Haveそれは酷い夢だった。
だけど、寝起きの脳では夢か現実かの区別もすぐには出来なかった。
ある時は、一緒に寝たはずの温もりが消えていたり。
ある時は、通話中、突然さよならを告げられたり。
ある時は、白んだ視界の中、もう二度と開かない柵越しに微笑んでいたり。
段々と脳が覚醒していき、それらが全て夢だと気付けるのは、起きて数分が経ってからだ。
浮奇はじっとり汗ばんだ身体の気持ち悪さと、夢見の悪さに舌打ちをする。
ああ、この不快感をどうにかしなければ。
それは酷い妄想だった。
けれど、そう考えてしまうのも仕方がないと思う。ファルガーの生きてきた時代は、世界は、常に終末との隣り合わせだったのだから。
例えば、急にどちらかが配信者を卒業してしまうこと。
例えば、急に自分たちのあるべき世界に戻されたりすること。
例えば、霞む視界の中で、嘘と共に永遠の別れを告げること。
これらは全て、一秒先の未来で有り得る話なのだ。
かといって、未来の全てに悲観的というわけでもない。
ただ、終わりは必ず来る。
ファルガーが何より鮮明に自覚していることであり、無自覚に自縛している思想だった。
青白く輝く画面からふと目を逸らし、ファルガーは時計を見る。
そろそろあいつが来る時間だ。
「変な夢を見るんだよね」
ふぅ、と湯気の立つコーヒーに息を吹きかけながら、浮奇はぽつりと零した。
「ふうふうちゃんが、いなくなっちゃう夢」
伏し目がちにマグカップを両手で持ち、彼は続けた。
「俺が?」
自分の分のコーヒーを淹れ、部屋に戻ってきたファルガーは座りながら浮奇の話を促した。
「うん。…あのゲームのせいかなぁ」
苦笑混じりに浮奇は言う。先日コラボで行った雪山のゲームだろうか。
「やっぱり俺、あのゲーム嫌い」
拗ねた口調でコーヒーを啜る。
愛らしい感情を抱く恋人につい頬が緩み、ファルガーは目を細める。
「俺は、浮奇の方が消えてしまいそうな儚さがあると思うけどな」
左右で異なる紫を持つ伏し目がちな瞳に、低めの透き通る声色。線の細い体躯は触れていないと、それこそ雪にでもかき消されてしまいそうな儚さだ。
ファルガーも同様にコーヒーを口に運ぶ。香り高い苦味が口内に広がる。
ゴトン、と机が揺れた。浮奇がマグカップを強く置いたようで、コーヒーの表面がゆらりと揺れている。
音の発信源は俯いたままで、ファルガーから表情は読み取れない。
「浮奇?」
「それ、ホントにそう思う?」
それ、というのは先程の発言だろうか。
「何か気に障ったか、すまない」
「…ううん、違うよ」
浮奇は椅子から立ち上がり、つかつかとこちらに向かってくる。
ギシリ、と椅子が軋む。
浮奇はファルガーの膝の間に膝を置き、肩に手を乗せ、普段とは真逆にファルガーを見下げる。
「ふうふうちゃんは、今の俺を見てる?」
「…どういう意味だ?」
「俺、本当に怖いんだよ。…あのときの配信でも、ふうふうちゃんは先を見越した話をするから」
それもまた、雪山のゲームを一緒にした後の話だった。
ファルガーはふと、浮奇が来るまで作業をしていたときに過ぎった妄想を思い出した。
「…先を見るのは悪いことか?」
「悪いことじゃない。…けど、少し寂しい」
寂しい。思いがけない言葉にファルガーは目を丸くした。
「…ふうふうちゃんの未来に、俺は居させてくれないの?」
「居てほしいさ。勿論、俺はその為になら尽力する。…けど、それは、絶対を保証出来るものじゃない」
─例えば、急に自分たちのあるべき世界に戻されたりすること。
「誰が原因でもなく、突然離ればなれになることが、俺達なら有り得るんだ」
続けた声は、自分が想定したよりもずっと低く、震えていた。
最初こそ浮奇に向き合う形をとっていたファルガーの視線は、今は自分の手元に落ちていた。
浮奇は、薄鈍のカーテンの先にある素肌に触れ、上を向かせる。
「ねぇふうふうちゃん。今の俺を見て」
浮奇は整った顔を歪ませ、今日はじめてファルガーの灰銀の瞳に向き合った。
「俺の前から、居なくならないで」
夜空を閉じ込めた瞳から、涙が零れる。流れ星だ、とファルガーは思った。
いても立ってもいられなくなり、ファルガーは力任せに目の前の儚い存在を抱き締めた。
「ふうふうちゃん、」
「浮奇」
ファルガーの銀糸はさらりと頬から落ち、浮奇の夜景色の髪を撫でる。
「俺も、今ここに居る」
夜空と鈍く光る星の瞳が交わる。
「確かに俺は、ずっと先の終わりを考えて、少し先の未来に対して諦念的になってしまう」
荒廃というよりは、生物の気配が失せ、一刻も進むことのないような未来の世界が、頭に広がる。それは、紛れもなくファルガーが観てきた事実であった。
「…でも、そのずっと先の最後の瞬間。隣にお前が居たら、なんて考えてしまうんだ」
自分の瞳と同じ空の色。
それ以外の色を見たのは、過去に来てからだった。
身体は機械仕掛けだというのに、心は一丁前に人間らしく、多くを望むようになってしまった。
「……望んでいいんだろうか」
気付けば、ファルガーの瞳にも涙の膜が薄っすら張られていた。
浮奇は、ファルガーの目尻にキスを落として応える。
「約束して。俺を、諦めないで」
バイオレットの双眸が、柔らかく細められる。
この愛に満ちた表情が、俺を諦めから遠ざけ、俺を強欲にする。
つられてファルガーの口元も緩み、笑みが溢れる。
「…俺はいつの間にか、随分と欲張りになったな」
この世で一番信じ得ないものは、口約束だ。
だが、口頭だろうが、紙切れに書こうが、命に誓おうが、信頼がなければ約束は成り立たない。
やがて今は過去になるし、これからやってくる未来も〝今〟になる。
だったらそんな面倒なものは飛ばして、目の前の愛しい存在に、今一番伝わる言葉で約束しようじゃないか。
「何度でも、何処でもお前を絶対に見つけてみせる。約束しよう」
柄でもない台詞だ、なんて心の中で苦笑しながら、ファルガーは涙の跡が残る頬に、優しくキスを落とした。