死神の墓守しんと冷えた空気があっという間に消え去った夏の気配を名残惜しく感じさせた秋の日のこと。
渋谷の端にある広い霊園にその姿を見て、俺は思わず足を止めてしまった。
「────こんにちは」
「こ…こんにちは」
黒い服に身を包んだ青年はにこ、と人好きそうな笑顔で軽く頭を下げてきて。その端正な顔立ちに思わず呆気に取られつつも慌てて挨拶を返した。
「お墓参りですか?」
青年は俺の手に提げられた手桶と仏花の花束を見てそう問うてくる。疑問に思うのも当然かもしれない、彼岸なんてとっくに過ぎているのだから。
「えぇ…ちょっと、会社が繁忙期に入っちゃって。お彼岸に来たかったんですけどそれも叶わなくて今日やっと来れたところなんです。おそらくご先祖も怒ってるでしょうね…来るのが遅すぎるって」
俺がそんな軽口を叩くと青年は「そんなことないですよ」と頭を横に振った。
「そうして顔を見せに来てるだけで大変立派だと思います。ちゃんと向き合って供養して──悼む気持ちがある、それだけで充分すぎるぐらい」
そう言って青年は足元に視線を落とした。そこには墓石などはなく、代わりに簡素な花筒が添えられた大きめの石が鎮座しているだけ。
「……お墓、ですか」
「ええ。と言ってもこの下には何も無いんですよ」
は、と呆気に取られる俺に一瞥することもなく青年はそこにしゃがみ込み供えたであろう菊の花を指先でちょんとつつく。
「ひどい人でした。初めて会うなり酷い要求をしてきて無茶難題を押し付けてきて──しまいには僕の首まで絞めてきたりして」
「えっ!?それって」
「いやDVとかじゃないですよ?緊急事態で切羽詰まって頭に血が上ってたから…のはずですけど。でもこうして言葉にしたらちょっとムカついてきましたね」
はは、と少し乾いた笑いを浮かべてそこでようやく青年はこちらへ顔を向けた。
「でも。すごくすごく優しくて、正義感溢れる人でした。他人を守るために自分をどんどん削るのを厭わないくらいに。僕もそれで救われたんです」
ひどい人と言う割にはその目はどこか優しい。青年は立ち上がって秋の空を見上げる。
「一緒に居た時間はそんなに無かったけど──それでも永遠みたいな長い時間にも感じました。怒って笑って、下らない話もして。…それなのにまともにお礼も言わせないまま消えちゃって」
ねぇ、ひどい人でしょう?
青年は笑う。しかしその笑顔はきっと自分に向けられているものではなく──。
「………好きだったんですか?」
俺の愚直な言葉に青年は少しだけ目を丸くする。そしてゆるゆると目元を和らがせて「あぁ」、と感嘆の息を漏らした。
「名前を付けるならそうだったのかも」
触れることすら叶わなくて、本当の名前も呼べなくて、この気持ちを伝えることすらさせてくれなくて。
「それなのに僕を残して逝ってしまった──本当にひどい、死神でした」
ざぁ、と強い風が墓地を吹き抜けた。
強風に思わず目を閉じ、手にしていた花束がその勢いに持っていかれそうで手の力を強める。
「…………あ、れ……?」
宙を舞う落ち葉の中で再び目を開けると青年の姿はどこにも見当たらなかった。こんな見晴らしの良い霊園の中で見失う訳もなく。
「狐に、つままれたのかな…」
頭を掻きながら俺はそんな間抜けな台詞を呟くことしか出来なかったのだった。
その後。
墓参りを済ませた俺は寺の住職に先程の顛末を一から話してみた。そもそもあの青年に会うまであそこにあんな簡易的な墓があることも知らなかったのだ。
「あぁ、アレはねぇ。ちょうどこのくらいの季節になるとたまに現れるんだよ」
彼岸くらいだとまだ出ないんだけどね、と禿頭を撫でて笑う住職に俺は「幽霊ってことですか」と軽く震えた声で尋ねた。
「幽霊…幽霊なのかなぁ。どっちかっていうと残留思念とかなのかもしれんね。その青年、君に何か話したろう?」
「え、えぇ。あの墓の人について…なにも埋まってないって言ってましたけど」
「そうなんだよ、あそこに遺骨なんて埋まってやしないんだ。でも形ばかりで良いから墓のようなものを置かせてくれってお願いしてきた人が居たと聞くから…まぁおそらくそれも件の彼なんだろうな」
「あの人だけ出るんですか?」
俺の言葉に住職はそれがねぇ、とまた禿頭をつるりと撫でる。
「また違う男が出るんだよ。煙草を吸ったり鼻歌を歌ったりするんだがまぁ実害もないし、先代も悪い人じゃないからそのままでと言うからその通りにしてるんだ」
「え、それって……」
うん、と住職は頷く。もしかしなくてもその人はあの青年の想い人なのだろう。
「でも不思議なんだよ、なんでかこの季節にだけは全然出てこない。代わりにあの青年は出てくるんだよ」
「…まるで会うこと避けてるみたいですね」
「ホントだねぇ、さっさと会えばお互い成仏してくれるんだろうに」
「それはそれでずっと二人で一緒にあそこに居るんじゃないですか?」
俺がそう言うと住職はえぇ、と情けない声を上げた。
「それは困るよぉ。もうあそこに百年前からあるんだからいい加減お暇してもらいたいもんだ」
心底そう思ってなさそうな声色で言って笑う住職に釣られて俺も笑った。
もし彼の思いを知った上であそこに留まり続けてるのなら──確かにひどい男だ。あんな恨み言の皮を被った惚気を通りすがりに聞かされたこっちの身にもなってほしい。
住職の肩越しに見える襖に書かれた立派な龍の絵を眺めながら、そんなことを思った。
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