氷は熱い、狼は冷たい、春の夜は、『お前の能力は美しいな』
『…なんだと?』
指揮者のようにくるりと指先を踊らせていた男が訝しげにこちらを見返した。
窓の向こう、雪深い古城の庭で雪だるまが踊るように荷を運んでいる。
御真祖様からお前へのクリスマスプレゼントだそうだ、とノースディンは言った。
先日一族への面通しだと言われ小さな宴へと連れられたのは記憶に新しい。小さな、とは言ってもクラージィが知る教会の祝祭や村の宴に比べればずっと賑やかで華やかで、驚いてばかりの私にノースディンは「一族全員が集まればこんなものではないぞ」と苦い顔をしていたの覚えている。
私は子供ではないが、と言ったら「受け取っておけばいい、私の仔であることは確かだ」と笑われた。ひどく気恥ずかしい思いではあったが、せっせと運ばれていく大小様々な荷物の中に"Northdin"の名が刻印された物も含まれているのが見えて、それ以上を言うのはやめた。隣に立つ男も似た思いをして複雑な顔をしているのだろうと思った。
そうしてふと溢れたのが冒頭の会話だった。
窓の外では雪だるまたちが、ひときわ大きいーー下手をすれば小さな一軒家ほどもありそうなーープレゼントボックスを持ち上げようとして大わらわになっていた。微笑ましいな、と思わず笑いが漏れるとノースディンにじろりと睨まれた。いやすまない、と苦笑する。
『お前の使い魔の彼女も美しいが、雪で作られた彼等もまた美しいと言ったんだ。雪ならば他にも操れるのか?』
『…私の使い魔はあれらとお前も知っている猫だけだ。…が、やろうと思えば一時的に操る事は造作も無い。ゴホン、あー、なんだその目は』
『なんだとはなんだ。私はお前は凄いなと思って見ていただけだぞ』
『凄っ………ーーー、いや違う、そこではない、その期待を込めた目を止めろ。ドラルクの幼少期を思い出して頭が痛くなる』
何故か強かに窓に頭をぶつけたノースディンは、髪を直すそぶりでさり気なく額を押さえていた。なかなか凄い音がしたが大丈夫なのだろうか。赤い目が全力で『触れてくれるな』と訴えているのが少し幼く見えておかしかった。
期待を込めた目とやらをしていた覚えはないが、それを口には出さなかった。幼き日の彼等を思い出し複雑な心情になりながらも、自然と笑みが漏れるのは仕方がないだろう。
『…いい師だったのだな?』
『私がいい師であったのは認めるが決してお前が想像するような微笑ましい師弟関係では無かったからな。
お前の様な純粋な目ならばどれだけマシだったか、あれがそういう目をした時は決まってピスピス可愛こぶって面倒を回避しようとしている時でーーー』
*
夢を、見ていたのか。
あれはいつの夢なのか。少なくとも見渡す限りの深い森には雪など降っているはずもない。
湿った、夜の森の匂いがする。
襤褸(ぼろ)同然の靴が生い茂る草を踏んだ。
私は杖を握っている。
月の光も届かないほど薄暗い夜だ。木々の生い茂る先は塗り潰された様に暗く騒めいている。
私は、この先に何がいるのか知っている。
低い声がする。飢えた獣の唸りだ。
何度目だろうか、私は逃げる訳でもなく前へ進み出る。
ーーー何の為に?
思い出せない。頭の中に靄が掛かったようだ。
腹を空かせた野犬達が、いつの間にか私を取り囲んでいる。
凶暴な牙が覗く。
生臭い匂いが鼻を掠める。
何故私はここにいるのだ。問うても野犬は答えぬだろう。
野犬達はじわじわと獲物と距離を詰めつつある。
私は罅割れた杖を握り直して足を踏み出そうとした。身体が鉛の様に重かった。何かに足が縺れた。何に?
私の腑が、足元に零れ落ちている。
目を見開いた私の脚に野犬たちが牙を突き立てる前に、ごう、と突風が吹いた。
白。
最初に視界に入ったのは吹き荒ぶ白だった。
続いて耳元で、ーーーオォォン…!!!!と重く低い音が鳴り響いて辺りを震わせた。教会の古い大鐘楼を思い出す、臓腑まで響く音だった。
目の前に、男が立っていた。
吹き荒れる雪の中にいるとは思えぬほど、男の服装は不思議なことに少しも乱れていない。男は酷く険しい形相で私を見た。目の前が眩しくなったような錯覚がし、頭の奥がひどく痛んだ。
私は彼を知っている。
「ーーーノース、ディン…?」
状況を理解しきる暇は無かった。すぐに彼の後ろに野犬の影を見て、私は何事かを叫ぼうとした。
その前に、私の背後から何かが飛び出し、野犬の群れの中へ矢のように飛び込んでいった。
ーー氷だ。
氷の毛並みを持った巨大な狼が、自身の半分にも満たない大きさの野犬の群れを食い荒らし、見る間に散り散りにしてしまった。
最後にそれは大きな顎を開いて吠えた。
そこで意識が途切れた。
*
「ーーー夢吸いの変異種だ。
どこかの吸血鬼の能力を受けて変態したものが繁殖、増殖を繰り返したのかもしれん。悪夢を見せて獲物を弱らせるのが目的だろうが………。
いずれにせよ、『肥大化している上に』、『毒々しい警戒色に変容した』、『得体の知れないもの』に遭遇したら、"通常なら"自分の身の安全を第一に考えるべきだろう。
通行人を庇ってその身を盾にするなど愚の骨頂だ。お前も竜の血族の一員である自覚を持ってもらわねば困る。分かっているのか?」
「ああ。心配をかけてすまなかった、ノースディン。感謝している」
「しッ………!!!??」
「ファーーーーーwww歯ブラシヒゲヒゲがチクチク言葉が全く刺さらなかった上に図星をかかれて動揺して言葉を失っているwwこれは滅多に見られないぞジョン!!」とやけに楽しそうなドラルクの声がカウンターキッチンの奥から聞こえ、クラージィは苦笑した。
因みに「ジョ、」のあたりで言葉が掻き消えていたので突如吹き荒れた寒風に驚いて塵になったのかもしれない。お茶淹れてる時に砂になるんじゃねえなんか嫌だろうが!とロナルドサンの声もする。
あの春の夜と違い、賑やかな夜だ。
出してもらった紅茶に有り難く口を付けながら、目の前で固まっている男に、『あの狼は見事だったな』といつ伝えていいものかを、私は考えあぐねている。
(後書きと言い訳。
氷で何でも作れるノスもクラの前では狼や犬の類は作らないんだろうな→それはそれとして狼の氷像を操ってクラを守るノスが見たかったんです
ノスのスペルは適当なので違ったらごめんなさい…)