それこそシンプル ワイルドエリアの一角で、こじんまりとしたテントと簡易椅子を一つ。長いライラック色の髪を揺らしながら、慣れた手つきであっという間に設営したダンデは、風に飛ばされそうになるキャップを片手で抑えながら空を見上げる。昨日は雨マークが付いていた場所も、今日は見違えるような青空だ。少し前にボールから出した手持ち達は今横にいるリザードンを残してみんな自由に寛いでいる。
「久しぶりにこうした時間を過ごすなぁ」
チャンピオンという立ち位置について数年。毎日が目まぐるしく過ぎる中で、今日は漸く取れた休日だった。肺に思い切り息を吸い込むと鮮やかな草の香り。風に揺れる草花の音と一緒にあちこちからポケモン達の生きる音が聞こえてくる。そんな音に耳を傾けながら、ダンデは草原に思い切り大の字になって寝そべり、目を閉じる。
柔らかく草原を撫でるように過ぎる風が、ダンデに纏わりついていた余分なものを連れ去ってくれるような気がして気持ちがいい。
チャンピオンになる前から、無駄な物が削ぎ落とされたシンプルな世界。そんな空間に身を委ねる事がダンデは何よりも好きだった。
今まではそうだったのだ。
「(なんでだろう…最近何かが足りない)」
ゴロリと体を横にして草の香りを嗅ぐ。昨日雨が降ったのだろうか。少し湿った土の香りも一緒に鼻をくすぐってくるが、いつもなら心を満たしてくれる匂いでさえ、ダンデの胸の中にあるよく分からない違和感を消すには至らなかった。
右へ、左へと体勢を変えてもなんだか座りが悪いようで気持ちが落ち着かない。諦めて深いため息を吐きながら最初と同じように仰向けになり、ウールーみたいな形のした雲をぼんやりと目で追う。暫くそうやってただ静かに空を眺めていたが、鈴のような音と共に目の端に馴染みのある緑を見つけた時、心の中の違和感が喜びを訴えてきたのをダンデは確かに感じた。弾かれるように体を起こして空に向かって大きく手を振る。リィンと答えるような羽音と一緒に、緑が空の上で緩やかに旋回を始める。
「ダンデ!」
高度を下げて、手を振りながらこちらへと向かってくる緑と黒とオレンジ。フライゴンに乗ったキバナが、風に乗ってダンデの近くへ降り立つと、草原が順々に首を垂れるように倒れていく。乾いた土の匂いと馴染みのある香水の香りが風と一緒にやってきてダンデの前髪をふわりと巻き上げる。
「キバナ」
「よっ!お前らもキャンプか?」
「ああ、久しぶりの休みだったから。もしかして、キミも?」
「おう。オレさまも休みだったしな。リザードンも元気か?」
降り立った馴染みのあるライバルへ、リザードンを筆頭にキバナの元へダンデの手持ち達がわらわら集まってくる。
「おー、お前らも元気そうだな。おっ?ドラメシア達どうした?遊びたいのか?」
「こら、お前達ダメだぜ我が儘言ったら」
「どうせのんびりキャンプ地探してただけだし構わないって…なんだなんだ?こっちに来いって?」
久しぶりにオフで会うキバナと遊びたくて戯れているのかと思ったが、どうやら様子が違うらしい。グイグイと服の端を引っ張ってキバナをどこかに連れて行こうとするドラメシア達に首を傾げつつ、キバナはふたりに引かれるまま動き、やがてダンデのテント横の切り株まで辿り着く。
「…あっ!!」
ダンデがふたりの意図に気付くのと、オノノクスが呆れたような顔をして切り株に立て掛けてあったリュックの紐を緩めるのは同時だった。バラバラと音を立ててこぼれ落ちてくるのは山程のプロテインドリンクに栄養バー。
「…お前さあ」
調理器具など一つも入っていない簡素なリュックの中身を検分しながらオノノクスと一緒に呆れたような顔をするキバナに、罰が悪そうな顔で視線を逸らすと、してやったりといった顔のドラパルト達がキバナの肩からニュッと顔を出してダンデの方を見てくる。なんてことをバラしてくれたんだと叱りたかったが、自分の方に分が悪いのは明らかなので怒ることもできない。
「お、オレの料理の腕を知っているだろう」
「そうだけどよー、流石にこのラインナップはねぇわ…」
ヒラヒラと栄養バーを指先で揺らしながらキバナが睨むと、ダンデはキャップの下へと顔を伏せて嵐が過ぎるまで耐え忍ぼうとする。もっと言ってやってくれと言わんばかりにギルガルドがキバナの横で静かに頷く。
「まあ、お前のその食事を疎かにする癖は今に始まったことじゃねぇしな。でも、そんなことばっかしてるといつか体にくるぞ?」
「それは、分かってるつもりだが。あんまり食事に時間は割きたく無いんだ…だって」
「「その分バトルをする時間が減るから」」
一字一句自分と同じ言葉が聞こえてきて、ダンデはポカンと惚ける。一方のキバナは、先程ドラメシア達がしたのとおんなじような顔をして笑っていた。
「お前の口癖、覚えちまったわ。しかし…そうなると残念だな」
「…残念?」
揶揄われていると思ったのだろう。隠せない程に不貞腐れた表情をしているダンデに、ちょっとだけ意地の悪い笑顔を浮かべ、草原に転がっているバーの包装を一つ剥がして齧り、キバナは呟く。
「オレさまはさ、知っての通り食事に手は抜きたく無い派なの。で、今日はこれから特製カレーを作る予定なんだけど一人で作るより二人の方が早く完成すると思うんだよなぁ…そうしたら、夕方までバトルする時間できるのになー」
「っやる!手伝う!だからバトル!フルバトルがいい!!」
小さな子どもみたいな顔になるダンデを見て、キバナは笑う。ダンデの手持ちは勿論、ボールの中で会話を聞いていたのであろうキバナの手持ち達も楽しそうな予感を感じたのか次々とボールの中から出てきて期待に満ちた表情でキバナを見つめる。
「オレもだが、リザードン達も手伝ったらもっと早くカレーができるよな?ジュラルドン達も手伝ったらもっとスピードが上がるぜ!どうだ?!」
同意するようにわぁわぁと団子のようになってはしゃぐダンデ達を、目尻を下げて笑いながら眺めるキバナは、バーの最後の一欠片を口の中に放り込みながら気合いを入れる。なにせフライゴンを除いては皆とんでもない大食いなのだ。
「…あれ?」
善は急げだと、早速カレーに入れるきのみを拾いに行こうと足を踏み出したダンデだったが、足を止めて不思議そうに胸の辺りに手を置く。
「どうした?」
「…いや、なんでもない」
いつの間にか溶けるように消えていた胸の違和感の理由を考えるのはまた今度にしよう。なにせこれからとんでもなく忙しいのだから。
ポケモンの生きる音に混ざる人の生きる音。可能な限りシンプルに削ぎ落とした世界が好きだった。でも、キバナといると何故だか無駄に思える行為だって楽しいことに変わっていく。今度、キバナに「どうしてキミといると楽しいんだろう」って聞いてみようかな。プカリと先ほどまで眺めていた雲みたいに浮かんできた考えを、そのまま心の中に漂わせて、ダンデはポケモン達と一緒に青空の下駆け出したのだった。