東京の旭さんのところに帰ったら、ワカメって言ってやろうかな。

    アサヒさんが言ったんだ。

    「食べてしまいたいくらい、好きだ。」

    そしたら、

    「やめとけ。」

    ダイチさんが来たんだ。

    「その子は、人の子だ。」

    スガさんが言った。

    「勝手に人魚になんて、させられないだろ。」

    人魚になる?

    アサヒさんが俺を見た。目で、ごめんと誤っている。でも、謝れない口もあるらしい。またとてもせつなくなった。

    「俺、食われると、人魚になれるんですか。」

    ダイチさんに聞いてみた。

    「食べられて死んだら、人魚に生まれ変わるだろうな。陸には、上がれなくなる。」

    そしたらスガさんが先に答えた。ダイチさんが頷いた。そういう社会なのか。伝説が伝説を増し増している気がする。

    「この子の人生は、お前のものじゃない。」

    ダイチさんが言った。そしたら、昨夜の旭さんの顔が浮かんだんだ。それから、結婚しようって言ってくれた時の旭さんの顔。すごく真面目な瞬間だったのに、堪えきれず顔を真っ赤にして手で顔を覆ってた。ひとりで言って、ひとりでパニクってた。そんな瞬間をひとつひとつ思い出した。

    俺は、俺の人生を進んでいる。
    でも、俺は、俺だけで進んでいるわけじゃないんだ。
    好きな人も、まだ会いたい人も、これから出会うはずの何かも、まだたくさん持ってる。ここでアサヒさんに俺の残りの人生を与えてしまうのは、また違うと思うんだ。

    じゃあ、俺はアサヒさんに、何をしてあげられるんだろう。

    世界へ飛び出した俺が出来ること。

    少し考えてみたいと思うんだ。陸に帰ったら、旭さんに今日のことを話したい。

    「とりあえず、次はみんなでバレーボールしますか。」

    水中でサーブを打てるのかは知らない。トスが上がるのかも知らない。沖に出れば、水面から出て遊べるかな。

    「明日また来ます。迎えに来てくださいね。」

    「ユウ!」

    勢いよく頬ずりされた。潰されるかと思った。

    俺が出来ることってなんだろう。


    それから、アサヒさんは俺を抱いて静かな海に顔を出し、浜に近いところで俺を降ろしてくれた。ダイチさんとスガさんが手を振って、水面に消えた。アサヒさんはまだ俺を見ていた。眉毛が下がったままで、泣きそうな顔をして、笑っていた。

    水面上には、ふたつの瞳だけが光ってた。
    俺の姿が見えなくなるまで、光ってた。

    なんだか旭さんの声が聞きたくなって、今度は俺が、少しだけ泣いた。

    人魚の恋って、どうやってするんだろう。

    誰かを好きになるって、どうやればいいんだっけ。














    続く
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    小栗ビュン

    DONE東西真ん中バースデー!!
    大人時代からさらに十年後の東峰旭とモブ女子の会話。
    十年後のバースデー「東峰さん、お疲れ様でした。」

    春の新作の発表を無事に終えることができて、そのお披露目ショウが終わった会場でただ立ち尽くしていた時だった。後輩の女子社員から労いの言葉を貰い、ふと我にかえる。

    「ありがとう、細かいところも手伝ってもらえて、本当に助かった。」

    いつの間にか後輩が出来て、追い抜かれたりする焦りも感じて、あっという間の十年間だった。ヘーゼルナッツのような色の柔らかい髪が、微笑んだ際に揺れた。

    「お疲れ様でした、先輩。」

    「ありがとう。」

    それからちらほらと後輩がやってくる。片付けを手伝ってくれる事務所の後輩達を見ていると、つい最近まで一緒にコートの中にいたあいつらを思い出す。あの時から、倍の年齢を生きている。三十代はあっという間だなんて言うけれど、全くその通りだった。俺は最初に入ったデザイン事務所に籍を置きながら、フリーの仕事も手がけて生きている。アパレルデザイナーだけあって、皆個性的な服で働いている姿を見ると、あの二色で統一されたユニフォームを着た排球男児が恋しくなるのは何故だろう。大きな仕事を終えた日に限って、何故懐かしむ感情が強くなるのだろう。
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