ヒュンケルの人生のほとんどは、砦にいるか、旅をしているかだった。否応無く、そうであった。
物心つけば魔王軍に居た。アバンに会ってからは程なく放浪に出た。軍団長になるまでは闇の修行に明け暮れた。大魔王が討たれてからはラーハルトと共に消えた勇者を探す旅をした。
すべての行動が、必要に迫られてのことであった。
そして、勇者の帰還がなされた今。
ヒュンケルは一人暮らしをしていた。
仕事は、パプニカ復興のための労働に従事しているが、それは四六時中を費やせる役務でもない。空き時間を自由に過ごせといわれても、どこに行って何をしても良いなど生まれて初めてだった。自由度が高すぎて困る。
すべきことは、特にない。
やりたいことなら、実はある。
ラーハルトと食事がしたい。ずっとそう思っている。連れ立って旅をしていた頃には毎日同じ物を二人で食っていたのに、彼が勇者の側近として仕え始めてからはとんとご無沙汰だ。このままでは疎遠な友になってしまう。
また食べながら話がしたい。
幸いにして同じ都市に住んでいるので距離に難はないが、しかしながらラーハルトが暮らしているのは城の中である。会うとなれば登城して部屋を訪ねなければならない。その時に一体何と言って声を掛ければいいものだろうか。
ヒュンケルは単独行動を好むため誰かに同行を求めた経験が乏しい。戦略的に有利であれば共同戦線を張ったこともあるが、その際は命令をするか、されるかであった。
いや、クロコダインとは命令を介さずに同道したことがある。
一筋の光明を見たヒュンケルは、その時にどういう話の流れでパーティを組むに至ったのか思い返してみた。フレイザード戦の勝利の宴で、確かヒュンケルが『鬼岩城はどうなっているだろうか』と言ったら、クロコダインが『内部構造を知るオレたちで動きを探ろう』と返事をしてくれたのだったか。駄目だ。あれは結局、攻略上の必然でしかなかったし、それにヒュンケルからは誘ってもいなかった。
そもそも、誘うとは如何なる行為なのか。非常に難しい。
行軍の案を通す際のように有利、不利を訴えようにも、食事を一緒にすることについては有利もくそもなかろう。損得すらない。つまり誘うとは、利害による説得とは異なる筈だ。
他に知っている要求の手段としては、ヒュンケルの経験則では『命が惜しければ従え』という脅しが有効ではあったが、対ラーハルトの場合だと力の関係上、命を惜しがるべきなのはヒュンケルのほうである。
いよいよラーハルトにどう切り出せば良いかが分からなくなってきた。
誘うとは、行動を変えてもらうこと、つまり相手の未来をこちらの望むように変えてもらうことだ。
そんな勝手を願い出るのであれば、それなりの誠意をもってしなければ失礼であろう。
もうすぐ昼時だ。
闘志を奮い立たせろ。自分にあるのはこの魂、この心だけなのだから。
それを正直に伝えよう。
決心したヒュンケルは城へ向かった。
衛兵に名を告げて城門を潜り、何度かは訪れたことのある彼の居室の前へとおもむき、足を揃えて立ち止まり、緊張に唾を飲んでから、ノックすること一回。
「入れ」
すぐに中から聞こえてきたラーハルトの声は、旅の途中と同じような軽い口調だった。おそらく来たのがヒュンケルである事はもう察していたのだろう。
扉を開いて入室すれば当然そこにはラーハルトが居る。彼の部屋なのだから当たり前だ。だが今日はその事実が重かった。
「どうした? 面倒ごとか?」
ヒュンケルの固い表情を読み取ったのか、ラーハルトが眉をひそめて席から立ち上がった。
少し背の高い彼へと歩み寄り、真正面から向かい合う。
「ラーハルト、聞いてくれるか」
「ああ。何があった」
「おまえと食事がしたい」
「……ん? んん?」
更に深く眉間に皺を寄せるラーハルトに気勢を削がれそうになったヒュンケルだが、両の足を踏ん張って立ち、しかと目を合わせて訴えた。
「おまえとオレが食事をする理由は……残念ながら、オレがおまえと食事がしたいという以外には何もない。そしてオレと食事をしたところでおまえに利点はないし、またしなかった所でおまえに不利益はない。オレが断言できるのは、おまえと食事がしたいこの気持ちだけは本物だという、それだけだ。こんなオレだが……共に食事をしてくれるか?」
「……ぐふっ」
勇気を持って真剣に告げたのに、失敬なことにラーハルトは吹き出した。しまいには身を屈めて腹を抱え、机に片手を突いて震えていた。
やはりにわか仕立ての誘いでは取り合ってくれなかったかと、ヒュンケルは肩を落とした。
「邪魔したな……」
「待て待て!」
踵を返そうとしたら、悶絶から復帰したラーハルトが顔を上げた。涙目になっていた。そんなに笑うほど稚拙だったのか。
「下手な誘い方をして済まなかった」
実力不足を痛感して落ち込んでいるというのに、ラーハルトは可笑しそうに肩を掴んできた。
「本当に下手すぎるぞ。一言『飯に行こう』で済むことだろうに、まるで結婚を申し込むかのような大仰さで面食らったわ」
最後にポンと肩を叩いてヒュンケルの隣を通り過ぎ、ラーハルトは扉の横のコート掛けから外套を掴み上げた。
「行こう」
「え?」
「食事だろう?」
「いいのか……?」
無駄なことを厭う性格である友のことだ、現在のヒュンケルと連れ立つ理由は無いのだから断る可能性が高かろうと考えていたのだが。
ラーハルトは街用の薄い羽織をふわりとまとって首元で留めた。
「ヒュンケル、おまえはひとつだけ間違っている。おまえと食事する利点ならあるぞ」
「……? あるか?」
口の端を上げたラーハルトは、ドアノブに手を掛けながら振り返った。
「ああ。オレが楽しい」
ガチャと開いた扉は、ラーハルトが部屋から出た後もヒュンケルの為に開かれたままだった。
ついてこい、ということか。ということは、自分はこれから彼と食事をするのか。
じわじわと実感が湧いてきて、ヒュンケルは足を踏み出した。
オレも楽しい。
そう返事をするために廊下をゆく背中を急いで追いかける。
本日ヒュンケルが学んだ事は三つ。
食事に誘うなら飯に行こうの一言でよい事。
ラーハルトはヒュンケルとの食事が楽しい事。
そして、結婚を申し込むときはあれでよいという事だ。
2025.01.12. 23:20~00:55 +α
SKR