漫画みたいに、タイムリープ、できたらいいのにね。「皿うどん食べたい」
スーパーで買い物をしていればそんな声が聞こえてきて、玲太はカートを押す手を止めて振り向いた。
声の主は数十種類以上の乾麺が陳列されている棚を眺めていて、その中の一つを手に取ると「ん」と玲太へ差し出した。
「皿うどん? 実、麺類ニガテじゃなかったか?」
「啜るのはね。でもそれはパリパリの麺だから」
皿うどん。魚介や豚肉、野菜がふんだんに使われていて、熱々のあんが揚げ麺に絡み、パリパリとした触感が楽しい長崎の郷土料理だ。玲太も数回食した事があるそれを食べたいとご所望の恋人は短く「ヨロ~」と告げると嬉々とした様子でお菓子売り場へと歩いていく。
(皿うどんねぇ……)
手の中にある袋麺を裏返し、玲太は皿うどんの作り方に目を通す。――あん掛け系の料理は何度も作っているし、材料も冷蔵庫にあるもので代用できる。さほど難しい料理ではない。
玲太は改めてカートを押し、店内を歩く。買い物メモに書き記してある食材をカゴに入れるついでに、皿うどん用の冷凍魚介ミックスを追加してレジへと向かう。
会計列に並んでいればどこからともなく実がやってきて、カゴの中にどさどさと菓子を入れたので――玲太は思わず「子供かよ」と吹きだした。
「買ってもイ?」
「いーけど……ピスタチオのヤツばっかじゃん」
「そ、どれも新発売のヤツ。ピスタチオのチョコにハズレなし♡」
まるで名言でも吐いたように得意げに鼻を鳴らし、実はレジをぐるりと大回りしてサッカー台の方へと歩いていく。
玲太が会計を終えるのを、サッカー台の横に立って待つのが実のルーティンになっている。
背が高く、無駄にスタイルのいい男が、サッカー台で袋詰め作業を行っている主婦たちに紛れて突っ立っている姿は、何度見ても面白い。
顔なじみの店員にレジを通してもらい、会計をしていれば横から実の腕が伸びてくる。そのまま商品が詰まったカゴを攫っていって、サッカー台で持参したエコバッグに商品を黙々と詰めていく。
こういうのを、暗黙の了解で行えるようになったこと――随分と所帯じみてきたなと玲太は思った。
◆
買い物から帰宅すれば、もう十七時を過ぎていた。
食材を冷蔵庫にしまい終えた後、ようやっと夕食の準備に取り掛かる。
家事は分担ですると早く終わる。なので、玲太が食事を作っている間、実は洗濯物を畳んだり、浴室の掃除を担当する。
玲太は「さて、」と呟き、ワークトップに皿うどんの材料を並べ、腕まくりする。
野菜を洗って、それぞれ順番に切っていく。
人参は半月切り、白菜の葉三枚をざく切り、玉葱をくし切りに、蒲鉾は適当に。
豚バラスライスの目安は一〇〇グラムと書かれているが、肉は多ければ多いほど実が喜ぶので、気持ち多めに用意する。
冷凍魚介ミックスを水に浸して解凍している間に、深めのフライパンで肉と野菜を炒めていく。
ある程度野菜がしんなりしてきたところに解凍した魚介ミックスを入れ、しばらく炒める。
全体的に火が通ったころ、六〇〇CCの水に鶏ガラスープの素、薄口しょうゆ、砂糖、和風だしを適当に入れ、そこに片栗粉を投入しよく混ぜ、フライパンにゆっくりと回し入れる。
あんをよく煮立たせ、とろみがつけば出来上がり。
キッチンにふわりと皿うどんのいい香りが漂っている。深めの皿に細麺を乗せ、食べやすいように軽く砕いていれば、家事ノルマを終えたらしい実が眼鏡に水滴をつけたままキッチンへとやってきた。
「わ、いいニオイ。腹へったー」
「ちょうど出来たとこ。好きなだけあん盛れよ」
「ハーイ♡」
嬉しそうに返事をし、手を洗ってから、実は用意してあった皿を手に取るとお玉であんを掬う。
自分のぶんの皿にあんを選って、肉と魚介を多めに盛っていく実を横目に見遣りながら、玲太はテーブルに箸やグラス、ウォーターピッチャーを並べていく。
そうしていれば、二人分の皿うどんを手にした実が鼻歌混じりにテーブルまで移動してくる。
「玲太のも盛っといた」
「サンキュ。じゃあ食おうぜ」
テーブルに向かい合って座り、二人して手をあわせ「いただきます」と声を合わせる。
香ばしい匂いがする皿うどんに箸を落とせば、ぱき、と細麵が割れる音がして――。とろとろのあんと麺を絡ませ、具材も一緒に箸に乗せ、一口頬張る。
「あっ ふ! ンっ、んま~っ」
「だいたいで作ったけど、美味いんならよかったよ」
「玲太のごはんは何でもウマひよ」
口をもごもごさせながらそう語る実に笑みを向けて、玲太も箸を進めていく。
ぱきぱきと麺が割れる音と箸が皿をつつく音がリビングに響く。
あつあつのあんは中々冷めなくて、麺がだんだんとしんなりしてくる。――それも、また美味い。
ふたり黙々と食事をとり、手を合わせてごちそうさまをする。
満足そうに腹をさする実に視線を向けて、そうして空っぽになった皿に視線を落とすと、玲太はふと疑問を口にした。
「そういえば――…どうしてまた、急に皿うどんが食いたいなんて言ったんだ?」
その問いに、実は一瞬だけ視線を泳がせて、スラックスのポケットからスマホを取り出した。
「……昨日、SNSでグラバー園の写真が流れてきて、」――と呟き、スマホをスワイプして画像を表示させる。
「なんか急に懐かしくなっちゃって……ホラ、修学旅行で……一緒に食べれなかったなって、ふっと思って」
玲太の目に、グラバー園の写真が映る。すると玲太の脳裏にぶわっと――昔、高校二年の秋に、大好きだった幼馴染と長崎をまわった思い出がフラッシュバックする。
あの頃と少しも変わらないグラバー園の風景に、玲太は一瞬、時が止まったかのように硬直する。
「そ うだな、修学旅行は、別行動だったもんな」
(……というより、その頃はあんまり親しくなかったよな、俺たち)――と、心の中だけで実は思った。
「――玲太は食べたの? 本場の皿うどん」
そう訊ねれば、玲太の赤い瞳が揺らめき、視線をすっと逸らされる。
「……食べたよ。あいつと」
「……そっか」
昔を懐かしむように少し遠い目をした玲太を見遣り、彼の心の片隅にある彼女の存在に、実は苦笑いを浮かべる。
十二年間の片思いにけりをつけたからと言って、すぐに忘れてしまえる程の生半可な想いじゃなかったのも理解している。だから、それも仕方ないと己を納得させる。
実は少し、おどけた様な声色で、「俺も本場の皿うどん食べたかったなー」と呟く。
「リンリンハットの皿うどん、有名デショ?」
「そうだな」
「あのさ、いつか長崎に食べに行かない? ふたりで」
「え?」
「修学旅行、いこうよ」
「修学旅行って……俺たち、もう学生じゃないけど、」
「そ。もう学生じゃないから、自由時間の制限もないし、先生の目もないし、お酒も飲めるし、やりたいことヤれるじゃん? ど? ふたりで、修学旅行をやり直すの」
実の言葉に逡巡し、稍あって玲太が「……いいな」と笑みを溢す。
実はにっと口端を吊り上げる。
「ヤッタ! じゃあ早速行くトコ決めなきゃ! 長崎は観光地の宝庫ですからネ。映えスポットもいっぱいで、」
「その前に、食器の後片付け、だろ?」
そう言って玲太が苦笑いを浮かべる。実は手の中のスマホをテーブルに置くと椅子から立ち上がり、食器をシンクへ片付けに向かった。
スーパーで目にした皿うどんのパッケージは、実の脳裏に、修学旅行でのことを思い起こさせた。
それなりに楽しかった筈の修学旅行――けれど、実の思い出の中の長崎の風景に、玲太はいない。
たまにそのことが、途轍もなく寂しく感じるのだ。
(俺には、あのコを超えることは出来ないかもしれないけど、)
玲太の中の彼女の記憶が鮮烈すぎて、超える事なんて出来ないかもしれない。
それでも、玲太の胸にこべりつく、切ない思い出の風景に、自分の存在を置かせてほしかった。
実が〝修学旅行のやり直し〟を提案したのは、咄嗟の思い付きと、それから、記憶の中の、彼女への嫉妬心からだ。
(長崎で、俺と新しい思い出を作って、キモチだけでも上書きさせて)
それがたとえ、上書きにならなくても。
長崎に共に行ったという事実が玲太の脳裏に残るなら、それ以上は望まない、から――…。