誘発するはこうこころ二人並んでテレビを見ている時だった。
様々なことを省略して必要部分だけ残したら随分と短くなっているが、これだけでは事実誤認は免れない。実際、二人は縦並びで暁人の脚の間にKKが収まっていた。暁人は外側からKKの腰に巻き付くように腕を回して背中に頬を預けているし、KKはそれを好きにさせながらビール缶を煽り、空いた手を後ろへ回し暁人を構っている。生え際の柔い部分から耳元をくすぐるように撫でては、肩を通り背を軽くたたいてあやす。KKからしたら子供を甘やかしているようなものだろうけれど、家庭背景の暗い暁人にとって、そのぬるま湯のような戯れも好きだった。彼はバランス加減も絶妙で、他愛ない触れ合いに暁人が少し物足りなさを覚えたころを見計らって、徐々に手指が胸先の敏感な部分や薄い腹を下へ辿っていく。そこから先のことは、KKは身のうちに大事に取っておきたいことであり、暁人に至っては途切れ途切れにしか思い出せない。それでも言えることは、互いがいかに今を大切にして、この関係性を温めているか、その一端でさえふたりきりで噛み締めていたいのだ。
さて、今回はまだ例の『物足りなさ』を感じていない。どちらかというと今日は性欲に直結するような交わりより、ただ温もりを共有するようなスキンシップの方が心地いいと思う気分だった。風呂上りからそれなりに時間が経っているはずなのに、いまだにあたたかい手のひらを甘受しながら、ぐぅ、と耳元で音がする。自分の喉が無意識にないたとわかり、気恥ずかしさにKKの背にすり寄った。鼻を鳴らすと、ふと掠めるものがある。
「……?」
気になる、といえば聞こえが悪いが、違和感というよりも興味だった。前を通ったパン屋のドアの隙間から漂ってくる、ワクワクするような匂いを感じた時のような。そう、匂いだと思う。赴くままにもう一度、今度は詳細を確かめるようにしながら深く息を吸い込んだ。
人肌にぬくもった空気はこもっていたが、汗をかいたときほど湿った感じはない。そこにあるものを、暁人は形容するのに迷った。苦みや渋みは感じない、酸っぱさ…はいろんな意味でKKに悪いだろう。かといって甘いかとなれば、それには首をひねる。辛さなんてもっと無い。けれど不快ではない。寧ろもっと知りたくなるような抗えない何かが、暁人をとらえて離さない。もう一度、今度こそ中身を当てるような気持ちで背中に鼻を擦りつける。石鹸の香り以外の、さまざまなものが絶妙なバランスで混ざりあって溶け、昇華されている。日なたに出されたふかふかの布団のような安心感と、長く熟成されたワインのような深みの合わさった、結局何だろう?
「(これが、KKそのもののにおい…なのかも)」
数舜考えて、ふと閃いたフレーズに暁人は笑い出したくなった。いつか麻里が読んでいた漫画みたいなことを、現実に考える時が来るなんて思わなかった。渋谷を巻き込んだあの未曾有の人災で奔走していた時、微塵も想像できなかった小さな未来をこんな、思いがけないところで叶えてしまっている。生き残った者としての後ろめたさばかり感じてきたけれど、いつの間にか前を向くための一歩を彼と踏み出していたのだ。そしてそのことに、安堵こそすれ不安にならない自分がいる。
KKに出会えてよかった。
同じだけ、KKにも暁人が傍にいてよかったと、思ってくれているといい。
かつて肉体を離れ、実体のない魂だったころを知っている。
だからこそ、こうやって身体と中身がひとつになって初めて体現できるものをKKから感じるのは、暁人にとっても嬉ばしいことなのだ。
「なぁに一人で楽しんでんだよ、暁人くんよ」
「っ!」
低く響いた声が物思いにふける暁人の隙をついた。声こそ出さなかったものの大げさに肩が跳ねてしまい、不意打ちに驚いているのがばればれだった。
「に、においを…」
「ったく、やたらご執心だったから何事かと思ってたが……
こんなおっさんの加齢臭かいで、スキモノめ」
「うぅ、うるさい…ほっとけよ」
「そうもいかねーよ」
たじろぎながらもぽそぽそと白状すれば、頭を乱暴に撫でられた後KKにそう告げられた。首をひねる暁人に、酷薄に笑みを剥いた大人の節張った指先が暁人の手を取り、導く。胡坐をかいた足の間、可愛いことをする相棒に誘われて形を成した欲に。
「んなっ、ちょ、っとKK!」
「オマエが煽るのがいけない」
「そんな、」
重ね合った手に触れたものが一体何なのか、瞬時に気付いたのだろう。暁人は目を白黒させて、今理解したような反応をしている。無知とあざとさは紙一重だ、KKは思う。そしてその危ういバランスこそが、ひどくそそられることも。相手のにおいが気になって身体を密着させるなんて、一体どこで覚えてきたのか。こっちはずっと暁人のうす甘いミルクのような匂いをずっと嗅ぎ取っている。ぽやぽやした雰囲気を纏わせる恋人が、背中に引っ付いてはうっとりと目を細めているなんて、添え膳以外の何物でもない。
「責任、取るんだよな?」
「いやいやいや、僕に転嫁しないでよ!」
「初めっからオマエにあんだよ」
「ないよ」
「ある」
「ないって!」
「あるからもう黙れ、」
いつしか向かい合っていたKKに上を取られる形で床になだれ込み、唇をぶつけられた。間をすり抜けて入り込む舌が、歯列をなぞり暁人の舌先を掠めながら上あごを舐めあげてゆったりと呼気を送り込まれる。押さえつけられた手首をするすると滑りふたりの手指が絡めば、もう逃げ場はない。仕上げとばかりに口内の性感帯に柔く歯を立てれば、暁人の身体はびくびくと震えた。KKも背筋が痺れて、さらに腰を重たくさせていく。
とはいえ二人は知っている。『責任』を持ち出して甘い懐柔を企む大人も、『転嫁』を窘めながらその実求められることに満更でもない青年も。もう互いを欲するまま―――それこそあの時くらいに何もかもが混ざり合うまで、とまれないのだ。