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珍しく事件も何もない穏やかな昼下がり。敢助と食堂で昼食を取り、くだらない話をしてそろそろ午後からの業務を始めようとしたとき、彼のスマホに電話がかかってきた。
「おう、どうした由衣」
どうやら着信は由衣からだったようで、こちらに合図をして席を離れると、少しして「本当か!?」という声が廊下から聞こえてくる。それから一言二言交わしたところで、敢助が慌てた様子で戻ってきた。
「悪い高明、由衣から病院行くつって連絡あったから俺も向かうわ。すまんがこの書類だけ頼んでていいか?」
「もちろんです。こちらのことは任せて早く行ってあげてください」
「お前も後で来るだろ?」
さも当然というように発された言葉に、はい?と思わず大きな声が出そうになるのを、コホンと咳払いをして誤魔化す。
「何を言ってるんですか。他人が行けるわけないでしょう。ふざけたことを言っていないで、早く由衣さんを安心させてあげた方がいいですよ。さぞ不安でしょう」
何か言いたそうにしている敢助に上司への報告を促し、その背中を見送ると、自席に戻り報告書の続きを始める。この分だと定時に上がることができそうだ。
すぐに産まれるわけではないとわかっているが、今日はなるべく早く自宅に戻り敢助からの連絡を待つことにしよう。偶然にも明日は非番なので、連絡が来るまで起きて待っていよう。
由衣に赤ちゃんができたと聞いたときからずっと心待ちにしていた瞬間がいよいよやってくるだと思うと、自分のことではないのになんだか浮き足立って落ち着かない。ようやく会えるという喜びもあるが、出産は命懸けと言うので、由衣が心配で堪らない。母子ともに無事でありますようにと心の中で祈りながら、キーボードを叩いた。
予定通り仕事を定時で終え、自宅に戻り家事を済ませようとしたが、落ち着かず何度もスマホを手にしてしまう。まだかかるのか、由衣は大丈夫だろうか、赤ちゃんは元気に産まれてくるのだろうか、などといった不安が過ぎっては、出産には時間がかかるものだと自分に言い聞かせる。
何度その行動を繰り返しただろう。日付も変わりもう朝になる頃、スマホの画面が光ったので急いで手に取り通知を見る。送り主は待ち望んだ敢助からで、メッセージアプリを通して『産まれたぞ母子ともに健康』と送られてきた。短い文だが、その一言にほっと胸を撫で下ろす。
『おめでとうございます、無事で何よりです』とだけ返事をして、いつか2人の子どもに会うのを楽しみにその日は眠った。
眠った時間が遅かったため、次に目を覚ましたのはもうすぐお昼という時間だった。朝食兼昼食を摂り昨日できなかった家事を終わらせる。
時計を見てこの後はどうしようかと考えていると、スマホに着信があることに気付く。画面を見ると敢助からで、何かあったのだろうかと思い「敢助くん、どうかされましたか?」と電話に出た。
『おぉ、高明。お前今日非番だろ?今から病院来ねぇか?』
「…敢助くん、まだ次の日ですよね?由衣さんに迷惑では?」
『その由衣が高明は?ってうるせーんだよ!ごちゃごちゃ言ってねぇで来いよ!〇〇病院だからな!』
今すぐ家出ろよ!と言うとこちらの返事も聞かずに電話を切られてしまった。
由衣の体調のことを考えると控えた方がいいのではと思うが、彼女がそう言ってくれるのなら行かないわけにはいかず、車のキーを手に取り家を出た。
教えられた病院に着き車を停め、受付に行ったら通してくれるものなのだろうかなどと考えながら向かっていると、入口に敢助が待っていた。
「高明!」
「敢助くん、この度はおめでとうございます」
「おう」
敢助に案内され受付を済ませると、並んで廊下を歩く。隣で話す敢助はいつも通りに見えるがその表情はどこか嬉しそうで幸せそうで、そんな彼を見ていると自然と口角が上がった。
由衣の部屋に着きノックすると敢助が返事を待たずに入るぞーと入っていく。一瞬戸惑ったものの自分もそれに続き中に入ると、ベッドに座り赤子を抱いている由衣がいた。
「高明くん!来てくれてありがとう!」
「由衣さん、お疲れ様でした。お体は大丈夫ですか?」
「うん、ありがとう。あちこち痛いけどなんとか」
「頑張りましたね」
「ふふっ、敢ちゃんがね、珍しくすごく慌ててたから、痛かったけどなんか冷静になっちゃった。高明くんにもあの敢ちゃんの顔見てほしかったなぁ」
「おや、それはもったいないことをしました。残念です」
なんも残念じゃねーよ!と敢助が言うので、由衣と顔を見合せて笑い合った。敢助は触れてほしくなさそうにしているが、それだけ心配だったのはわかる。自分でも不安だったのだから、最愛の由衣が命を懸けているのを近くで見ていた敢助はそれ以上だっただろう。
敢助がベッドに腰掛け、お前も座れよと声をかけてくれたので、ベッドのそばに用意されていた椅子に座った。
「見て、敢ちゃんに似てるでしょ?かわいー」
「そうかぁ?どちらかといえば由衣に似てないか?」
由衣が赤子の顔を見せてくれるので少し近付いて顔を覗き込む。敢助のやんちゃさと由衣の聡明な美しさどちらも兼ね備えていて、2人の子どもだとひと目でわかる。
命とは平等に尊いものだが、幼い頃から親しく大切な存在である2人の間に産まれた子となれば、より愛しく感じるのも仕方がない。
「可愛いですね。本当に…敢助くん、由衣さん、おめでとうございます」
ありがとう、と笑う顔は昔から知っている妹のような由衣のままだが、我が子を見つめる瞳は慈愛に満ちていて、母親になったのだなと感慨深いものがある。昔は赤いリボンが欲しいと泣いていたのにな、などと昔のことを思い出し少しだけ寂しい気持ちにもなった。
「高明くん、抱っこしてくれる」
「もちろんですよ」
敢助と場所を変わってもらいベッドに腰掛ける。落とさないようにそっと受け取り、背中と首の後ろを優しく支えながら、赤子を胸に抱く。
―――温かい…
ふと、幼い頃母親に手伝ってもらいながら初めて景光を抱いたことを思い出した。
あのときはまだ自分も小さく、初めて抱いた赤子はとても重たかった。ふにゃふにゃと笑うその子はとても頼りなく、自分が手を離したら落ちてしまうととても緊張したことを覚えている。そのとき初めて、自分の中に「誰かを守る」という感情が芽生えた。父も母も弟も皆が笑っていて、とても温かく、幸せな時間だった。
幼かったあのときと違い、抱いた赤子はとても小さく軽い。しかし、その命はとてつもなく重く腕にのしかかる。
長年宙に浮いていた大切な2人の想いが通じ合い、結ばれ、その結晶として子が宿り、この子に出会うことができ、今この腕に抱いている。なんという奇跡だろうか。
嬉しいだとか幸せだとか温かいだとか、そんな簡単な言葉では言い表せないくらいの感情が込み上げてきて、小さいながらも懸命に生きるその命に、気付いたら涙が流れていた。
ずっと、大切なものを作るのが怖かった。自分が大切に想った人は、この手から零れ落ちてしまう。また失くしてしまうことを恐れている自分を、敢助と由衣はいつも手を引いて光のある方へ連れ戻してくれた。
そして今、大切な存在が増える喜びを、2人が教えてくれた。こんなにも胸が熱くなるほど誰かを愛しく思える心が自分の中に残っているなんて、知らなかった。
大事に、大事にしよう。敢助と由衣と、この新しい命を…そして、自分のこの感情も……
「初めまして、姓は諸伏、名は高明、あだ名は音読みでコウメイ…以後…お見知り置きを…。あなたのことはずっと、僕たちが守りますからね」
fin.
読んでくださってありがとうございました!
書いてる間脳内で「美しきもの」「命は美しい」「君の名は希望」辺りがずっと流れてました笑
こーめいがキッド捕まえた報告聞くためにずっと県警に残っていた長野県警の皆さんなので、ゆいちゃんが異動してたとしても出産報告聞くために残ってそうだなぁと思いましたが、今回はなしでw