夏祭りカラン、コロン───
淡い光を灯し、薄暗闇に数多吊るされた祭り提灯。赤と白、二色の色彩で彩られた丸型のソレが未だ生温い熱を孕んだ風が吹き抜ける闇間にぼんやりと浮かび上がる。
カラン、コロン──
境内に敷かれた石畳。其処を歩む度に足元から聞き慣れぬ軽やかな音が鳴り響く。その音にさえ、普段と違った非日常の調べを感じられた。それは、自身の纏う衣服と相間って『特別な夏の夜』の雰囲気をより実感させてくる。
カラン、コロン───
幾つも建ち並ぶ、色彩豊かな屋台達。焼けるソースやバターの香ばしい薫りから、蕩けるような砂糖飴の甘い薫りまで。その何れも是もが等しく鼻腔と腹の虫を刺激して、されどれから食らおうか。
手始めに甘味から、いやいやそれとも塩味から。悩みは尽きる事を知らない。
「ふは、どれも食いたいのは分かったから。ちったぁ落ち着きな」
何も、屋台の食いモンは逃げねぇよ。隣を歩きながら、言葉を投げ寄越した男──KKは心底可笑しそうに口角を歪めている。
「だって全部美味しそうだろ?いや、美味しいに決まってる。出店で売られてる食べ物に不味いものなんてありはしないんだよ」
キリリと、やたらと真剣な顔でクソ真面目に屋台の食べ物に対して宣言をし始めた男──暁人の言い分は分かりそうでいて、イマイチよく分からない。屋台で出されている物ならゲテモノまで『美味い』と宣いながら食い始めそうな目の前の相棒に何とも言えない表情を向けるKK。
「いや、何なんだオマエのそのよく分からん自信は」
しかしそんなKKの態度を意にも介していないのか、暁人は指折り自身の食べたい物を羅列していく。
「焼きそばもたこ焼きも食べたいし、チョコバナナもりんご飴だって食べたい。あ、あとかき氷に」
「……オマエの腹が底無しなのは今に始まったことじゃあねぇけどよ」
腹壊しても知らんからな。呆れ気味に溢されたその言葉を聞いているのかいないのか、きらきらと眩い煌めきを灯した瞳を屋台へと向ける相棒にこれ以上苦言を呈するのも野暮というものだろうと。
KKと暁人の二人は、非日常に浮き足立つ人波の中へとその歩みを進めるのだった。
⬜︎⬜︎
「……はぐれちゃった」
暁人は独りごちる。理由は単純明快、縁日を共に楽しんでいた筈のKKといつの間にか逸れてしまっていたのだ。ガヤガヤと多くの人が行き交う人混みを見遣りながら、右手に携帯を、左手にりんご飴を携えて参道の脇にて佇んでいた。
『その場を動くな』
携帯のディスプレイ画面には相棒より送られた至極簡潔なメッセージが表示されている。無闇矢鱈と動き回るより、その場に止まって目印か何かを伝えた方が合流しやすいだろうとの考えであった。しかし、暁人とてただ一方的に探されるのは流石に気が引ける。せめて開けた分かりやすい場所にでも出られたならば、相棒も探しやすいだろうと。
カランコロンと、駒下駄特有の音を奏でながら少し参道を進む。そんな時だった。
「おぉい、そこの兄ちゃんよ」
「……え、僕?」
突然、何某かに声を掛けられる。雑踏犇く中でよく聞き取れたものだと。自身でも少し驚きを覚えつつ、矢鱈と通ったその声に暁人の意識は気付かぬ内に捉えられていた。
「そうそう、アンタだよアンタ。ちとこっちに来てくれや」
何処か古風な身形の男が、屋台の中から此方へ手招いている。浮かべられたその笑顔は見ようによっては些か胡散臭げであった。そうは思うものの、何故か強烈なまでに興味心をそそられた暁人は参道より少し奥まった所に構えられたその屋台へとふらりと立ち寄ってしまった。
男は変わらぬ笑顔を相貌に貼り付けながら、何やら饒舌に話し始める。
「いや〜兄ちゃん運が良いよ!偶々おいちゃんの目に兄ちゃんのことが留まってね」
「は、はぁ……」
「あれま反応薄いね。ま、そんな運の良い兄ちゃんにお一つ試して貰いたいモンがあってだな」
……これは、もしかしなくても危ないオクスリだとか、悪徳なアレの勧誘的なヤツなのでは……?
頭の中の相棒が『見るからに怪しい、近付くな』と警鐘を叩き鳴らしている。……ちょっと煩いな。
警戒心を露わにし始めた暁人に対して、店主は慌てた様に言葉を続けた。
「そんな警戒しないでよ!おいちゃん怪しいヤツじゃあないからさ!」
「……いや、怪しい人が自分から『怪しい者です』って言うわけないでしょ。僕、人を待たせてるんで行きますね」
「ちょ、ちょちょちょっと待ってって!!試して貰いたいってのは何も変なモンじゃなくてさ!コレ!コレ味見してみて欲しいってことなのよ!!」
踵を返そうとした暁人に向けて、焦った様に言葉を紡ぐ店主は慌てて何かを取り出した。それは竹串に纏わせた黄金色にきらきらと輝く大小様々な鼈甲飴。しかしその形は少々不恰好なものであった。
「なかなか上手い形に出来なくてね。実はコレ、全部失敗作なのよ」
「え、こんなに綺麗なのに?」
「ほほう、兄ちゃん案外見る目あるねぇ。捨てるのも勿体無いし、誰かに食ってもらえねぇかなぁ〜って思ってた所に兄ちゃんが通りかかったってワケよ。丁度似たもうなモン手に提げてたしな」
店主は左手にあるりんご飴を指差しながら、声高らかに言葉を続ける。
「勿論お代は結構!!味の保証もバッチリだ。困ったおいちゃんを助けると思って、お一つ食ってみてくんねぇかな?」
「……ホントに変なモノとか入ってないよね?」
「そりゃあもう。安心安全、おいちゃん印の鼈甲飴さ」
「まぁ、一つぐらいなら……」
「そうこなくっちゃな!」
感謝の印に、大きめの渡しとくよ!絵に描いたような良い笑顔で渡された鼈甲飴をまじまじと見遣る。見た所、本当にただの鼈甲飴だ。材料だって砂糖と水だけで作るものだし、変な気配も感じない。偶然の巡り合わせと、純粋な好意を受けた暁人が右手の中にある黄金色に齧り付こうとしたその瞬間───
「食うな」
低く、鋭さを孕んだ声と共にガシリと右手首を掴まれる。驚いた暁人が声のした方へと視線を向けると、其処には珍しく軽く息を切らせたKKが自身の事を見詰めていた。
「……けぇ、けぇ」
「いいか、食うな」
念を押す様に、同じ事を再度宣うKKにおずおずと了承の意を示す暁人。それに頷き返したKKはするりと彼の手の中から鼈甲飴を取り上げると、店主に向かって其れを投げ返した。
弧を描いて手元の台に転がった飴を、何処かつまらなさそうに見遣る店主にKKは声に鋭さを纏わせたまま言葉を投げ付ける。
「コイツはオレのだ。ちょっかい掛けてんじゃねぇよ」
先程まで貼り付けていた笑顔は鳴りを潜め、ただただ無表情にKKを見詰める店主。その顔に暁人が薄ら寒いモノを感じ始めた頃、彼の右手首を掴んだままKKが踵を返す。彼に伴って暁人も体を反転させたのだが、先の様に店主から呼び止められる事はなかった。
「……なんだよ、手付きか。つまんねぇの」
人知れず、とある一つの屋台とその店主が夜の闇に紛れ込む。参道の一箇所、確かに其処にあった筈の小さな出店は誰にも気付かれる事なく忽然とその姿を消した。
無論、二人の背に投げられたその言葉も彼等の耳に届くことは無かった。
⬜︎⬜︎
「……ねぇ、怒ってる?」
「怒ってねぇよ」
「嘘だ、絶対怒ってる」
「だから、怒ってねぇって」
「だったらこの持ち方どうにかしてよ」
未だ手首を掴んだまま、此方を見向きもしないKK。これは十中八九自身に怒っているに違いないと、ひしひしとその身に感じていた暁人は素直に謝罪の言葉を口にした。
「……ごめん、なさい」
その言葉に漸く歩みを止めたKKは一つ、大きく長い息を吐く。これはもしかしなくても呆れられてしまったのだろうかと、ピクリと肩を震わせた暁人に対してKKは「違う、違うんだ」と僅かに言葉を溢す。
「オマエは悪くねぇよ。オレが一瞬気を抜いちまったんだ。情けねぇ、浮かれてたんだろうな。気付いた時にはもう、オマエは迷い込んでた」
「……迷い、込んでた?」
話が見えない。普通にKKと逸れて、他人から賜ったよく分からないモノ(と言っても鼈甲飴だが)を食べようとしていた事に怒っていたのではないのだろうか?困惑を見せる暁人に、KKは掻い摘んで説明を始める。
「こういった人の多く集まる祭りの場ってのはな、色々と紛れ込みやすいんだ。妖怪、霊、魑魅魍魎とまぁ色んなヤツがな。暁人、さっきオマエが話してた店主の男だが、アイツも人間じゃあなかったんだぞ」
「え……そうなの!?」
「やっぱり気付いてなかったか。……まぁ、相当擬態の上手いヤツだったし無理もないか。
……で、話を戻すが人間じゃあない輩から勧められた食いモン食ったらどうなるか、分かるか?」
「……もしかしなくてもソレって『黄泉竈食』的なやつ?」
「御名答。オレもオマエも冥界の食い物にはそれなりに耐性はあるが……。こういった特別な場で現れた輩が出したモンを口にしちまえば、どうなるのか正直分からん。
それもこれも、オレの不注意から起こっちまった事だから……あー、なんだ。謂わば、自己嫌悪ってヤツ……か?」
空いた方の手でバツが悪そうに頭を掻くKKに、暁人は空いた口が塞がらなかった。相棒のその表情を怪訝に思ったKKが何だよその顔は、と訊ねると彼は何とも言えない言葉を紡ぐ。
「いや、KKも自己嫌悪するんだなって思っちゃって……」
「オマエ、急に失礼だな」
「だって、いや、だって……ねぇ?」
誰かに同意を求める訳でもないが、何時も綽然とした態度を崩さない相棒がまさか自身の目の前で自己嫌悪に陥っているなど、誰が想像出来ようか。それに聞き間違いでなければ、先程彼は『浮かれていた』と言わなかっただろうか。
「KKも、浮かれてた……の?」
「……何だよ。年甲斐もねぇってか?」
「いや、そうじゃないよ。そうじゃない……ケド」
何だ、この擽ったい気持ちは。胸の辺りに湧き上がるムズムズとこそばゆい感覚に、思わずキュッと浴衣の襟元を握り締める。そんな暁人を目に収めたKKはポツリとある言葉を呟いた。
「……仕切り直しだ」
「え?」
「まだ、そのりんご飴しか買ってねぇだろうが。……色々と、食いたいんだろ?」
「う、うん!」
暁人の足元から、カランコロンと軽やかな下駄の音が再び闇夜に響き渡る。KKと暁人、二人の間では祭りの夜にだけ奏でられる特別なその音色。
(コイツのは、駒下駄にしておいて正解だったな)
相棒とはまた形の違った下駄を履くKKは、胸中にて独り言を溢す。人知れず、その身に厄難を招きかけていた片割れを寸前とは言え、救うことが出来たのだから。
カラン、コロン───
己が隣にて、今も軽やかに鳴り響く下駄の音。
それは正しく、相棒が自らの居場所を片割れへと指し示す道標であった。
おわり。