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    巨大な石の顔

    2022.6.1 Pixivから移転しました。魔道祖師の同人作品をあげていきます。

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    巨大な石の顔

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    サンサーラシリーズの続き。短いので番外編という形です。兄上と江澄はでてきません。青蘅君と藍夫人のお話。捏造もりもり。タイトルは映画『楽園の瑕』の英語タイトルを和訳したものです。

    #魔道祖師
    GrandmasterOfDemonicCultivation

    時のかけら みるからに粗末な香炉から白い煙が細くのぼり、衣装掛けに無造作にかけられた襦袢に染み込んでいく。襦袢は雲深不知処近くを流れる渓流のように青く清々しい。
     なぜか恩師が好んでよく着ている青い衣を若者は思い浮かべた。
     立派な髭をたくわえた美しい青年は、素っ裸の身を起こして寝台から下りた。頭をすっきりさせる香が薫る襦袢をひっかけて鏡台の前に座る彼女に近づく。
     濃い緑にもみえる豊かな黒髪をとかしている情人もまた、素肌に白い襦袢に細い帯をまきつけているだけだ。襦袢は床に裾をひきずっている。その白い襦袢は若者のもので帯は抹額だった。
     抹額の意味は教えていたから、情人のいたずらにうぶな若者は思わず頬を赤らめて鼻を肩にうずめた。
    「あなたが好きだ」
     好きで好きでどうしようもない。離れている間も気を抜けばこの人のことをいつも思っている。
     若者が愛を囁けば大きな鏡の中で彼の愛する人は、それは嬉しそうに微笑んでくれた。白木蓮の花がほころんだかのようだ。
     年上の彼女はだが、彼が愛を語りかけてもけっして「私も好き」「私もあなたのことを愛している」と返してくれたことはない。この安宿の窮屈な寝台で睦あっているときでさえも。
     年上の情人は彼にいつも明るく笑いかけ彼を受け入れてはくれるが、心を見せてはくれない。それが若者にとって目下の不満だった。大世家を治める宗主であるにもかかわらず、年上の女に飼い犬のようにもてあそばれているという自覚はあった。
    「結婚のこと、考えてくれました?」
     前回会ったとき男は女に求婚した。心は得られなくても泥にまみれなくてすむ安定した生活を渡したかったからだ。
     情人は怪しげな薬をどこからともなく仕入れ、あまり風体のよくない輩に売っている。仙師の兄がいると言ってもいつ危ない目に遭ってもおかしくなかった。
    「考えさせて」と答えは当然だが保留された。彼女は自由を愛しているから。
     求婚してから昨日会うまで、若者は彼が治めている仙府で気もそぞろで過ごした。もしあちこち旅をして回っている情人がふらっと宿からいなくなっていたらと彼はずっと気が気ではなかった。
     座学の生徒への指導も身が入らず、家宴でも明らかにまちがったことを言って師匠に苦笑いされ、隣に座る弟に睨まれてしまった。若者は最初で最後の恋にすっかり溺れている。
     かなり使い込まれ歯が欠けている櫛をおくと、女は肩におかれた若者の手に手を重ねた。抜けるように白いが思いのほか華奢ではないしっかりした手だ。おまけに剣胼胝がある。「子供の頃、兄にずいぶんと仕込まれたの」と以前彼女は言った。
     二人に遠慮してくれているのか、それとも夜狩りに行っているのか仙師であるという彼女の兄の姿をこれまで見かけたことはない。
    「考えたけれど、やっぱり私のような下賤の女が歴史ある大世家の若様の正室だなんて畏れ多いわ」
     側室ならまだ気楽、それでも身分不相応ねと彼女はさっぱりした口調で言う。やはり若者の求婚を受け入れてはくれなかった。それでも彼はあきらめるつもりはなかった。
    「私たちの一族は生涯でたった一人のみと添い遂げます。側室や愛人などをおくことはない」
     曲線を描く腰に後ろから腕を回して鏡にむかって言う。彼女がいつも焚き染めている香とはちがう香りが鼻腔に入ってくる。体臭なのか彼女からはいつも花のように甘い香りがする。雲深不知処に咲く白木蓮の匂いを濃密にしたような香りだ。
     こんなとき若者はまるで蜜蜂になったかのように彼女に引き寄せられ離れがたく思う。蜜蜂は蜜と引き換えに遠く離れた花同士が結びつき実をつけるのを手助けするが、彼は蜜蜂とはいってもその花が他の花と縁づかないように腕の中に閉じ込める蜜蜂だ。
     昨夜情人が常連らしい男の客と親し気に話しているのを見かけただけで悋気を起こして寝台に引きずり込んでしまった。彼女は驚いてはいたが、若者の嵐のように激しい熱情を笑って受け入れてくれた。それが一層二人の間にある年の差を感じさせられて悔しくなった彼は本気で怒られるまで彼女を執拗に責め立ててしまった。
     独占欲の強い若者が情人に告げた話は事実だった。姑蘇藍氏の者でこれまで側室を持った者はいない。伴侶と死別しても再婚さえしない。藍家は一夫多妻がごく当たり前な仙門世家においては珍しい婚姻の形をとる家系だ。
     金宗主は、あるときの清談会の宴で藍家の家風を「非現実的だな。人の心は簡単に変わる。たった一人にばかり心は捧げられんさ。藍家ではきっと夫婦仲が破綻していた者も多かろう」とせせら笑っていた。彼は結婚したばかりなのに浮気をしているという噂がある。だが、藍氏の血筋の者は心動かされるのは不思議と生涯ただ一人だけだ。そのたった一人と出会わなければ独り身で生涯を終えることも多い。
     けれど、側室をおく家風であっても若者は彼女を正室にしていた。
     江湖のあちこちを兄と旅してきたというこの風来坊の彼女を雲深不知処へ連れ帰っても、気に入らないことがあればある日忽然と彼と子供を置いてどこかへ消えてしまうような気がした。正室であれば他の仙師と接する機会が多く、彼女が出奔しても追いかける手がかりを見つけやすいと彼は思う。
     年上の情人は若者にとってたった一人の人――天命の人だ。
     初めて出会ったとき胸に雷玉を食らったような衝撃を受けた。その小さくも強烈な雷は彼の数千もの家規ばかりがつまっていた胸に風穴をあけて若者を新たに生まれ変わらせた。彼女に出会うまで夏の雷雨のようなこんなにも激しく強い感情を抱えているとは思わなかった。
     己の隠されていた新たな一面を引き出してくれた人が天定めし人でなければ他の誰のことを言うのだろう。
     だから、たとえ心を見せてはくれなくても風のようにどこへさすらおうと若者は彼女をどこまでも追いかける。月が姿を変えてもそれに寄り添い続ける星のように。
     若者は僧侶だった一族の始祖が、愛する人のそばにいるためにわざわざ還俗した話をした。
    「交わした約束を反故にして逃げる薄情な男も多いのに、天人さんの一族は情熱的なのね」
     ありきたりなことを言っているようで、彼女の物言いにはわずかばかり含みがあった。聴覚を鍛える訓練を受けている若者でなければ聞き取れなかっただろう。
     十近く年上の彼女は処女ではなかった。結婚もしたことはないという。
     彼女に触れた男がいることに嫉妬で胸が焼け焦げそうになる。そして考えるだけで気分が悪くなるがおそらくはその男は彼女を傷つけた。
    「もしあなたに触れて逃げた者がいるなら、私が追いかけて斬り捨てましょう」
     女は首だけ急に振り返った。額同士があたって若者は体を離した。小さな痛みにお互い子供のように笑いあう。
     玻璃のように薄い琥珀色の瞳が面白がるように輝いて若者を見上げた。
    「私から逃げた人があなたの父親であってもあなたは斬れるというの?」
    「父はもうおりませんが、もし父が生きていてあなたを辱めたのならば私は迷うことなく父を斬るでしょう」
     穏やかな表情を崩さないまま、若者は物騒なことを静かに告げた。
     彼はいかにもこの世代の若者らしく恋人によく思われたくて向こう見ずに血気盛んなことを言ったつもりはなかった。
     この人を害するなら実の家族でも斬るだろうと若者はたしかに当たり前のように思ったのだ。彼にとって情人はすでにわかちがたい自分自身の一部だった。彼女を傷つけることは彼を傷つけることに他ならない。
     頭に血がのぼっているわけではなくいっそ我ながら驚くほど冷静に考えて彼は父を斬ると言った。
     すると、柳の葉のように切れ長の瞳がすっと目を細められた。興ざめだと言わんばかりだ。
     それまでまとっていたあまやかな雰囲気は一気に消え失せぞっとするほど冷え冷えとしたそれに変わった。何か怒らせてしまったようだ。
    「あなたって冗談を真に受ける人なのね、天人さん」
     つまらない男だわとぼやかれる。これまで何度か同じことを言われているがいつも彼女は目の奥に茶化すような光を宿していた。こんなに白い目で見られたのは初めてだ。
    「冗談だったの?」
     若者にはとてもそうは思えなかった。彼の音に敏感な耳には彼女の裏切られた苦しみが聞こえたのだ。
    「そんな節穴の目じゃあ偽りを偽りとも見抜けないわね。あなたの周りにいる人たちはきっと苦労するわ――さあ服を着てさっさと帰ってちょうだい。私はこれから仕事なの」
     呆れたように言って女は立ち上がると、そそくさと身支度を始めた。外は明るいがまだ卯の刻になっていない。姑蘇藍氏よりも彼女の夜は遅く朝は早い。
     抹額は返してくれたが「これは絹でできているのかしら? 肌触りが気に入ったわ」と言って襦袢は返してくれなかった。若者の白い襦袢にいつも着ている灰色がかった黄色い衣を重ねる。
     女がまるですすんで彼のものになってくれたような心地になって若者は胸がうずいた。
     私へ心があることを少しは期待してもいいのだろうか。情人への思慕は募るばかりだった。
     白い校服の下に見慣れない青い襦袢を身につけて帰ってきた若い宗主に、師も弟もあんぐりと口を大きく開けた。
     とくに彼の師は、身にまとっている衣のようにその顔をみるからに青ざめさせた。


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