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    月海 故

    @htrdxy

    むざより!

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    月海 故

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    2022年3月27日発行の無配。
    植物研究者の無惨とカフェ店員の縁壱の話・第1話。
    キャラクター崩壊が顕著。なんでも許せる人向け。むざより未満。

    💝冊子版の頒布が終了したためエアブー230212にて公開いたします。
    お手に取ってくださりありがとうございました。

    #むざより
    personUninterestedInRomance
    #現パロ
    parodyingTheReality
    #無配
    withoutDividend

    カフェ・ボタニカル 私の行きつけの喫茶店には、花を咲かせるように笑う店員がいる。
     だがその男、始終ニコニコとしているわけではなく、どちらかといえば仏頂面を見せていることの方が多い。ただ、目が合うと綻ぶように表情を和らげるし、問い掛けに答えればそれを満開にさせるのだ。
     人と触れ合うのが好きなのだろう、私とは違って。


     早春、新たな仕事に就くためこの地へ来た。
     職場近くにあるその店の外観を気に入って立ち寄ったのがきっかけだったが、出す料理もコーヒーもなかなかに美味い。
     それからもう三ヶ月ほど通い詰めているが、今は週に数回、食事や茶を楽しんでいる。

     件の店員は二十代半ばといったところだろうか。主な仕事は給仕。
     座席数はカウンターの他、テーブル席が十席ほどの店内だ、そこまで広くはない。給仕の男はそのテーブルの間をデカい図体で行ったり来たりする。
     その風貌は、おおよそ喫茶店のウエイターらしからぬ逞しい体躯に白いシャツを纏い、臙脂色のカフェエプロンを腰に巻いたというもの。
     短い髪はその癖故に遊ぶようにあちこち跳ねているが、そのやんちゃな癖っ毛とは対照的に涼やかな切長の目元が目を引く。一見すると冷たくも感じるその面差しだが、先述の通り、笑えばそんな印象はあっという間に崩れ去る。
     客観的に総合判断して、大変に魅力的な男だ。つまり、これを目当てに足を運ぶ客もいるだろう。
     ついでに言うと、カウンター奥の厨房にはこの男と瓜二つの、だが雰囲気はまた違った色男が見える。店に出てくることは稀なこのコックの男、黒いキャップをかぶって調理をしているのだが、近くへ行ってその顔を覗き込まなくとも遠目に見て十分にその見た目の良さが分かる。
     給仕の男はぼけっとした印象があるが、厨房の男は気が利くようで、この店を仕切っているのはあちらだとすぐに分かった。おまけに愛想がいいときている。
     三席しかないカウンターがいつ来ても埋まっている理由は明白だ。
     しかしなにより出すものが美味い。それに、この店自体の雰囲気が良い。
     先に言った通り、外観に惹かれて訪れたのが最初だ。煉瓦造りの古びた建物を蔦が覆い、店先には手入れの行き届いたガーデニングのプランターや鉢植えが並ぶ。
     店内にはエアプランツや多肉植物が多く飾られ、広く取った窓からは陽の光がよく取り込まれている。
     命の輝きに満ち満ちた、そんな印象を受ける店構えに惹かれたのだ。


     今日は午前中に講演をこなし、残る午後の予定は日々の研究業務のみ。
     研究職は忍耐強さが求められるが、現状根を詰めても得られるものが無いため、休憩をと散歩がてら外に出た。
     初夏の足音を感じさせる陽気の中、新緑溢れる緑道をゆく。
     講演のために本日の装いはスーツだ。ネクタイは外してきたが、ついついジャケットを羽織って出てきてしまった。置いて来ればよかったと、ボタンを外し、袖から腕を抜きながら後悔。
     青々とした木の葉の揺れる狭間から、きらきらと降る木漏れ日が美しい。
     研究室に籠っていては感じることのできない力強い生命の息吹をこの身に浴びて、ひとつ深呼吸。
     およそ二十五億年前、シアノバクテリアの光合成により、水中、次いで大気中に酸素がもたらされた。この地球を今の形に近付けた第一歩は、光合成生物と太陽の力によるもの。
     その後誕生したあらゆる生物は、今日こんにちまで互いに影響し合い進化を続け、多様性を獲得してきた。
     私たちはその多様性の恩恵を受け、この地球に生きている。だが、そんな小難しいことは取っ払っても、森林浴は清々しいし、日光浴は気持ちがいい。
     そして、気分よく足が向かう先にはあの喫茶店が見えてきた。
     頭に浮かぶのは、花開くように笑うあの男の笑顔。そうだ、木漏れ日にもよく似ている。
     そんなことを考えながら店のドアノブを引いた。
     ウィークデーのカフェタイム。ランチを過ぎればこの店も少し客足が落ち着く。扉をくぐるといつもの顔に迎えられた。
    「いらっしゃ……あ、こんにちは!」
     私も所謂常連というやつだ。花咲く笑顔のウエイターも、私の姿を捉えるなりその笑みを深めた。
     普段から余計な話はしないが当たり前に顔は覚えられているし、こちらも毎度、会釈くらいは返ようにしている。そのまま勝手知ったる店内を進み、窓際のふたり席へ。
     自然と目が行くのは窓辺の多肉植物だ。
     あぁ、また鉢が増えているな。株分けをしたのだろうか。よく育っていたものなぁ。
     植物たちの世話をしているのがウエイターの方なのかコックの方なのかは分からないが、どの植物もひとつの命として、大切に扱われているのはよく分かる。
     この店が穢れの無い健全な命で溢れている理由のひとつはこれだろう。
    「今日はスーツなんですね。どこかお出掛けだったんですか?」
     そこで不意に声を掛けられ意識を呼び戻された。
     振り向くと、テーブルには水の入ったグラス。次いで目に入るのは、向かいの席の椅子を引き、当たり前のような顔をしてそこに座る件のウエイター。予期せぬことに面食らい身構える。
     相席を許した覚えはないし、なによりコイツは仕事中のはずだが……その、仕事道具であるメニューをこちらに差し出すことなく閉じたままテーブルに置き、頬杖をついてニコニコとしながら私の返事を待っている。
     これまでになかった展開だ。
     今まで挨拶程度で世間話もしなかったというのに、スーツを着てきただけで急展開も甚だしい。それに、この笑顔をこんなに真っ直ぐに見たのは初めてのことで、些か戸惑う。
    「いや……」
    「珍しいですよね、スーツ姿なんて」
    「……そこの、大学の」
    「学生さん? 就活、って感じじゃないけど」
     大きな勘違いを起こしているウエイターは途端に敬語を忘れ、身を乗り出してきた。
     学生だぁ? どこをどう取ったら私が学生に見える。馬鹿にしているのか、コイツ。
    「お前歳は」
    「ん? にじゅうご」
    「私より十も下だな」
    「えっ」
    「私はそこの大学附属の植物園に研究員として勤務している。お前より十も歳上で、この店の客だ」
    「同じくらいか年下かと」
    「ハズレだったな。さあもう」
    「研究ってなにするんだ?」
     あしらってやったつもりだったが全く響いていない様子の相手は、更にこちらに興味を示すように目を輝かせ、首を傾げて質問を重ねてきた。
     年齢と立場をしっかり伝えたはずだが。何故コイツは未だ敬語を使わず客席に腰を据えたままなのか。
    「話を聞いていたか……?」
    「うん。だから、貴方が普段どんなことをしてるのか知りたい」
    「私の仕事のことはいい。お前は自分の仕事をして、客の私にサービスを提供しろ」
    「縁壱」
    「あ?」
    「お前、じゃなくて縁壱。よろしく」
     そう朗らかに笑って臆面もなく手を差し出してくる。それをジト目で見下ろし、逡巡。
     この男の名は知っていた。厨房の男がそう呼んでいたからだ。そしてこの男は厨房に向かって「兄さん」と呼び掛ける。瓜二つなのは当たり前だな。
     さて、相手は十分に無礼だが、私はいい大人だ。求められた握手には応じ、名乗られれば名乗り返すくらいの礼儀は弁えている。
     しかし気乗りしていないというのを表情と声にしっかりと乗せ、軽く握手した後すぐにその手を放した。
    「……鬼舞辻だ」
    「下の名前は?」
    「……」
     なんなんだコイツは……笑顔でいれば何でも罷り通ると思っているのだろうか。
     どうなっているんだと厨房の方に視線を向けると、コックの男は帽子を外し申し訳なさそうに笑いながら頭を下げる。
     甘やかしているんだな……なるほど。だから奔放にすくすくと育ってしまった、と。
     ハァ。隠さず溜息を漏らしても相手に気にした様子はない。少しは気にしろ。
    「俺はね、継国縁壱です、鬼舞辻さん」
    「……無惨」
    「無惨!」
     今コイツ、呼び捨てにしたか? 嬉しそうに破顔して、呼び捨てにしたよな私のこと⁇
    「もういいだろ、あっちいけ」
    「まだ注文を聞いてない」
    「ホット」
    「米粉のシフォンケーキはいかがですか? 今日のは俺も手伝って、美味しく焼けたから食べて欲しいな」
    「……じゃあそれも」
    「ん、分かった。少々お待ちください」
     へらりと崩れた笑顔を置き土産にして席を立つウエイターに、開いた口が塞がらない。しっかりとケーキの注文まで取っていなくなった。
     こんな接客を受けたのは初めてだ。
     カウンター越しに私の注文を厨房へ伝えるその後ろ姿を睨んでいても仕方がないが、破天荒なウエイターから目が離せなかった。黙っていれば兄に似て精悍な美丈夫風だのに、会話をすると随分と印象が変わる。
     あの笑顔の力も相まって、絆され、いいように翻弄されてしまう。それもあの男の魅力のひとつだろうか。
     そんなことをぼんやり考えていると、程なくして件の人物がトレーに注文の品を乗せて戻ってきた。
    「お待たせしました」
     ホットコーヒー、それから、たっぷりの生クリームが添えられたシフォンケーキが目の前に置かれた。
     それともうひとつ、頼んでいないアイスコーヒーも。
    「よいしょ、っと」
    「おい、何故座る」
    「俺も休憩」
    「何故ここで……」
    「だってまだ、無惨が今日スーツを着てる理由を聞いてないから」
     いけしゃあしゃあと言うが、理由になっていない。当たり前のように先ほどの席に座り直し、客である私より先にアイスコーヒーを口にしている。
     ウエイターの目に余る行動に再び厨房へ抗議の視線を投げる。すると目が合ったコックはすかさずソッポを向いて、何やら忙しそうに手を動かし始めた。
     お前の弟が客を困らせているんだぞ、まったく……アイスコーヒー一杯分、相手をするしかなさそうだ。
    「それを知ってどうする」
    「ただ知りたいだけだよ」
    「……午前中、講演会だった」
    「講演会って、人の前で難しいこと話すのか?」
    「まあそんなところだ」
    「へぇ、すごいな。先生なんだ」
     パァッと表情を輝かせ、無垢な瞳が見つめてくる。
     ……参ったな。この笑顔の所為で上手く会話の主導権を握ることができない。どうしてこんなに楽しそうに嬉しそうに笑えるのだろうか。
     人と触れ合うのが好きなのだろうとは思った。だが度を越して人懐こい。
     私はそういうものに慣れていない。困ってしまう。
    「さぁ、もういい加減にしてくれ」
    「好きなのか?」
     視線を外し会話を打ち切り、シフォンケーキのしっとりしたスポンジにフォークを食い込ませた時だった。また質問が飛んできて、結局流れを引き戻されてしまう。
    「何が」
    「植物が」
     ひと口分切り取ったスポンジに生クリームを乗せ、口へ運ぶ。
     歯触りも舌触りも、ほんのりとした甘さも優しい。口の中で溶けるようにして瞬く間に無くなったその味の余韻を感じながら、問い掛けの答えについて考えていた。
     植物が好きかどうか、なんてことは考えたことがない。
    「うまい?」
    「っ、ん……なに?」
    「シフォンケーキ、美味いだろ?」
    「あぁ……美味いよ。薦めるだけのことはあるな」
    「そっか。気に入ってもらえて良かった」
     ホッとしたように微笑み、またひと口とアイスコーヒーを飲む質問者を眺めながら思う。
     甘味は好きだ。疲れていても作業を続けなければならない時に飴やチョコは重宝するし、この店でもよくケーキの他にパフェなんかも注文する。
     だが、植物は甘味とは違う。
     決して主張しないのに後を引くその味にフォークを誘われながら、話を戻して質問の答えを返した。
    「改めて聞かれると、そうだな……好き嫌いは関係ない。仕事だから」
    「でも、好きだから研究者になったんだろ?」
    「好きというより、興味を惹かれる」
    「好きとは違うのか?」
    「興味と好意は必ずしも一致しないだろ」
    「俺は無惨に興味がある。それは好きってことだと思うのだが」
     本日二度目の急展開に、口に持って行ったフォークの手が止まった。
     スキ…? コイツが、私を?
    「なんで」
    「俺の育てている植物たちに優しくしてくれるから。さっきも、そこのハオルシアのこと見てくれただろ?」
     視線で窓辺を指して言う、その表情は目を見張るほど愛情深いものだった。
     そうか、外の植栽もこの男が世話を……人だけでなく、生き物全てに愛情を向けることができるのかもしれない。私のことまでも好きと言うのだから、奇特な男だ。
    「だから……貴方のことが気になっていた、ずっと。それは俺が貴方を好きというのとは違うのだろうか」
    「よく知りもしない人間を好き嫌いで括れるのか、お前は」
    「よく知らないから知りたいとは思ったよ」
    「だったらそれは好意ではなく興味だ」
     私の返答を受けたウエイターは、納得がいかない顔でアイスコーヒーを見下ろし黙ってしまった。
     私がそう断言できるのは、この男に対して思う気持ちにも同じことが言えるからだ。
     目を引くから、店内を忙しなく行き来するのを視線で追ってしまうこともあった。ふとした時にその笑顔を思い出すこともあった。今日のことを振り返っても、予想のできないコイツの言動には、嫌悪感よりも疑問符が浮かぶばかりだった。
     それは全てコイツが興味深い男なだけで、好意的に思っているわけではない。
    「例えばそうだな……ラフレシアだ」
    「ラフレシア?」
     落ちていた視線が再び私に集中するのを確認してフォークを置く。それからコーヒーをひと口、その芳しい香りも味わいながら、ぱちくりと目を瞬かせている男に今度はこちらが質問を投げ掛ける。
    「世界一大きな花を咲かせるラフレシア、知っているか?」
    「ううん、知らない。どんな花なんだ?」
     そう言って首を傾げるウエイター。私は彼に、その〝幻の花〟について話して聞かせた。
    「生息地はマレーシアとインドネシアの熱帯雨林のみ。茎も葉も根も持たず、昆虫を媒体に受粉し、他の植物を宿主として栄養を吸い取り育つ寄生植物だ。昆虫を媒体にした受粉は確率も低く、やっと受粉してもつぼみの期間が九ヶ月。しかし、その花が咲き誇るのはたったの七日足らずと儚い命。森林破壊の影響もあって生息地を失いつつあることからも、ラフレシアは幻の花と呼ばれているんだよ」
    「へぇ……見てみたいな。どんな花を咲かせてどんな香りがするのか」
    「興味が湧くだろ?」
    「うん」
     素直に頷く様子に頬が緩む。この男には欺瞞がない。ひたすらに純粋で、それ故に困惑もするが、悪意のないことが会話をする上での安心感に繋がる。
     応えてやらねばと、スマホを取り出し該当のフォルダをタップ。以前、スマトラで見たラフレシアの写真を表示させ、テーブルの中央に置いた。
     それを、互いに身を乗り出し額を寄せて覗き込む。
    「受粉を手伝う昆虫はハエ。それを誘う香りはまるで、生き物の死骸の腐敗臭。見た目もこの通り、色、質感共にさながら死肉だ」
    「っ……すごい」
    「しかしこれがこの花の進化の形。種の保存のために獲得した知恵だろう。素晴らしい」
     他にも見たいと言うから好きにしろとスマホを差し出すと、次々と画像をスワイプしては食い入るようにして画面を眺めている。現地でのことを聞かせてやるとあれこれと質問を重ねてくる様は少年のよう。
     これではまるで植物園の子ども向けワークショップだ。笑ってしまうな。
    「さて、どうだ? 興味は湧くだろうが、ラフレシアのことを好きになれそうか?」
    「うーん、店には置きたくないかな」
    「ははっ、そうだろうなぁ」
    「うんでも、無惨は植物が大好きなんだってことはよく分かった」
     言い切られ、そうかもしれないと思い至る。
     今この男に花の話を聞かせている間、私は確かに楽しんでいた。ほんのひと時だったが良い時間だった。午前中の講演会より余程、濃く充実していたと思う。
     返されたスマホを受け取った時、ほんの少し指先が触れ合った。そこではたと気が付く。
     こんなに楽しいと感じられたのは、相手がこの男だったからなのでは、ということに。
    「おもしろい話を聞かせてくれてありがとう」
    「……どういたしまして」
    「ラフレシアのことは覚えた。無惨は俺の名前、覚えてくれた?」
    「縁壱」
     自分で聞いたくせに、名を呼んでやると照れ臭そうにして残りのアイスコーヒーを一気に煽っていた。縁壱は勢いそのままに席を立ち、けれど私から視線は外さなかった。
    「俺もさ……やっぱり無惨のこと、好きだと思う」
     それじゃあごゆっくり、と笑ったその顔。見たことのない類の表情だった。
     去っていく背中を見ていると、ぐ、と胸が押し潰されるように苦しくなる。その笑顔が脳裏から消えていかない。

     生き物は互いに影響し合い、多様性のもと様々に進化してきた。
     それとは全く違う話になるが、私の気持ちも縁壱に影響を受け、これまでとは違う形へ移り変わっていきそうな、そんな予感がした。
     それが良いことなのか悪いことなのか、今の私には分からない。
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    月海 故

    DONE2022年3月27日発行の無配。
    事故物件に住むことになった縁壱の話。
    キャラクター崩壊等、色々と捏造。なんでも許せる人向け。
    ホラーではなく普通にらぶです。

    💝冊子版の頒布が終了したためエアブー230212にて公開いたします。
    お手に取ってくださりありがとうございました。
    心理的瑕疵 熱めに沸かした湯を張り、ゆっくりと湯船に浸かる。
     一日の疲れを癒す時間だが、この時、俺の口から零れるのは深く重い溜息。このところ、鬼舞辻無惨に関してとても大きな悩みを抱えている。
     ……と、その話の前に、少し。
    「プライベートな場所は遠慮してくれと言ったはずだ。今はやめてくれ」
     浴室の扉、その磨りガラスにぼんやりと映る人影に言う。するとそれは煙のように散って消えた。
     素直に退散してくれるからいいものの、風呂とトイレは勘弁してくれと何度も言っているのに。


     先に話した通り、悩み事を抱えている。
     どうにもならない事実に、どうしようもない己の想いを上乗せにした、雁字搦めにこんがらがった俺の悩み。
     思い煩い半年ほど経った時、当時住んでいたアパートの契約更新を迎えた。日々儘ならず過ごしていた俺は、心機一転このマンションに移り住んで、それから三ヶ月と少し。
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