桜の下のバス停でさっと吹いた春風が、桜吹雪を巻き起こした。
「ああ…………綺麗だな」
そう言った師匠の声はいつも通り淡々としていて、けれど瞳だけが寂しげだった。
バス停にいるのは僕と師匠の二人きりで、僕の乗るバスは、あと五分足らずで到着する筈だ。
残りの数分の間に、伝えたいことが沢山あった。でも、何から言葉にすればいいのかわからなかった。僕よりもよほど話すのが上手い師匠も、こんな時に限って、バス停近くに植っている立派な桜を見上げるばかりで。
師匠の肩の上に桜の花が、花弁を散らすことなく、そのままポトリと落ちた。
「師匠、肩に桜が」
「ん?」
師匠は肩に手をやって桜を摘み上げると、ふっと笑った。
「盗蜜だな」
「なんですかそれ?」
「スズメが桜の蜜を吸うために、桜を付け根ごと食いちぎっちまうんだよ。だから、花がそのまま落っこちてくる」
ほら、と彼が指差す方を見れば、桜の木の枝に留まったスズメが、チュリ、と可愛らしく鳴いて首を傾げているのが見えた。
「まだまだ咲き誇れたのに、容赦ないよな。ま、あいつらも生きるためにしてることだが」
そう言って、師匠は僕に、桜の花を差し出した。
「お前は、こんなふうにならずに、めいっぱいやってこいよ」
少しだけほっとしたような顔だ。
馬鹿な人だなあ、と思う。
「師匠は、スズメじゃありませんよ」
驚いた顔をする師匠の手を、桜ごとそっと両の手で包む。
「それに、僕も桜じゃない」
「………………そうだな」
バスのエンジン音が耳に届いてきて、どちらともなく、手を離した。
「なあ、モブ」
「はい」
「時々、こっちにも顔出せよ」
「はい。必ず」
「……………好きだよ」
「僕も、好きです」
バスが停車して、エアーの抜ける音をさせながらドアが開く。
スーツケースを持ち上げてバスに乗り込めば、師匠は少し微笑んで、桜を摘んだ手を上げた。
寂しさが胸を締め付けたけれど、あの人の笑顔みたいな優しい希望が、僕の心を暖めてくれる。
大丈夫、と心の中で呟く。
季節が移り変わり、また訪れるように。僕らもまた、再び巡り会うのだから。