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    kumamimm

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    20↑/小説/へし歌・くわまつ・にこひめなど/左右問わず読み書きします

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    kumamimm

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    戦場で折れかけた日光くんと、日光くんを連れ帰った姫鶴くんの話。
    ときどきSS新書メーカーでTwitterにあげていたふた振りが、ようやくにこひめになりました。

    #にこひめ
    goddessOfSpring

    それは寝て見る夢よりも 芽吹いたばかりの若葉に、砂混じりの風が吹いていた。
     無数の投石や遡行軍の骸を乱暴に飛び越え、姫鶴は悪路を先へと急ぐ。敵を殲滅したあとの戦場は不気味なほどに静かで、その静寂が姫鶴の心をざわざわと波立たせていた。

     前衛の日光一文字が、戻ってこない。
     部隊長のへし切長谷部からそう聞かされたのは先刻のこと。機動の速い日光や長谷部が前衛、打ち合いに強く生存値の高い姫鶴が殿をつとめ、それぞれの持ち場で敵を撃破したのちに合流するという計画の最中だった。
    「わかった。探してくるから、みんなはここを守ってて」
     合流地点に部隊のものたちを残し、姫鶴はひとり戦場を駆け出す。敵の気配は既になかったが、部隊のものたちはみな多かれ少なかれ傷を負っている。全員で探しに出てはぐれるよりは、まず単独で捜索に行くほうが安全であるように思えた。
     乾いた空気に砂が舞い、革靴の先を白く汚してゆく。構わず土を踏みしめ、倒木を跨ぎ、屍を越えた先に、よろめきながら立つ男士の姿があった。
    「日光くん!」
     縁なし眼鏡に、後ろでひとつに束ねられた紫紺の神。葡萄色の襟がついた白いジャケットに、一家のものたちと揃いの裾のボトムス。それら全てを血に濡らし、日光は遠のく意識に抗うようにして辛うじて目を開けていた。
    「日光くん! 帰るよ!」
     青紫の瞳が姫鶴を捉えたその瞬間、目の前で新たな土煙が立ちのぼる。その場にくずおれた日光は、どこか安堵したような顔で目をつむっていた。
    「おい、寝てんじゃねえぞ!」
     姫鶴は日光に駆け寄り、呼吸と脈を確かめつつ声をかける。体からはすっかり力が抜けてしまっていたが、日光は倒れても右手に握った刀を離そうとはしなかった。
    「……絶対に本丸に連れて帰るから、少しの間、これを俺に預けてくれない?」
     そう言って日光の指を撫でれば、固く握られていた手がようやくほどける。姫鶴は日光の手から刀を抜き鞘におさめ、拵ごと自分の腰のベルトに差し込むと肩を組むようにして日光の体を担ぐ。それから部隊のものたちが待つ場所へ、姫鶴はゆっくりと歩き始めた。
    「くっそ、重っ……」
     ただでさえ上背のある日光の体重が、姫鶴の肩にずしりとのしかかる。日頃の恭しい態度ですら重苦しいのに、意識のない日光は質量まで重い。姫鶴は日光を担ぎなおすと体勢を整え、前を見据えて深くため息をついた。
     いざ決戦、命捨てるぞ。
     いつかの昔、本陣への討ち入り前に日光が告げた言葉を思い出し、姫鶴は小さく舌打ちをする。からからに乾いた口からはもう、掠れた音しか出なかった。
    「命捨てるって言ったって、ほんとに捨てることないでしょ……」
     そう口に出してしまえば、頬や腕に受けた傷が今更ひりひりと痛みはじめる。姫鶴は歯を食いしばり、ふた振りぶんの重さのかかる足に力を込めた。
    「はぁ……。ほんと、うちのって……、そん中でもとくに、日光くんって」
     ほんと、ばか。
     紡ごうとした言葉は、音にならないまま戦場の土煙に消える。いつもなら軽々しく言えてしまうはずのひと言が、今の姫鶴には言えなかった。
     ばかでも何でも構わないから、折れずに持ち堪えていて。
     そう願って噛み締めた下唇からは、生ぬるい血の味がする。姫鶴は日光を引きずるようにしながら、部隊のものたちの待つ場所へと急いだ。


     その晩、雲のない夜空には、丸く明るい月が浮かんでいた。
    「日光くん、入るよ」
     障子の隙間から入り込んだ月の光が、日光の寝顔を柔らかく照らす。ただ眠っているだけであることを薄明かりの中で確かめたくて、姫鶴は障子を閉めきらないまま室内に入った。
     手入れ部屋の隣にあるこの部屋は、札を使って修理を終えた刀が体を休める場所として使われている。傷自体はすぐに癒えても、肉の器を意のままに動かせるようになるためには少しの休息が必要だ。そういった審神者の判断のもと設けられた部屋で、日光は静かに横たわっていた。
     月光に照らされた寝顔は安らかで、翳りのない表情はつい先程目を閉じたばかりであるようにさえ見える。本丸に連れ帰った時には土埃と血で汚れていた白い頬にも、今は長く濃い睫毛が影を落とすだけだった。
    「ねえ、日光くん」
     しんと静まり返った部屋に、姫鶴の声がこだましては消える。姫鶴は布団の横に胡座を組んで座ると、微かな寝息に合わせて上下する布団を見つめて細く息を吐いた。
    「……起きないみたいだから、話すね」
     胸の奥から湧きあがる言葉を、姫鶴はぽつりぽつりと零しはじめる。それは顕現してからずっと、姫鶴が日光に伝えずにいたことだった。

     ほんとは俺、日光くんがいなくたって、うちの刀としてそれなりにそつなくやるつもりだったんだよね。そりゃあ、うちの家についてもあのひとについても、思うところも飲み下せてないところもあるけど……。でも何かあった時には俺がうちのひとたちを守るし、誰かが欠けたら俺なりに穴埋めはする。ずっとそう考えてた。
     この本丸で初めて会ったとき、日光くん、俺のこと姫って呼んで、お待ちしておりましたって言ったでしょ。あれほんと、重いから勘弁してって思ったし、姫っていうのがうちの家の姫って意味なら、俺はここに来てまで一族ごっこがしたい訳じゃないって、日光くんのことはっ倒そうかと思った。
     でも日光くんさぁ、全然折れなかったじゃん? 俺が散々嫌だって態度に出してるのに、姫って呼んで、何かにつけて声かけてさ。
     そうしているうちに、俺、もしかして日光くんは俺にもちゃんと居場所があるって伝えようとして、俺のこと「姫」って呼んでるんじゃないかなって思うようになったんだよね。俺はうちの面倒なこととは距離置きたいし、うちのひとたちに思うところがあるのもここに来た時から変わってない。だけど日光くんはきっと、それでも別にいいよって、そのままの俺でここにいてもいいんだよって言おうとして、重たい呼び方でそれを示しててくれたんだよね。
     それに気付いてからはさ、俺、日光くんに姫って呼ばれるの、嫌じゃなかったよ。俺のこと待っててくれたのも、ほんとはうれしかった。ありがとね。
     ……あのさ、俺たちは刀だから、戦場で欠けたり折れたりするのも当然だと思う。日光くんもそう思うでしょ? これまでもこれからも、俺はその考えを変えるつもりはない。
     でもね、命捨てるぞって敵陣に乗り込むときには、あのひとのことやうちのひとたちのこと、それからこの本丸で帰りを待ってるみんなのことを、忘れないでいてほしい。
     それからできれば……、ん、これはほんとにできればでいいんだけど……。日光くんがいなくなったら話し相手がいなくなってつまんないって思うやつがここにいることも、少しだけでいいから思い出してほしい。
     俺が言いたいのは、それだけ。

     言葉を終えれば、月明かりの差し込む室内には日光の規則正しい寝息だけが響く。
     睫毛の一本も動かない端正な寝顔を見つめ、姫鶴は低い声でこう告げた。
    「……本当は起きてるんでしょ、日光くん」
    「…………はい」
     きりりとした眉をきつく寄せ、日光は観念したように目を開ける。それからやや気まずそうに上体を起こすと、姫鶴に小さく頭を下げた。
    「……申し訳ありません」
    「いつから起きてたの?」
    「……姫がこの部屋にいらした時からです」
    「ふうん、そう」
     日光は枕元を弄り、置かれていた眼鏡を探り当ててかける。視界が鮮明になったからだろうか、レンズ越しに見える瞳はいつものように涼やかな色を湛えていた。
     馴染みのある青みがかった紫を目にして、姫鶴は自分が少し安心していることに気付く。姫鶴は細く息を吐くと、胡座から正座に姿勢をなおして日光に告げた。
    「……まあいいや、言いたいことは全部言ったから。それよりさ、日光くん。手、出して」
    「はい」
     差し出された右手を握り込めば、掌には日光の柔らかな温もりがじわりと伝わる。姫鶴はその温度を何度も確かめ、そして小さく呟いた。
    「……本当に、なおってよかった」
     姫鶴の言葉に、日光は申し訳なさそうな顔で目を伏せる。表情から謝罪の言葉を告げようとしていることが伝わって、姫鶴はそれを制するように言葉を零す。姫鶴が口にしたのは、戦場で日光と再会したときに感じた疑問だった。
    「日光くんさぁ、あの時、どうして俺の顔見た途端に寝ちゃったの?」
    「……あの時、とは」
    「日光くんが倒れる直前、戦場で俺と目が合った時」
     日光は思いをめぐらせるようにゆっくりとまばたきを落とし、姫鶴の手をじっと見つめる。負傷して立っているのも精一杯だった時のことを思い出している筈なのに、日光の表情はどこか柔らかかった。
    「……あの時の俺はきっと、貴方が無事で安心したんだと思います」
    「俺……?」
     迎えが来たから安心したのではなく、自分が無事だったから安心したという日光の言い分が、姫鶴にはいまいち腑に落ちない。姫鶴は上体を乗り出し、日光に尋ねる。
    「俺が無事でも、日光くんは重傷だったよね?ひとのことなんて考える前に、」
    「俺のことはよかったんです。先ほど貴方も言っていたように、戦で折れるのも本望と思っていました。でも俺は、貴方だけは本丸に帰したかった」
    「……それは、どうして」
    「次の季節を、見せたかったんです」
    「どういうこと?」
     日光の答えに、姫鶴は薄く口をあけて首を傾げる。顕現してこのかたずっと近くにいた筈の日光の言葉が、今に限って理解できなかった。
     姫鶴の手に左手を重ね、日光は小さく下唇を噛む。そしてゆっくりと息を吐くと、重なった手を見つめながら静かに問うた。
    「この本丸に桜が咲き始めたころ、姫は花見をするのを楽しみにしていましたよね」
    「……うん、そうだった」
    「でも満開になる前に大規模な敵襲があって、この本丸も景色を失ってしまった。……あの時俺は、どうにかしてまた貴方に春の景色を見せられないか、元の景色を取り戻せないか、そんなことを考えていました」
    「なにそれ。俺、何も聞いてないんだけど」
    「俺も貴方も、前線で戦うので精一杯でしたからね。それに戦いの行く先も俺たちの本丸が向かう先も、あの時にはまだ判らなかった」
    「……まあ、そうだけど……」
    「結果的に俺たちはこの本丸を、季節が巡る庭を取り戻すことができました。貴方も盛りが少し過ぎた桜を見ながら、これはこれで悪くないと笑っていた。そうしているうちに桜が散って、芍薬や牡丹の蕾が膨らんで、今度は藤の香りが漂い始める。きっと姫にとってはこれが初めての春であり初夏なのだと考えた俺は、どうしても貴方にだけは、次の季節を見てほしい、日々のうつろいを眺めて笑っていてほしいと、そう思うようになりました」
     そこまで言い終えた日光は重ねた手を解き、今度は姫鶴の両手を包み込むように握る。姫鶴はただされるがままになって、日光の大きな手を見つめながら話を聞いた。
    「今日、戦場で姫の声が聞こえた時、俺は少し嬉しかったんです。声が聞こえて、姿が見えて、想像していたよりもずっと軽傷で。これなら貴方だけは本丸に帰れる、新しい季節を生きることができる。そう思ったら安心して、いちどきに力が抜けてしまった。……ここまで運ばせてしまい、すみませんでした」
     そう言って日光は、いかにも申し訳なさそうに目を伏せる。その表情を見た姫鶴の胸には様々な感情が湧き上がり、唇からは意図せずぽろりと言葉が零れた。
    「……ばか」
     姫鶴の声に、日光が弾かれたように顔をあげる。胸の中には聞きたいことも言いたいことも山積みになっているはずなのに、姫鶴が紡げた音はたったの二つだった。
     姫鶴はきつく下唇を噛み、息を吸っては吐いて、日光への感情が言葉になるのを待つ。怒り、悲しみ、とてつもないやるせなさに、それから寂しさ。胸の中の感情はどれも強く鮮やかで、ひとの器を得てまだ一年にも満たない姫鶴ではすべてを伝えられそうにない。
     姫鶴はもう一度息を吸うと、震える唇で日光に告げる。
    「……ばか、日光くんのばか」
     深く呼吸をしようとしても、思いがあふれて上手くできない。姫鶴はもどかしさに顔をしかめ、日光の手の中で自分の手をきつく握った。
    「ねえ、日光くん……。俺さっき、日光くんがいなくなったらつまんないって言ったよね」
    「……ええ」
     小さく頷く日光は、まるでそれが自分に言われた言葉ではないかのような、事もなげな表情を浮かべている。その無頓着さに姫鶴の胸には更なる怒りがこみ上げたが、怒りはすぐに呆れへと変わる。目の前にいる刀はこうして手まで握っておきながら、姫鶴が言わんとするところをきっと何ひとつとして分かってはいないのだ。
    「……日光くん、どうして俺なの」
    「え……?」
    「俺にだけは次の季節を見せたかったって、さっき日光くんは言ったよね。この本丸にはうちの刀も日光くんの弟分もいるのに、どうして俺だけなの」
    「それは……」
    「知りたいから答えて。ゆっくりでいいから」
     答えが出ないなら、出るまで待つから。そう姫鶴が告げれば、日光は頷いて目を伏せる。月明かりの差し込む部屋は静かで、姫鶴たちが黙ってしまえば時計の秒針の音しか聞こえない。
     しばしの間ののちに顔を上げた日光は、迷いのない表情で姫鶴をじっと見つめた。
    「折節の移り変わりを愛でる貴方を見ているのが、好きだったからです。貴方が初めての雪にはしゃいでいたあの日から、いや、それよりもずっと前、共に月を見ていた時から、俺はひとの器を得て初めて何かに触れるときの貴方を、いとおしいと思っていました。そしてできれば、それを近くで見ていたいと」
    「ねえ日光くん、自分が今、なにを言ってるかわかってる?」
    「……と、いいますと?」
     微かに首を傾げる日光は、おそらく自らの言葉と行動との矛盾に未だに気付いていない。姫鶴は呆れに少しの悲しみが混ざっていくのを感じながら、絞り出すような声で告げた。
    「……日光くんが俺の近くにいたいんだったら尚更、無事に帰ってこなきゃだめでしょ?」
    「……ああ」
     軽く目を見開く日光の表情からは、彼がようやく矛盾に気付いたであろうことが伝わってくる。姫鶴は怒りと呆れと悲しみとを全て込め、日光の顔を見つめて言った。
    「日光くん、やっぱりばかだ。賢いし頭も切れるけど、自分のことになるとちょっとばか。だって折れちゃったら、俺が何しててももう見ることはできないんだよ? 日光くんは、ほんとにそれでいいの?」
     畳みかけるように尋ねると、日光は考え込むように目を伏せる。詰め寄られても調子を崩さず自分の頭できちんと考えようとするところは美点だと、姫鶴は様々な思いと言葉が渦巻く頭の端で思った。
     日光は重ねた手に力を込め、姫鶴を見据えて答える。
    「それは嫌です。というか、貴方がまたはしゃぎすぎて無茶をしないか、俺は心配で……」
    「だったら余計に、日光くんは俺のそばにいなきゃだめじゃない。どうしてそれに、今まで気が付かなかったの」
     やっぱり日光くんはばかだ、にぶちんだ。そう声に出してしまえば、強張っていた体から次第に力が抜けていく。ふいに涙がこぼれそうになって、姫鶴は慌てて日光から目をそらした。
    「姫」
    「……なに」
    「少し、失礼します」
     握りあっていた手が引かれ、暗くなった視界と頬に触れる寝間着の感触で、姫鶴は日光に抱き寄せられたことを知る。硬そうに見えていた胸板は思いのほか柔らかく、布越しに伝わる体温は優しかった。
    「……ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした」
    「……そういうの、もういいよ」
    「しかし、」
    「ほんとにもう、いいから。……だから」
     もう少しだけ、こうしていて。呟くと姫鶴は日光の胸に耳を当て、そっと目を閉じる。頬にはひとしずくの涙がつたい、耳の中には日光の心音が響く。とくとくと規則正しく刻まれる音に、肌から香るほのかに甘いにおい。触れれば指先に感じる温度に、目の前でさらさらと流れる長い髪。ここにある日光の全ては、姫鶴が見てきたどんな夢よりも鮮やかで美しく、胸の中がひりひりと痛くなるほどにいとおしい。
     姫鶴は目と耳と鼻と肌、体全部を使って、もう一度日光が生きていることを確かめる。姫鶴が感じるものの全部が、日光が生きてこの本丸に戻ってきたことをありありと伝えている。夢や幻ではないことを確かめて、姫鶴はようやく深い呼吸ができるようになった気がした。
    「……日光くんが、折れなくてよかった。ほんとは俺、日光くんを運んでるあいだ、気が気じゃなかった」
    「申し訳ありませんでした」
    「だから、もう謝んなくていいって」
    「……ですが」
    「もういいよ。もう謝んなくていいから、ひとつだけ俺と約束して」
    「約束、ですか?」
     日光の問いかけに、姫鶴は顔を上げて頷く。
    こちらを見下ろす青紫の瞳には、姫鶴の姿だけが映っていた。
     姫鶴は日光の顔を見据え、届け、と念じながら言葉を紡ぐ。
    「そう、約束。もしも日光くんが折れそうになったら、俺のことを思い出して。それから戦況と俺とどっちを優先するべきか考えて、その時の日光くんに、悔いが残らないほうを選んで」
     視線に力を込めて言い放てば、日光はそれを飲み込むようにゆっくりとまばたきをする。そして返事をする前に、姫鶴の頭の先から足の先までをじっと見つめ、柔らかく目を細めてみせた。
    「……貴方の、そういうところ」
    「え、なに」
     返事とは思えない言葉に戸惑う姫鶴を、日光の腕がきつく抱く。姫鶴の頭の上に降る声は優しく、かすかに笑みが含まれているようでもあった。
    「貴方は優しくて、気高くて、でも少しだけ意地っぱりで、どこまでも戦国の世を駆け抜けた刀らしい」
     姫鶴の背に回された日光の手が、慈しむように髪を撫でる。日光は姫鶴の肩口に頤を預け、耳に流し込むようにゆっくりと告げた。
    「……俺は貴方のそういうところを、お慕いしております」
    「え……?」
     告げられた言葉に驚いて、姫鶴は日光から体を離そうとする。しかし日光は腕の中に閉じ込めた姫鶴を逃がそうとはせず、姫鶴は日光に抱き締められたままじたばたともがく。諦めた姫鶴が顔を上げた時には、姫鶴の髪も日光の髪もぐしゃぐしゃに乱れてしまっていた。
    「日光くん、今なんて?」
    「ですから、貴方をお慕いしておりますと」
    「……」
     ずっと聞きたいと願っていたはずの言葉を耳にして、姫鶴の体からは力が抜ける。
     日光の口から直接それを聞けたことは嬉しかった。日光が自分と同じ想いであることがわかって、姫鶴の胸には幸せな気持ちがこみ上げてもいる。
     だがそれと同時に、折れかけるまで気持ちに気付かなかった日光の鈍さには心底腹が立つ。姫鶴の言葉に答える前に想いを告げてしまう間の悪さに至っては、憎たらしいを通り越していっそ可愛いと思ってしまうほどだ。
     姫鶴は深く長いため息をつき、日光の胸元に額を押し当てる。
    「日光くんさぁ……」
    「はい」
    「……なんで今、それを言ったの?」
    「気が付いたのが、つい先ほどでしたので……。一刻も早く、姫にお伝えしようと」
    「ああ、なるほどね……」
     そういえば日光は真面目で実直な刀だったと、姫鶴は今更のように思い出す。この刀のどんなところも、結局姫鶴にはいとおしいものとしか映らないのだが。
    「……姫、あの」
    「ん、なに?」
     髪を撫でる手に促されて顔を上げれば、日光は先程の返事を求めるような表情で姫鶴を見つめている。その顔がどうにも可愛らしくて、同時にとても憎たらしくて、姫鶴は指を伸ばして日光の鼻先を軽くつついた。
    「あのさ、俺もまだ、日光くんからの返事を聞いてないんだけど。……折れそうになったら俺のことを思い出して、悔いのない選択をするって約束して、ってやつ」
    「失礼いたしました。そちらの返事をする前に、俺の話をしてしまいましたね」
    「別にいいよ。……それで、返事は?」
    「……ええ、勿論です」
     日光は両手で姫鶴の肩を抱き、まっすぐに姫鶴を見つめてそう告げる。その視線と声色には、ほんの少しの迷いも躊躇いも滲んでいなかった。
    「っし、それでこそ日光一文字だ」
     目を細めて言えば、日光は黙って頷く。この刀が約束を違えるような刀でないことを、姫鶴はよく知っていた。
    「……ねえ日光くん、ちょっとだけツラ貸して」
     姫鶴は日光の後頭部に手を添えぴんと背筋を伸ばすと、互いの額が合わさるように顔を寄せる。目の前では葡萄玉のような青紫の瞳が、水色だけを映してちらりと瞬いた。
    「今度は俺の番ね。……さっきの返事、一度だけしか言わないから、ちゃんと聞いて」
     日光の目を見つめ、姫鶴は静かに息を吸う。
     きっと日光は姫鶴の答えを知っている。姫鶴は姫鶴で、はぐらかして駆け引きをするというやり方もあるということはわかっている。だが姫鶴は、日光がまっすぐに向ける好意に応えたかった。実直な刀の想いに、自分の言葉で返事をしたかった。
    「俺も、日光くんが好き」
     眼鏡の向こうで切れ長の目が見開かれ、それを見た姫鶴の心臓が大きく跳ねる。幸せで胸が満たされ体が熱くなると同時に照れ臭さが襲いかかってきて、姫鶴は慌てて日光の胸元に顔をうずめた。
    「……姫、お顔を見せてください」
    「絶対にいや……」
     大きな手が宥めすかすように髪や背中を撫でるが、姫鶴は頑としてそれに答えず日光の胸板にぐりぐりと額を押し付ける。嬉しくて幸せで、途方もなく面映ゆくて恥ずかしくて、とてもではないが日光の顔など見られたものではなかった。
    「姫、俺は恋人の顔を見たいのですが」
    「……今はひどい顔してるから、絶対にいや。どうしても見たいんなら、おととい来て」
     変わらぬ答えにため息をつき、日光は今は諦めましたと言わんばかりに姫鶴の背をぽんぽんと叩く。ちいさな子供をあやすように背を叩かれるうち、心地よいリズムと日光の体温とで、姫鶴のまぶたは段々重たくなっていった。
    「ねえ、にっこうくん……」
    「はい、何でしょうか」
    「頑張ってたくさん話したから、俺、眠くなってきた……」
     ぽつりと溢せば、日光の手が姫鶴の髪を柔らかく撫でる。触れられているうちにまぶたは更に眠くなり、姫鶴は日光の腕の中で目を閉じた。
    「ここで眠っていってください。この部屋ならきっと、朝まで誰も覗きに来ない」
    「ん……。ねえ、日光くん……」
    「なんでしょうか」
    「……夢じゃない、んだよね」
    「そうですね。俺も貴方も、こうしてここにいますから」
    「ん、よかった……」
     ぽつりぽつりと話すうち、姫鶴の意識がじわじわと遠のきはじめる。手足は重く温かくなり、呼吸が徐々に深くなってゆく。
    「おやすみなさい、姫」
     優しい声を右耳で聞き、左の頬を日光の胸板に預け、姫鶴はことりと眠りに落ちる。
     左耳の中ではずっと、日光の心音がとくりとくりと響いていた。
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