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    takeke_919

    @takeke_919

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    takeke_919

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    まだ終わりません。
    いい加減エセホラー終わらせようね🤤

    #K暁

    夕闇の路地裏 昼日中のものとは違い、少し肌寒さを感じさせる風が柔らかく吹き抜ける。日増しに強さを増す陽光に育まれ、新緑に生い茂る若芽の枝葉がそれに遊ばれゆらゆらとさんざめいていた。

     西の空は鮮やかな茜色に染まり往く。家路を急ぐ人も、動物も、そして物の怪すらも。その輪郭がぼんやりと朧げに見える程、皆平等にその背を夕暮れ色に包み込んでいた。

     黄昏時───『誰そ彼時』とは言い得て妙だろう。

     日中の熱度は徐々に上がり、日脚は日に日にその長さを伸ばしている。数ヶ月前であれば既に宵の口にとっぷりと浸かり込んでいた頃合いでも、今や日暮れの頃合いに留まっている。

     人知れず、夏の足音が刻一刻と近付きつつある兆候だろう。

     その証拠に、都会からしばし離れ田圃を持つ家々はその地に水を張りつつある。河鹿の声に耳を傾けながら祈るその思いたるや。皆一様に秋に実りを見せる、金色の瑞穂の波への冀望であろう。

     「水無月」「水月」「水張月」

     古から、此の月への呼び名は数多とある。しかして、その呼び名には等しく『水』の言の葉が用いられているのだとか。

     生き物とは、水無くしては生きられぬもの。それは人も、動物も、植物にも差異はない。だから古人は空から降り注ぐ地雨を尊び、恵みの雨と呼んだ。慈雨と宣った。……それは、ただ偏に。豊穣を祷る彼の者達の切なる願いと、天からの賜物であったのだろう。



     都会の喧騒からやや遠ざかった、とある住宅街。

     その一角に設けられたのは、幾つかの遊具とベンチの置かれた小さな公園。その一つに腰掛けた暁人はただぼんやりと中空を眺めていた。

     此処では田圃に流れ往く水の音も河鹿の声も聞こえはしない。だがひっそりと、静かに全身を染め上げる黄昏色が日の長さを彼に知らしめていた。座すベンチから投げ出された両の足、其処から伸びる色濃い影帽子が橙色の中で揺れている。

     何の変哲もない、ただの小さな公園だ。それでも先程までは友人らと遊び回る、小さな影が幾人か在ったのだ。しかしそれらも、防災無線のスピーカーから流れる夕刻の調べを耳にした途端、各々の自宅へと足速に帰ってしまった。
     勿論、それは何ら可笑しなことではない。小さな彼らが両親と交わした決まり事の一つであるのだろうと、理解も出来る。

     しかし暁人は、自分"だけ"がこの夕闇に染まりつつある公園に取り残されてしまったような、そんな錯覚をつい覚えてしまう。久しく感じていなかった、夕暮れ時の何処か物悲しく、寂しさを感じるようなあの独特の感覚。そんなものを感じてしまう程には、彼は時間を持て余していた。

     要はこの男、待ちぼうけを食らっているのである。

     ふぅ、と思わず溢れ出た溜息の後に公園の出入り口付近に設置された電話ボックスを見遣る。その中には自身の待ち人──KKの姿が変わらずあった。電話口の相手は凛子かエドか、将又妖怪コロッケおじさんか。何方かは分からないが、此度の依頼の報告に時間が掛かっているらしい。受話器を持つ左手とは逆、右手の人差し指で電話本体の天井部をトントンと叩く様子は紛う事なき彼の癖だ。

    「(これは……もう少し時間が掛かりそうかな)」

     近くにコーヒーショップでもあればドリンクの一つや二つでも買いに赴くところではあるが、生憎と現在己がいる場所は閑静な住宅街だ。自販機はあれど販売店の類は見受けられない。日が落ち切る前に終わればいいのだが……。それは電話口の相手と相棒との匙加減次第である為、希望的観測の域は出ないだろう。

     西の彼方に沈む日輪はその姿を徐々に隠しつつあり、空は一部の茜色を残して夜闇の群青がその大半を占め始めていた。上空には宵の明星が一等強く、その星体を輝かせている。手持ち無沙汰の暁人は、頭上に広がる見事なまでの夕暮れ空をただ静かに見上げていた。

    「……綺麗だな。久しぶりかも、こういうの」

     近頃は追い迫る時間とビル群の灯りに阻まれ、夕闇の濃淡を感じる事など無かった気がする。偶然の産物とはいえ、待ちぼうけも悪くはないと思える程には彼の気分は知らぬ間に高揚していた。
     しかし、折角なら自身の相棒と共にこの見事な光景を堪能したかったと。頭の片隅でそう考えてしまう己に少しだけ擽ったい気持ちになる。……それを本人に言ってやる程、自身はロマンチストでも無いので心の中に留めるだけにしておくが。

    「電話、早く終わらないかなぁ……」

     ぽろり。思わず言葉が零れ落ちる。無意識のうちに溢れ出た独り言、それに返事を返す者は今この場に在りはしない……筈だった。

    『にゃあ』

    「……え?」

     膝に頬杖を突いた何とも言えない体勢のまま、素っ頓狂な声が暁人の口から飛び出す。まるで自身の呟きに返答を返すような、絶妙なタイミングで返って来たその言葉に思わず驚愕してしまう。……正確には鳴き声と言うべきであろうが、そんな事は今は瑣末時だろう。

     音の出処は一体何処からかと、きょろきょろと辺りを見渡す視界の端に一瞬、黒い影が写り込む。そのまま恰も導かれるように、そろそろと視線を下ろした先──自身の足元には、ちょこんと座す黒く小さな生き物の姿が。此方を見上げる黄色い双眸に、時折ぴるぴると僅かに動く三角に立った耳。そして極め付きは、ゆうるりと左右に揺れ動く細く長い尻尾。

    「……猫だ」

     艶艶しい真っ黒な毛並みは何とも美しく、一目見ただけで随分と丁寧に手入れされている事が窺い知れた。黄色い瞳とバチリと目が合うが、逃げるどころか警戒心すら見せない様子を見るに、恐らく何処かの飼い猫だろう。
     ……しかし、一体いつの間にこんな傍まで近付いていたのだろうか。いくらぼんやりしていたとはいえ、足先のほんの傍まで近付いて来た、その気配にすら気付く事ができなかったとは……。少々気を抜き過ぎていたのかもしれない。

     そんな事を考えていると、まるで此方を見ろと言わんばかりに。再度黒猫が『みゃあ』と鳴き声を上げる。今の暁人には、KKと二心同体だった時の様にエーテルを用いた霊視は扱えない。だから以前の様に、街中で出会う犬や猫達の情感をはっきりと感じ取る事は出来ない筈だった。しかし不思議と、目の前にいるこの黒猫の抱く思考は何となく理解出来る気がしたのだ。

    「どうかしたの?」
    『うなぁーん』
    「……もうすぐ夜になっちゃうよ?お前も早く家に帰りな」
    『にゃあお』

     顎下に触れようと伸ばした指先が、するりと見事に躱される。猫は気まぐれな性格というのはよく聞く話だが、それを目の前で発揮されるとついつい構いたくなってしまうのが人の性と言うものだろう。
     暫しの間、この黒猫と戯れようと暁人がベンチから立ち上がった正にその瞬間。今し方まで大人しくその場に留まっていた黒猫が俊敏な動きを見せて彼との距離を取る。

    「あ、ごめん…!驚かせるつもりはなかったんだ」
    『んなぁーう』

     慌ててその場に蹲み込み姿勢を低くした暁人であったが、どうやら黒猫は彼から逃げるつもりは無いらしい。ある一定の距離まで近付くと少し距離を取り、また近付けば少し離れ、やや先の場所に留まるという行動を繰り返すこの黒猫。それは傍目から見れば、暁人が自身に近付いて来るのを待つような、そんな素振りを見せているようだった。

     黒猫のとる、その不思議な行動に彼の中である疑問が音も無く浮かび上がる。

    「……もしかして、付いて来いってこと?」

     彼の投げたその問いに、返事するように『みゃおう』と一声鳴き声を上げた黒猫。電話ボックスの設置された方とは丁度反対側に位置する公園の出入り口まで歩を進めると再度立ち止まり、彼の事を振り仰いだ。
     その行動が、暁人の中での疑問を確信へと移り変わらせる。きっとこの黒猫は、自身に何かを訴え掛けているのだと、そう思わずにはいられなかった。

     一度電話ボックスを見遣る、KKは未だ通話中だ。……少し様子を見に行くだけ。あまり公園から離れるようならば土地勘も無い事だし、黒猫には悪いが潔く引き返せば良いだろう。前に掛けたボディバッグの中にはスマホも入っている。もしも通話を終えたKKが暁人の姿が見えない事に気付いたとしても、それで何らかの連絡を寄越してくるだろう。

     大方の懸念事項は解消されたと捉えて良い筈だ。……では、後はどうするかと言われれば。

    「そんなの、付いて行くっきゃないよね」

     暁人は黒猫の後を追い、その一歩を踏み出す。謎に湧き上がるこの活動力は好奇心故か、将又単なる興味故か。彼自身、抱いた心の機微に気付いてはいなかった。

     一匹の黒猫と、一人の青年のその姿が。音も無く、ただ静かに黄昏の色の中へと溶け込んでいく。

     それに気付く存在は、今は在りはしなかった。


    ⬜︎


     一方、電話ボックス内にて───

     あの特徴的な緑色の電話、その受話器片手にKKはある人物と通話していた。

    「───ってのが、今回の調査結果だ」
    『……あ、あぁ了解した。依頼人への報告はアタシからしておくよ』

     此度の依頼も、例に漏れず原因は澱みに溜まった穢れであったのだが。その事の顛末を、仲間の一人である凛子に報告していたのである。時間が掛かってしまったのは、単に報告内容が多かったから。これは、依頼人から事細かな説明を求められた際の対策であった。

     先程、チラリと横目で見た自身の相棒は公園内のベンチに腰掛けながら随分と暇を持て余している様子だった。とっとと切り上げて夕飯でも食って帰るかと、そんな算段を頭の片隅で立て始めるKK。善は急げと言わんばかりに、通話を切る旨を凛子に伝え受話器を置こうとしたのだが、何故か電話口の彼女が食い下がる。

    『ちょっと待ってくれKK』
    「…ア?もう報告は十分だろ」
    『……報告の事じゃない。付かぬ事を聞くが…貴方、今でも動物は苦手だったよな?』
    「オイオイ、何だよ藪から棒に」
    『いいから答えてくれ』

     妙に謹厳な彼女の声色に、怪訝に思いながらもKKは応答する。

    「……あのな。何が気になってんのか知らねぇが、"オレ"が苦手なんじゃねぇ。"アイツら"がオレのことを苦手なんだよ」
    『……そうか。その…括りには猫も含まれているか?』
    「当たり前だろ」
    『……だよな』
    「おい凛子、オマエさっきから変だぞ」
    『アタシだって、好きでこんな事聞いてるんじゃない』
    「だったら何で」

     そんな事を聞くのかと、続けようとした言葉は凛子自身によって遮られる。肝の据わった彼女にしては珍しく、その声音には僅かな焦燥の色が孕んでいた。

    『可笑しいんだよ、さっきから。初めは聞き間違いかと思っていたけれど……。貴方の声に混じってハッキリと聞こえてる。
    ……それこそ、今も抱えながら電話してるんじゃないかって思うぐらいには、至近距離から』
    「……一体、何が聞こえている…?」

     凛子の常らしからぬ空気感に何かを感じ取ったKKは静かに疑問を投げ掛ける。彼の応対が変化した事により、自身の焦燥が伝わったと感じ取った凛子は一呼吸の後、強張った声で小さく溢した。


    『………猫の、鳴き声…』


     凛子の言葉が受話器越しに耳へと届き、伝えられた内容を頭が理解するか否かといったその瞬間。左耳に当てた受話口からザザザと突然ノイズ音が走る。
     今し方まで何ら問題もなく使用していた筈の電話機、それが訴えた突然の不調に思わず眉を顰めるKK。しかしそのノイズ音に紛れ、己が耳が拾い上げたその音はこの場では聞こえる筈のないモノであった。その音とは、先に凛子が聞いていたモノと相違ないのだろう。それは、彼の意表を突くには十分過ぎるものであった。

     一声、何処からともなく大きく発せられた『にゃあ』という鳴き声。

     その音の直後、ブツリと唐突に電話が切れる。
    "切られた"と言った方が正しいのかもしれない。勿論切った相手は凛子でも、ましてやKKでもない。この両者以外、何某かの介入により強制的に通話を終了させられた訳だ。

     一体何を訴えかけているのかさっぱり理解出来ないが、十中八九生きた人間の仕業でない事だけは確かだった。KKは左手の中にある受話器をまじまじと見遣る。ツーツー音すら聞こえていないこの電話機は今や使い物にならないだろうと、受話器をフックに掛けようとしたその時だった。
     彼はぴたりとその動きを止める。

    「(……何か…居やがる…)」

     背後に気配を感じた。ずるりと、重苦しいソレは決して気の所為などではなく、この世の者とは到底思えないイヤな気配を纏っている。耳に掛かる生温い空気、何処か人の呼吸を思い起こさせるそれに生理的な不快感が背筋を走り抜けた。

     電話ボックスのような狭い空間に大の大人一人が入っていれば、もう一人が入る猶予など無いに等しい。それに出入り口である背後の中折れ戸の動作音すら、KKには聞こえなかった。聞こえなかった、というより『しなかった』の方が適切な表現かもしれない。何某かは音も無く現れ、今もなおその存在を主張している。しかし、チラリと目の端で捉えた背後にその姿は見受けられなかった。

     古今東西、電話ボックスに関する曰く話は数多に存在する。物に憑いているのか、人々の間を飛び交う噂話に憑いているのか、それは各々相違があるだろうしある条件下でのみ霊が出現する場合だってある。
     実際この公園を目にした時も電話ボックスに入った時も、KKは霊の存在を感知していなかった。恐らくだが、この公衆電話を使用した者にのみ何らかの干渉を加えるのかもしれない。現状猫の鳴き声との繋がりは分からないが、それが妥当な線だろうと背後を窺いながら彼は考えていた。

    「(通話を切りやがったのは恐らくコイツだな……)」

     この世に何の未練があるのか、それはKKにも知りようが無い。そもそも生きた人間に悪影響を与える存在の抱く未練など、大方碌でもないモノであると過去の経験から彼は学んでいた。死してもなお、此岸の世に執着を見せ、生きた人間を巻き込んでくる相手は基本的に道理も話も通じないことが常であったからだ。

     思い出したくもないが、『未練ある死』は己が身にも一度起き得たことだ。今こうして再び肉体を持ち、相棒たる暁人と触れ合える現実は奇跡なんて言葉では表せない程の事象であることは嫌というほど骨身に沁みている。
     そんな今の己が取れる行動など、当に決まっていた。未練に縛られた霊魂を祓い、此の世から解放してやることだ。……それがせめてもの救いというものだろう。

     KKは印を結ぶ為右手を静かに構える。

     この間も背後の何某かが姿を現すことも抵抗を見せることもなく、状況の変化はありはしなかった。その事に僅かな違和感を抱きつつも、抵抗されないのであればこの機を逃すこともあるまいと。振り返ろうとした、その時だった。

    ホシい────

    ほシいほしイ────

    ホしイほシイ、ほしい────

     未だ手にしたままだった受話器から突然、ただ一つの言葉の羅列が落とされる。辛うじて女の声であると判断出来たが、ノイズの走ったその声は所謂死者の声だ。決して、聞いていて気持ち良いものではない。何が欲しいのか……いや、"欲しかった"のか、魂が穢れてもなお女が渇望したモノとは。

    「……悪いな。生憎と、オマエの望むモノはオレには叶えてやれねぇよ」

     ただただ静かに、しかしはっきりとKKは断言する。女の欲しがったモノが何か分からない上に、そもそも生者が与えられるのかどうかすらこの場合怪しいだろう。だが彼の言葉が聞こえていないのか、将又聞く気がないのか。女の要求は止まらない。

    ほ、しイホシイほシィ────

    ホしいチょう、だイホシイ────

    ちョうダいちょウだイ、ちょうだい────

     言葉を連ねるにつれ、辿々しかった音が徐々に声となって聞こえ始める。あまり宜しくない兆候だった。電話ボックス内の空間が、自身を取り巻く空気が更にどろりとした重苦しい圧迫感に満たされる。出来るだけ穏便に済ませられるのであればそれに越した事は無かったのだが……。

    「……ハ、そう簡単にはいかねぇってか」

     不測の事態は慣れっこだよ。そんなボヤきを溢す程度には、KKにはまだ余裕が残されていた。刑事然りゴーストハンター然り、数々の修羅場を潜ってきた彼にとって慌てるまでもなく対処出来うる状況であったのだ。……そう、この時までは。

     異変というものは、いつだって突然訪れる。
    それを予測するのは誰も彼もが不可能に近い。それは等しく、この男であってもだ。

    ねぇ…ねぇ…ネぇネェねぇ────
    あなタにも、イるのね────

    ダいジなひと────

     無機質に言葉を重ねるばかりだった女の声に、会話らしき文言が混ざりだす。いや、初めから女はKKと会話していたのかもしれない。現に受話部から届く女の声は鮮明さを増していた。

    アめのヨるをかけぬけタ────
    あいボう……?────
    たイセつなヒと────

    ソう……なまエ、なまえは……あキ───

    「……オイ。テメェ如きが、それを口にするんじゃねぇ」

     低く、それでいて静かな、重い怒気を孕んだ声音が女に投げ付けられた。ただでさえ厄介な者に目を付けられやすい質なのだ、相棒の其の名を亡者に語らせる訳にはいかない。
     勿論暁人だって決して弱い訳ではない、だが彼岸の存在に名を呼ばれる、その事象の弊害が彼にどのように現れるのか現状分からないのも事実であった。

    「何が目的か知らねぇが、テメェの相手してんのはこのオレだ。とっとと姿を現したらどうだ」

    イいなァ……ダイジなのネ、たいセツなノね───

    うラやまシイうらヤましイウらやましい────

    ネェ…ねぇ、ねぇ…ネぇねェねぇ────

     変わらず怒気と威圧を込めて言葉を続けたKKであったが、臆するどころか何故か女の声音に喜色が混じり始める。胸中にあった余裕が嫌な胸騒ぎへと静かに変貌していくのを、彼は感じていた。

    「いい加減に───」

     しやがれ、と。女に向けて発する筈だったその言葉は彼に向けて放られた"ある言葉"により掻き消される。ソレは今し方まで放られていた羨望の詞などでは無く、確とした意志の込められたモノであった。


    『ソの子、ワたシにチョうだいナ───』


     受話部だけで無く、背後から直接耳元に落とし込まれたその言葉を皮切りに、ざぁと波が引くように自身を取り巻く空気が、背後の気配が跡形も無く霧散する。慌てて振り仰いだ後ろには誰の姿も無く、閉められた中折れ戸があるだけ。左手の受話器からは先程まで鳴ってもいなかった筈のツーツー音がただ繰り返されていた。

     KKの中で喧しく警鐘が鳴り響く。
    あの女は最後何と言っていた?聞き間違いでなければ『頂戴』と言っていたのではなかったか?それは一体何を?……誰を?

    「クソ……ッ!!」

     投げ付けるように、受話器をフックに掛け落とすとKKは電話ボックスを飛び出した。此処は小さな公園だ、ボックスから暁人の待つベンチは目と鼻の先。直ぐにその姿を目に収めることが出来ると、居なくなっている筈は無いと。早鐘を打ち始める己の心臓には気付かない振りをし、視線を向けたその先には。

     無情にも、もぬけの殻となった長椅子と無人の公園が広がっているだけだった。……夜の闇が刻一刻と迫っている。



    ⬜︎⬜︎⬜︎



    「……ねぇ、何処まで行くの?」

     暁人は自身の足元、その少し前で小さな影を落としながら未だ歩みを止めぬ者に幾度目かになる問い掛けを投げた。

     と言うのも、相棒の居る先の公園から住宅街へと進入し曲がり角を二つ、三つ、四つ。四ツ辻を右へ左へ二つ程越えて、更にまた突き当たりの曲がり角へと差し掛かっていたからだ。当初の自身は『ちょっと其処まで』程度の心持ちであった筈なのに、これでは些か件の場所から離れ過ぎではなかろうか。
    そもそも此処ら一帯の土地勘は端から持ち得ていないし、先程から歩み行く黄昏色に染まる住宅街の風景は何処もかしこも似たり寄ったり。ハッキリ言って自分が何処の角を何方へ曲がって此処まで進んで来たのか、だいぶとあやふやになりつつあった。

    (本当に、そろそろ引き返した方が良いんだろうけど……)

    そうは思うものの、足元から返される『にゃあ』という鳴き声が、まるで『まだ付いて来い』と言っているかの様に己が耳には聞こえてならず。なかなか暁人は歩みを止め、踵を返すという行動に移れてはいなかった。

     そうして、遂に七つ目の角を曲がるにまで至ったその時。

    「……行き止まりだ…」

     暁人は首を傾げざるを得なかった。何故なら彼の視線の先には、今し方まで自身の両側から連なっていたブロック塀と他の住宅に囲われた袋小路が広がっていたからだ。
     はてさて、この黒猫は所謂このどん詰まりまで自身を携えて来たかったのだろうか。

    「まさか、この塀の上を行ったりしないよね?」

     塀の上や屋根伝いにある猫の道なるものにまでついて来いと言われても、流石の暁人にも限界はある。そりゃあ一般人に比べれば、塀の上や屋根伝いどころかビルの屋上から屋上への超飛行の経験まである彼からすれば、猫の道を行くなど容易いものではあるだろう。
     しかし、あの夜と今とは状況が全く違うのだ。夕暮れ時の薄暗さはあれど、まだ日の光は辛うじて辺りを茜色に照らしている。いつ何時、此処らに住まう住人と遭遇するかも分からない状態で人様の家の塀やら屋根の上やらを飛んだり走ったりする訳にもいかないだろう。

     そんな暁人の懸念を知ってか知らずか、もう一度『にゃあ』と鳴き声を上げた黒猫は彼が制止する間も無くとっとっとっ、と静かな足音と共にそのまま民家の塀影へとその身を滑り込ませてしまった。

    「あっ、ちょっと…!」

     慌てて追いかけたその先、道など何も無い様に見えていた其処にはなんと、小さな細道が存在していた。民家と塀に挟まれた隙間にあるその小路、見たところ何とか人一人は通れそうではあったが文字通りの猫の道なのであろう。覗き込んだ先は随分と細く、何より色濃い影が落ちていた。
     夕暮れの時間帯も相間っているのだろう。目を凝らして見遣ったとしても、闇に包まれた小路の奥は薄ぼんやりとその路の輪郭を示すだけで全貌を捉える事は出来ない。勿論それは先にこの小路を行ってしまった黒猫の姿も同様に、だ。

     これは本格的に見失ってしまったのだと、そう悟った暁人が踵を返し来た道を戻ろうと二、三歩足を踏み出した矢先だった。

    『にゃおぅ』

     自身のすぐ後ろ、恐らく小路からあの猫の鳴き声が響いた。慌てて振り返った先、しかし其処に黒猫の姿は無い。





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