探るのは… 探り屋とは。対象やその周りの人々の気持ちを推し量り、うまく懐に入って様子や事情をつかんでいくこと。捜し人なども、得意とする。
…彼女は。かくれんぼが上手なようだけど。
そんな彼女は今小さな身体を自宅である、阿笠博士邸のベッドに横たわらせていて。何故かそこにいるのは自分一人。どうしてこんな状況になったのか、バーボン、いや今はその隠れ蓑である安室透の姿である彼は、優秀な探り屋と謳われる、その頭脳を巡らせた。
調査対象ともなったその少女のことを。探るために、この辺りにいたのは間違いない。その子のことを探れとは。潜入先の組織からも、本来の所属先からも、別に命じられているわけではないのに。そう、その子、のことは。
賑やかで聞き覚えのある幾つもの声に出会えたのは、好運だった。対象のことを知るには身近な存在から聞き出す。調査の鉄則だ。たとえそれが、無邪気な子ども達でも。
何をしているのかと聞くと、三人の子ども達は親しみのある存在である安室に、元気いっぱいに答えてくれた。真っすぐで純粋な子ども達は眩しい。このまま、のびのびと日々を過ごしてほしいと思う。
仲良しの女の子が夏風邪を引いたから、お見舞いに行くという。僕も一緒に行こうかな、と言うと子ども達は大歓迎をしてくれた。当人にとってはきっと招かざる客だろうけど。途中子ども達と一緒にお見舞いの買い出しもし、阿笠邸への道のりを歩く。
「しっかし、なんで夏に風邪なんか引くんだあ? 寒い時に体が冷えて風邪になるなら、分かるけどよお」
「元太くん。風邪はウイルスによってかかるんですが、夏風邪のウイルスは高温多湿の環境を好むんです。夏だからって、甘くみてはいけませんよ」
「夏風邪は長引くって、ママも言ってたー」
「夏バテで体が疲れていたり、食欲も落ちていたりするから、治りにくいんだよ」
利発な子ども達の会話に、安室も言葉を挟む。歩美が大きくうなずいて、安室の持つ買い物袋を見つめながら、「安室さん、おいしいものいーっぱい、作ってあげてね!」と、言った。
おいしいものという単語に目を輝かせながら、それにしてもよお、と元太がしみじみと言った。
「灰原も、コナンも、よく風邪にかかるよな。食べ方が足りないんじゃねーのか」
「…確かに。二人とも、知識不足ってことは無いでしょうけれど。頭の使いすぎで、体力は無いのかもしれませんね」
「歩美、哀ちゃんはあんまり寝てないのが良くないと思う…今は、ちゃんと寝てるかなあ」
…今度は会話に入らず、安室は思考を巡らせた。
風邪を引きやすい体質。そもそも今の身体の状況そのものが、何か無理を強いている状態だったとしたら、それもあり得そうだ。
「……哀ちゃんって、どんな子? ほら、あまりポアロに来てくれないから、分からなくて」
困ったように笑ってそれとなく聞くと。子ども達は元気よく、そして嬉しそうにその仲良しの子のことを話してくれた。
「怒るとすっげー怖いけどよ! ケガしたりすっと一番に心配して治療してくれんだぜ!」
「ものすごく、博識です。口調はきついけど、本当は優しくてすごく大人っぽくて…」
「哀ちゃんはとっても優しいもん! 困ってるお友達とかね、ほうっておけないんだよ」
友達への思いがこもったたくさんの言葉に。安室は一瞬の間の後、優しく瞳を細めた。
子ども達が連れてきた思わぬ訪問者を。家主である阿笠は驚きはしたようだが、快く迎え入れてくれた。
当の彼女はベッドで寝入っていて。独特な造りをしているこの家は、ベッドルームもフロアに一体化していて目をやることはできるが、子ども達が眠っている彼女を起こさないように、たくさん眠れるようにと静かにそっとしていたので。安室はキッチンに入って、食べやすく栄養のあるものを作ることに専念していた。博士がそれを歓迎してくれたからでもある。
子ども達はリビングのテーブルで、お見舞いの手紙や絵などのプレゼントを書くのに夢中になっていた。何とも、ほほえましい。
子ども達が語る彼女のことは、組織内で聞く噂話と重なるようなところもあれど、新鮮で不意を打たれるような面も見られたような。そう、どちらかというと、鮮やかに蘇る。彼女の家族であるあの家庭に、思いを馳せられるような……
そんなことを思う安室の周りで、めまぐるしくこの部屋の状況は変わっていっていた。そもそも、ここに居るのであろうと思っていた、コナンがいなかったことに驚いたのだが、どうやら隣家に居るらしい。それはそれでそっちも気になると安室は思ったが、いつも彼女のそばにいて自分から彼女を隠していた、あの少年がいないことの方がチャンスだと、思う自分がいた。
彼女のことはきっと博士に任せられていたのだと思うが、その当のコナンから博士に電話が入り、何やら頼みごとをされていた。少々慌てふためく博士の様子に事件の匂いをかぎとったのか、少年探偵団を語る子ども達はそちらに気をとられ出していた。結局、寝ている彼女に気づかって子ども達は一旦帰り、博士は地下室へと引っ込んでいった。哀くんを頼みます、とは言われたが。安室とは、それほど信頼してもらえている存在なのだろうか。いや、きっと博士には。本来の顔を知られては、いるのだろうが。
そんな訳で彼女と二人になった安室は。
この現状についていけず、しかも戸惑っている自分を。
持て余していた。
冷静に考えれば。これはチャンスだ。何をどう、という手立てを立てるのは難しい状況でも。彼女を探るには、絶好の機会。
いや、それ以前に。病気の子どもをしっかり看なければ。安室は一回も寝ている彼女の様子を見てもいないから。こうして看病を任された状態で様子を把握していないなんて、あってはならないことだ。
しかも安室、なら。そんなこと難なくこなすに違いない。優しく手際よく決して怖がらせず。休んでる子どものことを思って。
…いや、本来の降谷であっても。そんなことは自然にできること、なのに。
今安室の足は。ベッドの手前で止まったまま、一歩も動くことができずにいた。
……彼女のことを。ずっと探していた宮野志保だと。そう、思っているからだ。
一度会ったと思った漆黒の汽車での彼女は。今や彼女自身ではなかったと、思っている。
あの時、永遠に失ったと絶望に陥ったことを思えば。こうして会えたと思っていること自体。恐ろしいほど幸運なことだ。
夢幻が壊れるのが怖いのか。事実を手にするのに二の足でも踏んでいるのか。
…いや、こうしてやっと会えるのに。いきなり寝ているところに現れていいのかと、思っ、て…
その思考に。安室は頭を抱えた。何考えているんだ。真実はともかく。今ここで眠っているのは、小さな子ども。しかも体調を崩している。しっかり、大人として見守らなくては。
安室の雰囲気を纒い。ようやく一歩を踏み出す。近づくと小さな少女は。ベッドの中にうずくまるようにして、ぐっすりと眠っていた。
呼吸も落ち着いていて苦しそうな様子もない。安室はほっ、と息をついた。博士が言ったように、薬が効いているのだろう。安心して、起こす前に戻ろうと。思いつつも、安室は少女の寝顔を見つめた。
…重なるのは。ずっと探していた恩人の面影。その人の娘として。刻んだ、写真で見たシェリーの姿。
そして何よりも。あどけなく眠るその少女がいじらしくて懸命に、見えて。
こうして。生きているというのなら、どれほどの幸せだろう。
つい。手を伸ばしていた。ぬくもりを。確かめたくて。
はっ、と気づいて瞬間手を引っ込めたが。その動きに気配を感じたのだろう。少女が小さく身動ぎをし、閉じていた瞼を徐々に開いていった。
息をのんで。見つめてしまう。きっと驚かせてしまうし、気を悪くさせてしまうと思うのに。その瞳に出会いたくて。目を逸らせない。
たくさん眠ったからか。彼女はまどろむことなく、瞳を開けた後、一、二度瞬きはっきりと視線を彼に向けてきた。真っすぐで意思の強い瞳。初めてまともに出会ったその光に。固唾をのんで見入ってしまう。
やはり、彼女は………
ドクン、と胸が言い知れぬ思いに波打つ。同時に、いきなり寝起きに現れるのは気が引けるという思いに改めて襲われ、無意味に下がろうとした時に。彼女の声が響いた。
「何挙動不審な真似してるのよ。要らぬ駆け引きは御免だわ」
………え。
唖然として。安室は少女の顔を見つめた。
少し身を起こした彼女は。具合が悪いのは間違いなさそうで、痛々しく頭を手で支えながら。それでも、気丈で落ち着いた笑みを見せた。
「言いたいことがあるなら、どうぞ。ただでは答えないけど」
「……君、いつから、起きて……」
何とか絞り出した声にも。彼女は余裕で答える。
「さあ? こんな小娘の狸寝入りにも気づかないなんて、思ったよりたいしたことないのかしら」
「……何、を……」
言いつつも。血が、心が、滾る思いがする。
彼女に見え隠れする。過酷な道のりを生き抜いた18才の姿。
彼の奥底からも。歓喜と希望と強い生命力が溢れてくる。
少女の姿なのに目映く強さを纏ったその表情に。
彼も不適な笑みを浮かべ…言い放った。
「やはり噂通りの、困った娘だな」