もしかしたらの物語「こないだねえ、相澤先生が廊下で通りすがりにね、たぶんすごく眠かったみたいでね、だっていつもよりすごい目充血してて、だからだとおもうんだけど私のなまえ混ぜちゃって『おちゃらか』って呼んだの。これは乗っとかないととおもってね、『ホイ!』て返事しました」
「それがたまたまそのとき隣にいたエリちゃんのツボに入ったらしく、最近どこでもかしこでもいきなりその真似をするらしい。ほうっておくとひとりでずっと、おちゃらか! ホイ! と相澤先生と麗日さんの口調を真似しては得意げにしているとミリオ先輩が言っていた」
「無限黒歴史再放送スピーカー…それで最近相澤先生なんだかぐったりしてるんだね……」
グループワークの最中だった。国語の授業で百人一首の歌のひとつを選んで作者や来歴を調べるというもので、くじびきの班決めで麗日さんと飯田くんと僕という組になって、それでいまこうして机をくっつけてノートを広げて勉強を、しているつもりがなんとなく雑談にシフトしてしまっている。
となりの班は八百万さんと勝ちゃんと切島くんという面子で、いかにもやる気なく椅子の背に両腕をひっかけている勝ちゃんをどうにか勉学の道に戻さんとするべく懸命な八百万さんとそれに加勢したり辞書をひいたりとわりとまじめな切島くんというこっちもこっちでなかなかな光景が広がっていた。
……やる気ゼロモードの勝ちゃんに果敢に立ち向かっていく八百万さんはヒーローとしてすでに完璧なんじゃないだろうか、という心の声は秘密にしておくことにして。
教室のなかにはほかにもいくつもの班ができていて、あははという笑い声やわからーんという唸り声であちこち賑やかだった。
教科書を目の高さにかかげ、さびしさに宿を立ちいでで、ときまじめな顔で読みあげていた麗日さんが、あれ、とちいさく首をかしげた。
「いづくもおなじ秋の夕暮れ、て、デクくんのなまえみたいだね」
「ふむ、 『いづく』とは『何処か』、『どこかしら』などの意味合いがあるな」
麗日さんの指摘に、飯田くんが律儀に辞書を確認する。ほら、と見せられた教科書の、そこに描かれた百人一首の絵札に、僕はああとうなずいてみせた。
「それ、お坊さんだよね。こどものとき坊主めくりで勝ちゃんがその札出るたびに怒ってた」
懐かしいなあとついつい回想にふけりかけて、そういえば隣に本人がいたのだと気づく。案の定というべきか、シネという怒号とともにすごい勢いで頭をはたかれた。……痛い。
しかも勝ちゃんと僕のやりとりはもはやまわりからすれば恒例のこととなっているようで、椅子ごとふっとぶこちらを顔色ひとつ変えることなくもとに戻しながら飯田くんはふむと言った。
「ちいさいころから百人一首で遊ぶとは、きみたちは賢いのだな。そういえば緑谷くんのなまえをはじめてデクと呼んだのも爆豪くんだろう。木偶の坊のデクか? 幼児がよくそんな言葉を知っていたものだな」
「うん勝ちゃんは2歳くらいから家にあった大人の辞書読んでたから」
「黙れナード、流暢にオレを解説するな」
罵声とともにふたたび拳が飛んでくる。がつっといい音がしてふっとぶ僕を、今度は麗日さんが丁寧にもとの位置に戻してくれた。
ほどほどにしといてくださいね、と八百万さんがため息をつくのに、いやムリでしょと切島くんがざっくり両断する。……できればだれか止めてほしい。
「いづく、いづくねえ」
ふと麗日さんがそう言って、うーんと考えこむように眉根を寄せた。そうしてぽんと両の拳を打ち合わせる。
「ひらめきました」
元気いっぱい、麗日さんは右手を高々と掲げる。さすが学級委員というべきか、八百万さんと飯田くんが異口同音にはいどうぞと言った。
「ええとね、デクくんのおうちのひとがどういう意味をこめてデクくんのなまえをつけたのかっていうのはやっぱりいろいろあるわけで、それはそれとしてね、『いづく』って言葉には『どこか』ていう意味もあるんだよね。百人一首や坊主めくりでそれを知って、いづくって呼ぶたびデクくんがどっか行っちゃうみたいでさびしくなって辞書でがんばってべつの意味さがして『デク』にたどりついたちっちゃい爆豪少年とかあったら、なんかまじめでかわいいなーっておもった次第です」
えっへんと麗日さんは得意げに胸を張る。八百万さんと飯田くんが感心したようにぱちぱちとちいさく胸元で拍手をした。
「おお、それは健気だな」
「心あたたまるエピソードですわね」
「そうかー? まあクールな男の意外な一面って感じでありっちゃありかな」
「……みなさんちょっとやめてくれませんか勝ちゃんがすごい顔して、ってギャー!!」
「コロス!!」
……その後、勝ちゃんが個性まで使ってその場の全員を滅却しようとしたことにより授業は中断、A組は全員大量のレポート課題を課せられかつ放課後校内の居残り掃除を命じられることになった、のはまあ当然のこととして。
辞書とにらめっこして「デク」の意味をああでもないこうでもないと探している4歳の勝ちゃんなんていうのがもしほんとにあったことなんだとしたら、それはとってもかわいいんじゃないかなとおもってしまったのは、……僕だけの秘密だ。