「すまない、掛けて待っててくれないか。すぐ終わらせるから」
そう言ってダンデは執務室のソファを指し示し、自分は再びデスクのパソコンへと向き直った。オレは軽く片手で応えて言われた通りにする。約束の時間の十分前は、早すぎることもないが結果的には急かすことになってしまった。扉を開けて入ってきたオレの顔を見た瞬間、リザードンが上着を持ってダンデの肩にかけてやっていたので、この後出かける準備は万全、あとは作業が終わるのを待つばかりだ。
と、整然としたデスクの脇に、一片の紙が落ちている。
サイズからしてそれは封筒のようだった。遠目で見れば縁に水ポケモンの波乗りの様子がローティーン向けの絵柄であしらわれていて、ビジネスじゃあそんな封筒は使われないからきっとファンレターなのだと見て取れる。丁寧に一片にペーパーナイフを走らせた跡があって、中身は既に目を通した後のようだ。手紙の山から滑り落ちてしまったのだろうか。ダンデの元に、チャンピオンを退いた今でも大量の手紙が届いているだろうことは想像に難くない。
「なあ。ダンデよ」オレは近寄らず、ソファに掛けたままそれを指差した。曲がりなりにも私信だ、他人が目にすべきものじゃあないだろう。「それ、落ちてる」
「……え。ああ! すまない」
ダンデは急いでノートパソコンを閉じた後にそれを拾い上げ、それからはっと何かに気づいたようにキバナを見、慌てて手紙を持った手を左右に振った。
「いや、これは、違うんだキバナ」口にする言葉は何故か言い訳がましい響きを含んでいる。何、オレさまなんかまずいとこでも見たか。視線で問う前にダンデからモゴモゴと説明がこぼれ出る。「こういった手紙の類は、普段は実家にまとめて送るようにしていて……ただタワー宛のものは一旦こちらに回ってくるから手元にあっただけで……別に仕事中に読み返して、ニヤニヤしていたわけではなくてな……」
手紙を帽子のようにして隠した口の向こうで、珍しくダンデの歯切れの悪い言葉が聞こえては途切れ、オレは目一杯苦笑した。別にオレはタワースタッフじゃないのだから、何も言い訳しなくてもいいし、仮にスタッフだったとしてもオーナーの行動なんて自由だろう。
それに別に、ファンレターを読み返して口元を綻ばすのは誰だって普通のことだ。
けれど、少し意外でもある。
ダンデが自分以外の人間の言葉に、自分の感情を左右されていることは。
「なんだ、そんなに熱烈なやつだったのか? けど手紙なんて貰い慣れてるだろ、今更そんなに照れなくていいようなもんだが」
「そ……れはそうだが」
口から出かかった「そんなことはないぜ」の言葉が飲み込まれて消える。ダンデが貰い慣れていなければ、一体このガラルの誰が自分宛のファンレターを平常心で読むことができるというのか。恐らくリーグ関係者で一番宛先として書かれる機会が多い人間だろうに。二番手で、ネズかなあ、などと考える。キバナも多い方であると自負してはいるが、元々そういった見知らぬ他人からのには目を通さない方であるため数の把握はしていなかった。ただ、ダンデは目を通しているだろう。律儀だな、と思う。全部を全力で受け止めるには、リーグ選手に向けられる視線というのはあまりに多すぎる。
でも、とダンデがデスクに手紙をしまいながら破顔する。
「慣れたとしても、何回貰っても、こんな立場になったからこそ嬉しいものだろ。いつかオレを倒す、なんて言ってもらえるのは」
「……ああ、まあ」
感嘆のような吐息が溢れ出た。そりゃあ嬉しい。特にダンデにとっては。
キバナだって、そんな手紙に悪い気はしないのだ。文字から伝わってくる本気。他でもないあなたとバトルがしたい、という強い意志。
ポケモントレーナーなら、否応なく好感を抱いてしまう。
「……オレさまも初めてもらったラブレター、そんな感じだったわ。大事に取ってるし、たまに読み返しもするぜ」
「そうか? そうだよな!」
思いがけず同意が得られ、嬉しそうなダンデに頷く。
「ジムリーダーになったばっかりでさ。伝統あるナックルジムにアイツで大丈夫なのかとか色々言われて、まーそれは実力で黙らせたから問題はなかったんだけど」
「キミあの頃の勢いすごかったものな。戦いたくて仕方なかった」
「そんでまあ、実力不足だろう新人への叱咤激励とかご指導ご鞭撻が届く中でひとつ、どうやらオレさまの実力を相応に評価しているだろう手紙をもらってね」
「うん。……うん?」
はた、と縦に振られかけたダンデの首の動きが止まる。
オレは気にせず続ける。
「自分は今年、ジムチャレンジに挑戦するつもりだが、是非あなたと本気で戦いたい、絶対リーグで待っててくれって」
「待て待て待て」
心当たりがあったのか、こちらの口を塞ごうとしてくるダンデの手をひらりと躱す。
待ってやる義理なんて全くない。
「あれでオレさま、かなりやる気を出したね。それでさあ、そいつめちゃくちゃ強くて、結局オレさま負けちまったし」
頭を抱えるダンデに、思わずニヤッと口角が上がる。
「だから、オレさまも手紙嬉しいの、わかるぜって」
「キミ……あんな……子どもが若気の至りで調子に乗って書いた手紙、まだ持ってるのか……?」
恨めしげな声音で肩を揺さぶられて、オレは大きく頷いた。
「大切に保管してる」
「捨ててくれ」
「額装してもいいくらいだ」
「意地が悪いぞ」
そんな上目遣いで見られても、オレさまは何も痛くない。それにそんなに恥ずかしがらなくてもいい、と思う。当時のダンデ少年の、目一杯の宣戦布告だ。受けて嬉しかった気持ちは事実だ。
「礼儀がなってなかったんだ。今ならやらない」
「本当かァ? この前手合わせしたい人がパルデアにいるらしいから一度手紙出そうかとか言ってなかったか?」
「もっと文面は考えて書くぜ!!」
なんなら、この場で代わりの新しいのを書いてやる、とダンデが息巻いてデスクの引き出しからノートパッドとペンを取り出す。引き換えてやるつもりはなかったが、くれるというなら貰ってやるかと覗き込めば、一行目から力強く「果たし状」と走り書かれていて思わず声をあげて笑ってしまう。
変わんねえじゃん。
「キバナ! 悪いが食事に行く予定は一戦やってからに変更だ! コートに行くぞ!」
「望むところだぜ、ダンデ。今日こそ勝ってやるよ」
押し付けられたページを折りたたんでポケットにしまいこむ。部屋から駆け出したダンデの背中を追いながら、早く一緒にアイツを追い落とそうぜ、と彼の小さなファンに思いを馳せた。