この手が届く世界なら「あー…クソ、最悪だな」
KKはただでさえ疲労で険しくなっていた眉間の皺をさらに深くして煙草を咥える。ザァザァと音を立てて降りしきる雨は当分止まなさそうで、住宅街の潰れたコンビニの軒先に慌てて避難したもののしばらく籠城を強いられそうだ。いつもなら無理を通してでも走って帰宅するのだが今はなんだかそんな元気も無い。
──今日は晴れるって言ってたじゃねえかよ。
朝の情報番組でそう言った天気予報士に八つ当たりのような苛立ちを覚えつつ、KKは紫煙をゆっくりと飲み込んでいく。
…最悪なのは雨だけじゃない。
まず依頼からしてKKにとってはあまり受けたいものではなかった。今思い出してもウンザリする。小さな子供が絡む依頼はなるべく避けたかった──が、そうも言ってられない。正義の味方であろうとするKKにしてみれば目を背けて良いものではないのだから。
汚れ仕事は俺の仕事。そう言い続けてこなしてきたつもりだけれど。
「……俺も日和っちまったかなぁ」
薄汚れたコンビニの壁にずる、と背を預けながらしゃがみ込んだ。ほんの少し雨が当たるがまぁどうでも良い、ここに来るまでだいぶ濡れてしまったのだし。
雨の匂いが鼻をつく。まるでそれは『あの日』のように自分の心をどんどんと底へと沈めていくようで──。
「──…KK!?」
突然自分を呼ぶ聴き慣れた声がして、KKは伏せていた顔を上げると。そこにはこちらへと傘も差さないで走ってくる暁人の姿があったのだ。
「暁人?お前何してんだ、こんなとこで」
「それはこっちのセリフだよ!っていうかちょっと詰めて!」
「うおっ!?」
コンビニの狭い軒下に滑り込むように暁人はKKを少し押しのけて立ち並び、「あーもう最悪だよ」とボヤきながら滴る雨の雫を手の甲で拭っている。よく見れば暁人も全身ずぶ濡れだ。今さっき降られたという訳でも無さそうで。
…もしかしてコイツも?KKは思わずニヤリと笑う。
「まさかお前も雨に降られたのか?」
笑ってそう言うKKの言葉に暁人はムッと口を尖らせる。
「そうだよ、悪い?だって朝の番組で雨降らないって言ってたし仕方ないだろ。KKも一緒に観てたじゃんか」
「あー…そうだったな」
「どうせKKも折りたたみ傘持って行かなかったからここで雨宿りしてたんでしょ。…僕が言えた義理じゃないけどさ」
「へっ、俺は元々そういうのは持ち歩かねえんだよ」
そうだ、仕事柄身軽な方が良い。どうせ濡れても汚れても誰も気にしないのだからどうだって良い。そう思ってひたすらやってきたのに。
…どうしてだろう?今は何故かそれがもうバツの悪い事のように感じてしまうのは。
おそらく自分をこんな風に変えてしまったのは、間違い無く──。
「さて、これからどうする暁人くんよ」
「どうって…KKはどうするのさ」
「俺?俺はなぁ、とっとと家に帰って風呂に入ってからあったけえモン食いに行きてえよ。…勿論お前と一緒にな?」
ニッ、と笑ってそう言うと暁人は「え」ととぼけた声を上げてからほんのりと赤面する。さすがにからかうなと怒られるかと思ったが。
「……………………風呂はさすがに狭いだろ」
顔を赤らめながら言う暁人の返事に、思わずKKはぶはっと吹き出してしまった。
「なっ、なんで笑うんだよ!?」
「…くくっ…ははは…、やっぱお前最高だな…!」
「はぁー!?」
本当に、コイツというヤツは大したもんだ。さっきまでの陰鬱とした気分も雨の憂鬱感もあっという間にどこぞへと飛んで行ってしまった、顔を真っ赤にして怒る暁人のなんとも愛おしいことか。
KKは吸っていた煙草を地面に押し付けて揉み消した。その吸い殻は暁人に貰った携帯灰皿にギュッと押し込んで。
「よっし、じゃあ急いで帰るぞ」
「えっマジで」
「マジだよ。おら早く手よこせ」
「わ、ちょ、ちょっと!」
当分雨が止む気配は無いが善は急げだ。KKは暁人の手を握り、半ば引っ張るようにして走り出した。
「まったくもー!KKってばいつもそうだよな!」
「あぁ?なんだ惚れ直したか?」
「〜〜っ…勝手にそう思ってろよ!」
否定はしないのか、可愛い奴め。
冷えた手で掴む暁人の手は暖かくてそれを手放さぬようにKKはまたほんの少しだけ握る力を強める。
この手が届く、この手が掴めるこの小さな世界を守るためなら。
何度汚れても沈んでも自分はやっていける…KKはまだKKで居られるのだ。
『お前は俺の太陽だ』──なんて時代遅れもいいこのセリフが頭を過ぎる日が来るだなんて、今まで思ってもみなかったが。
「……雨のち晴れたぁ、この事だな」
けれどせめて今度からは折りたたみ傘くらいは持って歩こうか。
それは勿論、暁人に見繕ってもらうことして。
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