俺を殺すのはお前だけ「チェズレイ、お前さん、俺のことどうしたい?」
長いキスが終わった後、俺はチェズレイにそう囁いた。本当はちゃんと声にしたつもりだったけど、乱れる息を整えながらではそう上手く喋れないものらしい。格好がつかないなとは思ったが、そんなの今更だ。
時刻は真っ昼間、アジトのリビングのど真ん中。しかもソファやラグの上ですらなく、板張りの床の上と来たもんだ。格好つけるも何もあったもんじゃない。余裕なんて無かったんだから仕方がない。長い長い時間の果てにようやく心から触れ合えたのだから、そりゃあ少しばかり盛り上がっても当たり前だろうと大目に見てもらいたい。むしろ、今の俺が割と冷静なのを褒めて欲しいくらいだ。まあ、フローリングに押し付けられて悲鳴を上げる自分の身体が、無理矢理冷静にさせてきたといった所なのだが。寄る年波には勝てないものだ。
このままこちらを食い破ってきそうなチェズレイの眼光を浴びながら、なるべく色っぽくならないように、ぐしゃぐしゃと頭を撫でて宥めた。チェズレイの髪が乱れるにつれ、眼光の鋭さが徐々に和らいでいく。それと同時に、チェズレイの眉根が不機嫌そうにしかめられていった。
「……ぐちゃぐちゃにしたいですが、何か?」
なんとまぁ、熱烈なこって。
「あは、それは嬉しいけど、そうじゃなくて。抱くか、抱かれるかってことだよ」
アホ毛を大分増やしてしまったチェズレイの髪を、今度は梳くように撫でつける。俺に降りかかる日の光を遮るその髪は、見惚れるぐらいにキラキラしていた。桃色の花弁に彩られた藤色の瞳も、光を遮ってなお濡れた涙にきらめいている。まぁ随分な色男だこと。そんな色男が、俺の言葉を受け俺の視線を感じ取って、満更でもないように少しずつ表情筋をとろけさせていく様は、愉快でたまらない。ものすごく嬉しくなってしまう。四十路も前にしてこんなにチョロくてどうするんだ、とは思わなくもないが、さっきのついでにそこも大目に見てもらいたい。
興奮の余韻で未だに熱を持っているチェズレイの耳を、親指と人差し指で優しく揉んでやる。その熱は冷める様子がない。きっと先程の問いを反芻して、想像しているんだろう。俺に抱かれるところと、俺を抱くところを。
「正直なところ、おじさんはお前さん相手ならどっち側でもぐっちゃぐちゃになっちまう自信があるよ」
だから、お前さんがやりたい方を選びなよ。ダメ押しのようにそう続けると、チェズレイは少し困ったようにこちらを見つめてきた。俺はその顔に弱いんだと、何度言えば分かるんだろう。まぁ大抵は分かった上でわざとやっているんだろうが、今はそうではない気がした。
チェズレイの、手袋が抜き取られた後の左手が、俺の頬にゆるりと這わされる。おじさん、今日も無精ひげ生えてるからさぁ。ジャリジャリして気持ち良くないと思うんだけど。
形の良く薄い唇が、一瞬躊躇うように動いた後、呼吸と共に開かれる。
「…………どちらも、は。ダメですか?」
どちら、も? 思いも寄らない答えにきょとんとしてしまう。どちらも。どちらも想像したうえで、どうにもこの色男には甲乙がつけがたかったらしい。だから両方くーださい、ってか。こんなおじさんの身体を。場に似合わない子供っぽい可愛らしさを感じて、愛しさに笑いが込み上げる。その中で、チェズレイが追い討ちをかけるように目をきゅるきゅると潤ませるものだから、つい噴き出してしまった。
「はは! はぁ……、お前さんらしいっちゅーか何というか。それはそれで良いんだけどね、いっぺんには出来ないからさ。先にどっちやりたい?」
可愛らしい我が儘は聞いてやりたいところだが、なんせ俺の身体もコイツの身体も一つずつしか無いもんで。順番は決めなくてはいけない。
俺の頬に添えられたチェズレイの左手に、そっと右手で触れる。無精ひげの生えた顔はどう考えても触り心地の良いものではないだろうと思うのに、チェズレイの指先は優しく優しくなぞり続けている。慈しむような、考え込むような手つき。
「……抱く側でお願いします」
「はいよ」
たっぷりと考え込んでから、チェズレイはそう答えを出した。それを褒めるようにチェズレイの手をやんわりと握って、ふんにゃりと笑いかけた。チェズレイがそれに応じて微笑んだのを確認して、空いた方の手でチェズレイの肩口をとんとんと叩き、その場から退くようにお願いする。
素直に立ち退いたチェズレイに『どうも』と言いながら、よいしょと上半身を起こす。あ、起き上がるだけで背中がゴリゴリいってる。凝った背中を労わるように擦りながら、俺の脇で膝をついているチェズレイの方を見上げる。
「男同士でっていうのは、女の子とするのと違って準備がいるから。今はここまでね、エッチなニコルズくん」
エッチ、と言われたのが不服なのか、チェズレイは少し細めた目で以ってこちらを見てくる。
「……煽ったのはあなたでしょう」
「煽らせたのはお前さんだろ? 我慢して、我慢」
ていうか、ぶっちゃけおじさんの方が我慢してると思うし。そう続けると、チェズレイの口元が一瞬ピクリと引き結ばれ、誤魔化すようにすぐ緩められた。チェズレイ、らしくないじゃない。耳がまだ赤いよ。それだけ想われているということかな、と思うと気分が良い。
気分の良さに任せて、立ち上がりついでにチェズレイの胸元をぽんぽんと叩く。
「今日の夜、続きやっていいからさ」
にっこりと宣言して、チェズレイの反応を見ずにリビング中央のソファへと舞い戻る。身体も少し怠いことだし、ちょっとばかし寝よう。後のことはそれから考えればいい。今、ソファの後ろでえらいことになっているであろうチェズレイを、どうリードしてやるのか。楽しみだなぁと思いながら、俺は目を閉じた。