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    ろまん

    @Roman__OwO

    pixivに投稿中のものをこちらでもあげたり、新しい何かしらの創作を投稿したりする予定です。倉庫です。

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    POIPOI 37

    ろまん

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    【とうひゅ】橙真に恋するクラスメイトの女の子が主人公です。
    橙真がTrutHとしてプリマジデビューする前後の様子を、彼に片想いをしている中学一年生の女の子の視点で見ていきます。つやつやした林檎みたいな赤色の本をきっかけに燃やされていく彼女の恋心の話でもあります。
    pixivにもおなじものを投稿しています。

    イン・ラブ・ライブラリー「どういうこと………?」

     ステージ上で起こっている現実が、まったく理解できない。
     なんで? なんでそこに立ってるの? たくさんの歓声が、私をすり抜けて彼らの元に注がれていく。視界が赤と青の光で塗り潰されていく。頭がクラクラしてきた。その姿は何? これは夢? 夢なら早く覚めてほしかった。だって。だって私………あんな伊吹くん、知らない。ずっと見てきたはずなのに、ステージに立っている彼が何を思ってあそこにいるのか、私には全然分からなかった。





     窓際から二列目、一番後ろ。私の特等席。この前の席替えで、私はこの席を勝ち取った。窓際の後ろ席なんてそれだけでアタリだけど、今回はそれだけじゃない。
     先生の板書を眺めるふりをして、右斜め前に意識を集中する。すると、彼の姿が自然と目に入った。これが一番のラッキー。顔を上げれば彼が視界に映り込むなんて、これだけで毎日学校に来る意味がある。

     ――伊吹橙真くん。
     彼は私のクラスメイト。多分この学年でも五本の指に入るくらい背が高くて、中身もすごく大人っぽい。
     今だって、前の時間が体育だったせいで周囲がうつらうつらと船を漕いでいる中、彼だけは背筋をピンと伸ばして先生の話を聞いている。
     私は、伊吹くんが好きだ。
     それはもう、四六時中彼のことでいっぱいで、英単語が全然頭に入らないくらい。私にとって、伊吹くんより優先して覚えたいものなんてこの世に存在しない。

     私が伊吹くんを好きになったのは、半年前。真直祥寺学園に入学したばかりの頃の話。
     私はその日、放課後にちょっとした学校探検を実行していた。この学校の敷地はかなり広くて、つい好奇心を刺激された私は、この迷宮のような校舎を一人で探検することにしたのだ。体育館に、音楽室。美術室に、飼育小屋に、屋外プール。思いついた場所から、ランダムに見て回った。
     そして、そんな探検の終盤。別棟にある図書室に足を運んだときだった。

     初めて入った図書室は、あまり人がいなかった。カウンターで受付を担当している人はいるけれど、あとは数人が静かに読書をしているくらい。私は足音を立てないように気をつけながら、本棚と本棚の隙間をふらふらと練り歩いた。
     上から下、下から上へとたくさんの本の背表紙をなんとなく目でなぞっていると、その中に一際目を引く背表紙を見つけた。つやつやした林檎みたいな赤に、金ピカの題字。私はその本に興味がわいた。少しぶ厚いけど、別に読むわけじゃないし。そう思って手を伸ばしたけれど、その本は一番上の本棚にあって、しかも少し奥に押し込まれていた。背伸びをしても、私の背ではギリギリ届かない。二、三回思いっきり飛び跳ねたけれど、やっぱりその本には届かなかった。
     これだから本は手前にきっちり揃えてくれないと困るのに! そう腹が立ったけれど、誰かがこっちの本棚に向かってくる足音もしたし、めちゃくちゃ興味があるわけじゃなかったし、まあいいか、と諦めようとしたそのときだった。

    「あの、この本取りたいんですか?」
    「え?」

     私はいきなり、背の高い男子に話しかけられた。そう、これが私と伊吹くんの出会い。

    「あれ、違った? さっき、ここでジャンプしてたから……」
    「あっ、合ってる……じゃない、合ってます!」
     
     そのときの私はといえば、きっと恥ずかしさのあまり顔が真っ赤になっていたと思う。まさか本が取れなくて悪戦苦闘しているところを、誰かに見られてたなんて思いもしなかったから。
     しかもそのとき、私は背の高い伊吹くんを先輩だと思い込んでいた。タメ口で答えてしまったことに気づいて慌てて敬語に直したけれど、内心はビクビクで。中学校の上下関係は恐ろしい――お兄ちゃんのその言葉を私はすっかり信じ込んでいたのだ。
     今後の中学生活を思って、私が冷や汗をかきながら縮こまっていると、ふいに目の前に装丁のお洒落な本が差し出された。金ピカの題字に、蔦のような模様が輪郭に沿って描かれた、つやつやとした林檎みたいな赤い本。私が取ろうとしていた本だった。びっくりして、バッと顔を上げる。差し出してくれた当人は、じっとこちらを見下ろしていた。

    「どうぞ」
    「あっ、ありがとうございます……」

     この人は、私のために本を取ってくれたのだ。そう理解しつつも恐る恐る受け取ると、彼は少し眉を下げて苦笑した。

    「敬語じゃなくていいよ」
    「え……? も、もしかして一年生、ですか?」
    「うん。多分、同じクラス」
    「えっ!?」

     驚いて咄嗟に大声を出してしまったけれど、ここが図書室だったことを思い出して、慌てて声をひそめる。

    「ごっ、ごめんね! まだ私、クラスメイトの顔覚え切れてなくて……」
    「いや、俺もそうだから大丈夫。いきなり三十人近い顔と名前を覚えるのは難しいよな」

     私はひとまず、彼が先輩じゃなかったことに安堵した。そして、こんなに良い人がクラスにいると分かってホッとした。新しい生活が始まったばかりで、クラスの人達との会話もまだ探り探りだったから。
     でも、なんで私のことを覚えててくれたんだろう? 不思議に思った。初日に自己紹介は済ませたけれど、私はこれといって印象に残るようなことは言えなかったし、性格的に目立つタイプでもない。
     すると彼は、私の考えていたことを察したのか、若干ばつが悪そうに、それ、と私がスカートのポケットに入れていたスマホを指差した。正確には、スマホケースに付けている猫のキーホルダーを。

    「ん? コレ?」
    「うん。そのキーホルダー、幼馴染が好きなキャラクターで。なんとなく覚えてたんだ。猫のキーホルダーの人だ、って」

     思わずポカンとした。ギャップだ。こんなに大人っぽい見た目をしてるのに、こんなにかわいい面あるなんて!
     私は小さく噴き出した。笑いながら、緊張がするすると解けていく。私に笑われて、彼は少し恥ずかしそうにしていた。

    「わ、笑ってごめん。かわいい覚え方だなって思っちゃって。えーと……」
    「あ、俺、橙真。伊吹橙真って名前」
    「伊吹くんね! ごめん、今ちゃんと覚えた。あの、これからよろしくね」
    「うん、こちらこそ。じゃあまた明日」
    「っ、ありがとう! バイバイ!」

     少し微笑んで去っていく彼を見ながら、私の心臓はバクバクと音を立てていた。なんだか、走った後みたいにドキドキしていたのだ。

     手には、彼に取ってもらった本がある。借りる予定はなかったはずなのに、私の足は自然と貸し出しカウンターへと向かっていた。そこにいたのは図書委員の三年生だったけど、先輩に対する恐怖は何処へやら、私は簡単に話しかけることができてしまった。ちなみに、図書委員の先輩は優しかった。

     そしてその日。私は帰宅するなりすぐさま例の本を開き、お母さんが夕飯に呼ぶ声も聞こえないほど集中して読書に没入した。それはもう夢中になって読んだ。その結果……なんと私はその本を一日で読み終えてしまったのだ! 
     今まで読んだどの本よりも分厚くて、よくわからない意味の言葉や読めない漢字もたくさんあったけれど、スマホで検索すればなんとか読み進めることができた。一周では飽き足りず、二周、三周と、何度も何度もその本を繰り返し読んだ。一度読んだときには意味がわからなかった箇所が段々とわかるようになってくる過程は楽しかったし、単純にこの物語がとっても面白かったのだ。
     長年対立していた人間と魔法使いが、世界の危機を救うために協力してパレードを開く話。はらはらして、わくわくして、最後にはとびきりのハッピーエンドになる。私はこの本の大ファンになった。
     半年近くたった現在も、私はその本をずっと読み返してばかりいた。幸い、私以外に借りたい人がいないみたいで、二週間ごとに図書室に貸出の延長手続きや借り直しをしにいっても、カウンターで何か言われることもない。
     それに……この本を読んでいると、伊吹くんとの出会いを何度も何度も思い出して、幸せな気持ちになれた。
     
     そう。これは正真正銘、私の初恋だった。


     私は男の子がちょっと苦手だった。二歳上のお兄ちゃんは私に対して横暴で、すぐからかってくるし、馬鹿にしてくるし。お兄ちゃんの友達もそうだった。私と接するとき、あの人達は揶揄うのが楽しくて仕方ないって顔をする。私はそれが嫌で、小学校でもなるべく男の子には関わらないようにしてきた。関わらなければ、嫌な思いをすることはなかったから。
     でも、伊吹くんは違う。
     言葉遣いは乱暴じゃないし、気遣い上手で優しいし。同級生とは思えないくらい落ち着いていて、たまに笑うとすごくかわいい。今まで私の周りにいた男子達とは大違いだった。

     でも、そんな彼が人気にならないわけない。私は当初そう思って焦ったけれど、伊吹くんは別段目立つ存在にはならなかった。
     勿論、女子達の間でこっそり「カッコいい」って噂されてるのも、気にされてるのも知っている。けれど、表立って騒がれるタイプじゃなかった。多分それは、彼が基本的に寡黙な人だから。伊吹くんについての話は、サッカー部のエースをしてる先輩とか、チャラいって有名な三組の人とか、そういう目立つ人達の話をする横でいつもひっそりと話題にされていた。
     だから結局、ライバルがどれくらいいるのかはわからない。でも、間違いなく私が一番伊吹くんを好きな自信があった。
     伊吹くんのことを考えるたびに胸がギュッとなって、たまに教室の中で目が合うとドキドキして、運良く話すことができた日には一日中幸せで。他のものが見えないくらい、私は彼に夢中だった。とにかく私は、生まれて初めての恋に浮かれていたのだ。


     でも、その浮かれた気持ちはすぐにドン底に突き落とされた。
     伊吹くんを目で追いかけているうちに、否が応でも気がついてしまったのだ――彼には好きな人がいることに。多分、私以外にも気づいてる人はいるだろう。だって、全然気持ちが隠せてないんだもん。

     伊吹くんが熱く見つめている相手は、陽比野まつりちゃん。二人は家が隣同士の幼馴染だった。
     飴職人という夢を持つ伊吹くんが、師匠に弟子入りして修行をしているということは前から知っていた。けれど、その師匠がまつりちゃんのお祖父さんで、しかも修行場はまつりちゃんの家だということを知ったのは随分後だった。私は、それを知ったとき酷く落ち込んだ。
     私は運命を感じていたのだ。放課後の図書室で、手の届かなかった本を取ってもらう。こんなにロマンチックな出会い方をするなんて、私達は運命なのかもしれないって。でも伊吹くんとまつりちゃんの話を知って、その考えが途端に恥ずかしくなった。だって、運命に度合いがあるならば、私は完全に負けていたから。
     しかも、まつりちゃんはうちの学校では知らない人がいないほどの有名人だった。ううん、校外でだって彼女は有名だ。だって彼女は、今大注目の新人プリマジスタなのだから。
     私は元々あまりプリマジに興味がなかったけれど、これがきっかけでプリマジからさらに遠ざかった。まつりちゃんはかわいくて、スタイルが良くて、明るくて、人気があって、私とは全然違ったから。直接話したことはないけれど、彼女が褒められているのを又聞きするたびに、私の中には劣等感が降り積もっていった。

     それから、まつりちゃんを見つめている伊吹くんの姿を見るたび、私の心は黒く塗りつぶされていった。私は初めて、これが恋の嫉妬なんだと知った。意地悪で絶望的な気持ちに心を支配されていく感覚。戸惑ったし、哀しかったし、自分にこんなに嫌な部分があるなんて思っていなかった。
     私が伊吹くんを見つめている時間は、きっと伊吹くんがまつりちゃんを見つめてきた時間に比べたらずっと短い。それでも、少しでもその瞳に映り込んでみたかった。私を意識して欲しかった。まあ、私がその視界に入る余地もないほどに彼はまつりちゃんしか見ていなかったけれど。
     彼が私を覚えてくれたきっかけの猫のキーホルダーだって、幼馴染……つまり、まつりちゃんが好きなキャラクターだったから覚えていたんだとすぐに分かった。もし伊吹くんがまつりちゃんを好きじゃなかったら、私はあのとき彼に認識すらされていなかった。

     好きな人が、自分ではない別の人を見てる。そんなの、耐えられるはずがなかった。どこまでも交わる気配のない一方的な片想いは、ひたすらに辛かった。

     ……それでも。私はこの恋を諦められなかった。意地とかじゃなくて、ただただ諦める方法が分からなかったのだ。だって、伊吹くんが好きなのだ。どうしようもなく好きで、好きで好きで好きで、大好きだった。
     日直の黒板の消し忘れに気づいてさりげなく消していたり、クラス委員でもないのに積み上がったプリントを配ったりする優しいところは勿論、人と話すときにはきちんと目を見てくれるところも、すらりと長い指も、瞬きするたびに揺れる睫毛も、全部全部好きだった。
     伊吹くんのことを見ていれば、彼のかっこよくてかわいくて素敵なところはいくらでも発見できた。もう引き返せないくらい、私は恋に溺れ切っていた。

     そして結局、私は伊吹くんを諦めること自体を諦めた。恋心を秘めたまま、彼を見つめ続けることにしたのだ。
     元々告白する勇気なんてなかったけれど、それでももし今告白すれば振られるのは分かりきっている。だから、たまに話せたときには舞い上がって、すれ違ったらドキドキして。そういう日々の中で起こる小さなときめきを集めて、大切に心の中に仕舞っておくことにした。
     この想いがどんな結末を迎えるかはわからない。けれど、少なくともあと三年間は伊吹くんと同じ学校で過ごすことになるだろうから。彼が近くに居る限り、多分私は彼を諦められないと悟っていた。だから、こっそり想い続けることにしたのだ。
     彼の静かで穏やかな日常を乱すことのないように。





    「この本、次の予約が入ってますね。延長はできません」
    「えっ」

     本を借り直すために二週間ぶりに向かった図書室で、すでに顔馴染みとなった図書委員の先輩は、私にそう告げた。

    「予約しておけば二週間後また借りられますけど、どうします?」
    「あ……えっと、いいです!」
    「そうですか。では返却をお願いします」

     まさか借りられないなんて思っていなかった私は、ちょっとした放心状態のまま図書室を後にした。
     廊下をよたよた歩きながら、やっぱり予約しておけば良かったと後悔する。図書室に引き返そうと思って……しかし結局やめた。
     次に借りるのは、きっとあの本を探していた人なのだ。私は半年ほど独占してしまっていたのだから、さすがに一回手放す時期なのかもしれない。そう己を戒める。
     ……でも、私は街の本屋さんで買ったものじゃなくてあの一冊じゃなきゃダメなのにな。ふとそう思ったけれど、頭をぶんぶん振って思考を掻き消した。
     本棚に戻されたとき、また借りに来ればいい。うんうん、と自分を納得させるように頷きながら、私は前へと足を進めた。

     ……とはいえショックは依然として消えず、肩を落として靴箱に向かう廊下を歩いていると、その途中、窓の外――中庭の方に伊吹くんの姿が見えた。少し遠いけれど、私が彼を見間違えるはずがないからすぐ分かった。

     伊吹くんは誰かと話していた。相手は多分、男の人。遠目でも綺麗な人だと分かった。男の人を綺麗だと思ったことなんて、芸能人以外で初めてだ。
     でも、その人は制服を着ていなかった。あれはどう見たって私服だ。確か、校内には制服がないと入れないはずなのに。もしかして誰かのお兄さんだろうか? でも、伊吹くんもまつりちゃんも一人っ子だったはずだ。
     
     私は遠目なのを良いことに、じっと二人を、ううん、伊吹くんを見つめた。伊吹くんのことなら、何でも知りたいから。あの人とどんな関係なのかを知りたかった。
     それから数分経った頃、彼らは互いに手を振って伊吹くんは校舎の方へと歩き出した。どうやらお別れの挨拶をしたようだ。友だち、かな? そう予想しつつ、よし、私も帰ろうと思って動き始めたとき、気のせいかあの綺麗な人と目が合った、ような気がした。なんとなく、笑っていたような……? まあ、気のせいだと思うけど。
     結局、靴箱に着いた頃には、私はそのことをすっかり忘れていた。
     




    「ねえねえ、明日プリマジ行かない?」
    「えー、あんまり興味ない……」
    「そんなこと言わないでさあ〜!! あまね様がプリマジするって噂になってるんだよぉ! お願い、付き合って! 帰りにアイス奢るから〜〜!!」
    「うーーん……」
    「おねがいおねがいおねがい〜〜〜!」
    「………はぁ、もー、わかったよ。その代わり、アイスは絶対ね」
    「やった! まっかしといて」

     ――友だちとそんな会話をしたのが、昨日のこと。

     現在、私はプリマジの会場内、観客席の後方に座っていた。
     プリマジを観に来たのは、これで二回目。前に来たときはお兄ちゃんの付き添いだった。そういえば、あのときも半ば無理矢理連れてこられたのだ。どうもお兄ちゃんは甘瓜みるきって人が好きらしくて、どうしても彼女を生で観たかったらしい。確かにあの人はとてもかわいかったな、と思う。なんていうか、ふわふわって感じで。

    「はぁ……」

     ……本当は、プリマジを見る気分じゃなかった。まつりちゃんやその他のプリマジスタ――選ばれし女の子達がキラキラ輝いている姿を見たくなかった。ただでさえ伊吹くんの視線をいつも独り占めしてるまつりちゃんが、私の持っていないたくさんのものを持ってる姿を見て、これ以上みじめな気持ちになりたくなかった。

     会場内の明るい雰囲気とは裏腹にそんなことを鬱々と考えていた私は、しかし隣にいる友だちのあれ?と呟く声ではっと我に返った。どうしたの?と彼女に訊ねる。

    「ん〜、なんか、今日あまね様はステージに立たないみたいで」
    「えっ、今日来た意味ないじゃん」
    「そんなことないよ! あたし、プリマジスタみーんなのファンだし。あ、でもマジスタ情報だとあまね様は観客席にいるっぽい」
    「ふーん……」
    「もー、興味なさそうな返事しないでよ〜。……あっ、あそこだ。キャーー!! あまね様、本日も麗しい……。隣にいるのは、やっぱり弥生ひな! その隣にはみるきと、れもんちゃんと……おおっ、まつりちゃんもいるじゃん! みんな今日もかわいい〜!!」
    「……もうすぐステージ始まるんじゃない?」
    「ほんとだ、ヤバ! ペンラ準備しなきゃ。あんたも持ちなよ。ていうか次のステージ、告知も何もないじゃん。新人のデビューかなあ?」
    「へえ……」

     私はそうだったら良いな、と思った。まだ未熟で拙くて、不恰好な人達にステージに上がってほしい。そうしたらきっと、好きな人の視界にも入れない私みたいな人間も、少しは安心できる。

     そのとき、ステージ上のスクリーンがパッと明るく光った。

    「わーー!!はじまる!!!」

     隣からせっつかれてペンライトを点けたけれど、何色にすれば良いのかわからないから、何も動かさずに赤色のままにした。友だちがはしゃぐ横で、ぼうっとスクリーンを見つめる。
     しかし『SPECIAL DUO』という文字が映った瞬間の会場のどよめきに、何か特別なステージが始まるのだと直感した。

     そして次にメンバー紹介が映った瞬間、私はその場に硬直した。表示された名前に、見覚えがありすぎたからだ。

    「……は? え?」

     IBUKI TOMA。……いぶき、とうま?

     ほんのわずかな間だったし、ローマ字だったから自信はない。けれど、間違いなく『トウマ』とアナウンスされていた。ドクドクと心臓が音を立てはじめる。
     思いも寄らぬことが、これから始まる予感がした。今力を抜いたら、そのまま起き上がれなくなりそうな、そんな感覚が私を襲う。

     『TrutH』。
     黒文字の下部を赤と青に染めたユニット名が、映し出される。まるで聞き馴染みのないユニットだった。

    「ね、ねえ。このユニット知ってる?」
    「ううん、わかんない! たぶん新人! ペンラ何色にすれば良いかな!? 文字からして赤と青? じゃ、あたし青にするからあんたそのまま赤ね」
    「う、うん……」

     会場の歓声が、段々と大きくなる。周りは皆、新しいプリマジスタの誕生を心待ちにしていた。
     その声に応えるかのように、ステージの真ん中から二人のプリマジスタが背中合わせに迫り上がってくる。
     私はだらだらと汗をかいていた。ステージから聞こえる音が、嘘みたいに身体をすり抜けていく。

    「………伊吹、くん」
    「え? それってあんたのクラスの?」
    「な、なんで……?」

     私が彼を見間違えるはずなかった。
     メイクされた彼はまるで別人みたいだったけれど、あれは間違いなく本物の伊吹くんだ。伊吹橙真くんだ。

     放心してステージを見上げる。

     意味がわからない。なんで? なんでそこに立ってるの? 伊吹くんには別の夢があったんじゃなかったの? プリマジスタになりたいなんて夢、私知らなかったよ。何で? わからない。伊吹くんのことが、全然わからない。あんなに彼を見つめてきたのに、今彼があの場所で歌い踊っている理由が、一つとして思い浮かばない。
     
    「あ、」

     伊吹くんの隣に立っているあの人。この前、私が中庭で見かけた人だった。あの綺麗な男の人。
     伊吹くんとその人は、目を合わせながら、手を繋ぎながら、鮮やかなダンスパフォーマンスでステージを彩っていく。周りの人達が、どんどんあの二人に熱中していくのが手に取るようにわかった。
     けれど、私は立ってるだけで精一杯で。まるで大切に隠していた宝箱を、勝手に誰かに開かれてしまったような、そんな感覚に襲われた。

     右手に握っているペンライトが、キラキラと赤く光っている。その鮮やかな赤を見て、私は今すぐあの本を読み返したいと思った。しかしタイミング悪く、あの本は見知らぬ誰かに借りられたままだ。なんだか目の前がぼやけてくる。
     今はただ、あの本を私の元に返して欲しかった。



    「TrutHちょ〜っっカッコよかったね!?
    あたし、あの青い人推しになりそう!! 名前なんだっけ? あっ、そうそう、『ひゅーい』さん!」
    「………」
    「おーい。聞いてる? ていうか、もう一人があんたのクラスメイトの伊吹くんてマジ?」
    「………わかんない」
    「だよね? だってなんていうかさ、あの人イケメンだけど目立つのが好き!って感じの人じゃなかった気ぃするし。でもさ、本当だったらヤバくない!? うちの中学、二人もプリマジスタがいることになるもん!」
    「……あの、ごめん。私ちょっと先帰るね」
    「えっ。アイス奢るけど?」
    「ううん、いい」
    「ふーん……? ま、いいよ。今日付き合ってもらっちゃったし。気をつけて帰りな〜」
    「うん……ありがと。また明日」

     会場から家までの帰り道。
     道が細くなって、すれ違う人がいなくなったタイミングで、目からポロポロと涙がこぼれてきた。次第にそれは分厚い水の膜を張り、視界が滲んだせいで私は躓いて転んだ。痛い。膝、擦りむいた。なんとか立ち上がったけれど、今度はだらだらと赤い血が流れ始める。重力に従って垂れ流されたそれは、やがて靴下へと染み込んだ。白い布地が、鮮やかな赤に染まっていく。先程のプリマジスタとしての伊吹くんの姿を思い出して、私はまたボロボロ泣いた。
     つやつやの林檎みたいな色をしたあの本を思い出そうとしても、私はあの赤を忘れてしまったみたいに、思い出すことができなかった。

     ……明日から、どうなっちゃうんだろう。鼻水をすすりながら、私は考えた。
     きっと詳細が明らかになったら、みんなが伊吹くんに注目するだろう。今まで彼に見向きもしていなかった人達が、彼の魅力に気づいてしまう。私が大切にしていた彼の平穏が、荒らされてしまう。
     そう思ったら、明日登校するのが酷く憂鬱だった。



     翌日、泣き腫らした目を誤魔化しながら学校へ行くと、伊吹くんは案の定たくさんの人に囲まれていた。
     今まで彼と話している姿なんて見たことがなかった別クラスの人達まで、彼に話しかけている。何故プリマジスタになったのか、あのプリマジスタとは知り合いなのか、ユニットのもう一人はどこの学校の人なのか――それはもう大変な質問攻めにあっていた。私はその様子を一瞥すると、黙って席に着いた。なるべくそこに近づきたくなかったから。
     しかし残念なことに、私が顔を上げる度、必ず伊吹くん……正しくは彼を囲んでいる人達が目に入ることになるのは必然だった。なぜなら、ここは私の特等席だったから。今ばかりは、この席だったことを恨んだ。

     その後も結局、彼の元を訪ねる人は途切れることはなくて。私はそれを見ていられず、休み時間のたびにふらふらと廊下に出向いたり意味もなく女子トイレの個室に篭ったりした。ただ、一番騒がしくなるのはおそらく放課後だろう。授業が終わった開放感と相俟って、伊吹くんの元にはたくさんの人が駆けつけるはずだ。
     その様子を眺めることになると思うと我慢できず、私は授業が終わると同時に担任に「お腹が痛い」と嘘をついて教室を飛び出した。ホームルームをサボって。こんなズルをしたのは初めてだった。
     足早に向かったのは、トイレでも保健室でもなく、図書室。私が彼と出会った、思い出の場所。時間帯のせいか、幸い数人としかすれ違うことなく辿り着くことができた。音を立てないよう静かに扉を開けて、するりと中に入り込む。

     誰もいない。そう思ったけれど、よく見ると貸し出しカウンターの前に誰か立っていた。足音を極力立てないよう、ゆっくりと近寄る。距離を三メートルくらいまで詰めたところで、その人はまるで見計らったかのようにくるっと振り向いた。
     驚いて思わず「わ、」と声が漏れる。けれど振り向いたその人の顔を見て、私は固まった。だって私は、その顔を昨日ステージ上で見たばかりだったから。

     彼は、私を見るなり「やあ、こんにちは」と目を細めて微笑んだ。スッと通った鼻筋に、薄ピンクの唇。頬に影を落とす長い睫毛。やっぱりとても綺麗な人だった。

    「あ……あなた、昨日伊吹くんとプリマジしてた……」
    「ふふ、見てくれてたんだ? ありがとう。うーん、それにしても、ここにいるのを見られちゃったのは想定外だったな。……ま、いっか」
    「……?」
    「ああ、ごめん。こっちの話。それより、君はどうしてここに? まだ放課後には早いんじゃない?」

     そう尋ねられた瞬間、私はカッとなった。

    「どうして……? そ、そんなの、こっちが聞きたいです! あなた、えっと……ひゅーいさんに!!」

     口にした途端、たくさんの「どうして」が一気に溢れ出す。どうしてあなたはここにいるの。どうして私を知ってるような口振りなの。……どうして、どうして伊吹くんとプリマジをしていたの? どうして伊吹くんはプリマジスタになったの!
     感情が昂りすぎて、昨日の涙がまたぶり返しはじめる。きっと今、私は癇癪を起こした幼い子どものようだろう。でもなりふり構ってる余裕はなかった。対照的に、そんな私を前にした目の前の男は、まるで全ての疑問を悟ったような大人みたいな顔でそれはそれはうつくしく笑った。

     どうしてかって? 男の人にしては少し高い綺麗な声が、そう呟く。長い睫毛が上下に動いて、弧を形作った。


    「僕もね、橙真のことずっと見てたから」


     一瞬、この場の時の流れが止まったような気がした。

     ………ずっと見てた? 僕も?

     私の脳内は激しく混乱した。だって、だって、私が、私が一番伊吹くんを見つめていたはずで。私が、いちばん……。
     すると彼は、私の元へとゆっくり近づいてきた。そして、手を伸ばせば触れられるような距離までくると、私に“何か”を差し出した。

    「この本、とっても面白かったよ。すごく素敵な話だった。ありがとう」
    「……え?」

     そう言って手渡されたのは、私の大切な大切な、林檎みたいにつやつやした、少しばかり分厚い――魔法使いと人間の絆の物語が描かれた本。
     ………なんで、この人が。

    「ごめんね。本当は借りるつもりはなかったんだ。でもちょっと、僕も限界だったみたいで」
    「ど……どういうこと?」
    「……秘密。ごめんね」

     気障ったらしく唇に指を当ててそう言った彼は「あ、もうそろそろ迎えに行かないと」と呟いて、私の横をすり抜けて出入り口の方へと向かっていった。ご丁寧に、すれ違う瞬間「さよなら」と呟いて。
     一方的に告げられたまま納得できるわけなくて、私はすぐそちらを振り向いた――けれどそのとき何故か、窓を開けていない図書室にいきなり風が舞い上がった。
     思わずギュッと目を瞑ってしまい、次に目を開けた瞬間。その場には、本を持った私しかいなかった。
     
    「え? なに、今の……。夢……?」

     きょろきょろと辺りを見回しても、やっぱり私以外誰もいない。すると少しして、図書室の扉がガラガラと音を立てて開いた。バッとそちらに顔を向ける。しかしそこに立っていたのは、図書委員の先輩だった。

    「っ、こ、こんにちは……」
    「こんにちは。僕より先に来てる人がいるなんて珍しい、って思ったら君だったんですか。えーと、その本、借りに来たんですか?」
    「あ、えと、」
    「ちょっとまってくださいねー……って、ん? パソコンが点けっぱなしだ。と、いうか……なんだこれ。使われてないはずの学籍番号で本が借りられてる。誰だ? この貸出担当したの。……えっと、君の前にこの本を借りてた人知ってます?」
    「し、知りません」
    「ですよねえ。バグったのかな」
     
     そう言うと、先輩は私が持っている本の裏面に貼ってあるバーコードを読み取った。ピピッと音が鳴る。彼は再び怪訝な顔をした。

    「あれ? もうその本、君が借りてることになってますよ?」
    「へ、」
    「ん?」

     先輩は首を傾げてこちらを見てきた。眼鏡越しには至って落ち着いた瞳が浮かんでいる。どうやら彼は、私がすでに貸出手続きをしたものだと確信しているようだ。
     当然、そんな目で見られた私が、正直に「借りてません」と言えるはずもなく。

    「あ、いえ、そういえば借りてた、かも?」
    「はは。ま、そういうことってありますよね。返却期限とかみんなよく忘れるし」
    「あはは……すみません」

     その後、顔見知り程度の先輩と話が弾むわけもなく。私はそそくさと図書室を後にして、ホームルームが終わったはずの教室にこっそりと戻った。途中ばったり出くわした先生に、「体調は大丈夫?」と尋ねられて少しだけ罪悪感がわいたけれど、笑ってもう大丈夫ですと返事をした。仮病だとはバレてないみたいで、ホッとした。
     伊吹くんがみんなに囲まれているかもと思ったけれど、どうやら彼は一足先に帰ったらしい。大きなビルの中でプリマジの練習をするとか、何とか。彼から事情を聞き出したらしい男子が、得意げにそう吹聴していた。

     通学鞄に本を仕舞いながら、私は図書室でのことを思い返していた。
     おそらく……いや、絶対に。この本を予約したのも勝手に私の元に戻したのも、あの人――ひゅーいさんの仕業だった。
     彼は、伊吹くんを見ていたと言っていた。もしも彼が、伊吹くんを熱心に見つめている私の存在に気づいていたのなら。……私の存在は、彼の目にどう見えていただろう。

     私は暫く考え込んだけれど、結局何もわからなかった。だって私、ひゅーいさんのこと全く知らないし。そもそも、誰に何と思われたって、そんなの全然関係ない。私は本の入った鞄をギュッと抱き締めた。

     ……この本は、私の想いの象徴なのだ。
     林檎はよく心臓に例えられてるらしいけれど、それならこの本は、私の真っ赤に燃える心臓だ。真っ赤に燃えている、私の恋心。誰にも触ることのできないもの。

     ――もう二度と、あなたになんか渡してなんかやるもんか。奪われてやるもんか。この本は、この想いは、私だけの大事な宝物なのだ。

     春頃の図書室での出会いが、伊吹くんにとってどれだけ些細な出来事だったとしても、運命にもなれないような繋がりだったとしても、それでも私は伊吹くんが好きで、好きで、好きなのだ。
     だから。だから私は、この恋が燃え尽きるまで、私らしい恋を貫き通してみせる。

    「……絶対に!」

     そう考えたら、何だかちょっと吹っ切れた気がした。







     それからの話。
     あれから、私とひゅーいさんと話すことはなかった。近づくこともなければ、目が合うことすらない。
     でも、私は逸らさない。伊吹くんを眺めているからだ。伊吹くんを眺めていると、いつしか必然的にあの人が視界に入るようになった。向こうは順調に距離を縮めているようで、何とも微妙な気持ちになる。この気持ちってなんだろう。一種のシンパシー? あ、それともあれ? 「同担拒否」ってやつ?
     
     反対に、私の日常は相変わらず。毎日、伊吹くんを見つめてばかりいる。距離が縮まる気配もなければ、視界に入り込む余地もない。でも、今日も彼はカッコよかった。そろそろ席替えの時期で、すっごく憂鬱だけど。

     ああ、でも。たった一つだけ。大きく変化したことがある。

    「ねえ、今日プリマジ行かない? TrutHがステージに立つかもしれないって噂がマジスタで回ってきてさ〜。あはは、なーんて、あんたは行かな――」
    「行く」
    「えっ」
    「行く、行きたい」
    「いっ、いきなりどうしたの!?」
    「どうしたのって、何が?」
    「いやいや……。あんた、この前までなんかプリマジイヤそうにしてたじゃん!! まあ、好きになってくれたんならうれしいけどさ〜? 一体どんな心境の変化?」

     友だちのその質問に、私は笑った。だって、心の在りようは何も変わっていないから。


    「私はね、好きな人のことはちゃんと見ていたいだけ!」



                    End.
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