ラーハルトは旅が上手い。
それは共に歩み出した初日に分かった。彼は、足場の良いルートを選ぶし、綺麗な水を見つける。
野営の手際も良かった。背負い荷からは見たことの無い道具が出てきて、それが器用に素早く組み立てられるとかまどになった。魚の鱗を取るための専用器具まで持っていた。
竜騎衆とは特定の拠点を持たずバランに付き従って行動する臣下である。地底の城に引きこもっていた自分に比べれば、よほど生活力があるのだろう。ヒュンケルは彼の淀みない作業に釘付けになっていた。
と、視線を感じたのだろう、ラーハルトが顔を上げた。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
「いや、邪魔をしてすまん。おまえがこんなにしっかりと煮炊きをするとは思っていなかったものでな」
クロコダインとはモンスターの流儀で旅をしていたから、獲物は丸焼きくらいしかしたことがなかった。
「手伝いたいが、そういう人間の道具の使い方が分からんのだ。教えて欲しい」
「オレに人間の文化を請うとは良い度胸だ」
台詞の冷たさに反してラーハルトの苦笑は柔らかい。きっとこれは彼なりの冗談の類いなのだろう。ヒュンケルもつられて微笑んだ。
「いいだろう。まずこの道具だが……」
その日からラーハルトの指南を受けることになり、ひとつずつ彼の持ち物の使い方を覚えていった。
ラーハルトは旅が上手い。
長く道程を一にし、ヒュンケルはいつしかラーハルトのすること全てに注目するようになっていた。
崖近くのコース取りでは必ずヒュンケルより低い位置に居る。きっと落ちたら支えてくれるのだろう。
発見した水は必ずヒュンケルよりも先に飲む。きっと毒味をしてくれているのだろう。
今夜は、凭れて眠りやすい大きな木の根っこを譲ってくれた。
ヒュンケルの胸は甘く痛んだ。
ラーハルトは素敵な男だ。こんな男に毎日やさしくされていて、惹かれずにいるなど出来なかった。木の幹に眠る彼の横顔を淡い憧憬で見つめる。
と、視線を感じたのだろう、ラーハルトが目を開けた。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
「いや、起こしてすまん。おまえがこんなに世話を焼いてくれるとは思っていなかったものでな」
自分が居ない方がラーハルトは身軽に旅をすることができるだろう。それでも一緒に居てくれている。
「おまえに恩を返したいが、方法が分からんのだ。教えて欲しい」
「見返りが欲しいわけじゃないから、そんなことは聞かんでいい」
まるで遠慮のような口ぶりだが冷たい口調だった。きっとこれは辞退ではなく拒絶なのだろう。ヒュンケルは微笑むことに失敗した。
浮かべた涙を見られてしまったのだろうか、ラーハルトは肩を落として深い溜息を吐いた。
「分かった。白状する。下心で世話を焼いているような男に恩義など感じるなと言っているのだ。その身が惜しければな」
ヒュンケルは目を瞬いた。
「この身は惜しくないが?」
「煽るな。分かってないな貴様」
ラーハルトは苛立たしげに覆い被さって両肩を掴んできた。
「こういう意味だぞ」
「分かっている」
両腕を広げて迎えるヒュンケルに、ラーハルトは呆然と口を開いた。
「いつから……?」
「さあ。気が付いたら。おまえは? いつから?」
「……内緒だ」
じわりと濡れるような夜の帳の下、初めて彼を受け入れた。
そして翌朝。
「なあ、これ……」
もそもそと起き出したヒュンケルは、衣服を拾いがてら、転がっていた瓶を拾ったのだが。
ラーハルトに、バッとそれを取り上げられた。
思い出した。
旅を始めた最初に、ラーハルトの持ち物の使い方をそれぞれ丁寧に教わったのだが。しかしひとつだけ用途をはぐらかされた物があった。
それがあの瓶だ。
「潤滑油だったのか……」
「あって良かったろ!」
やけくそのように叫ばれて、ヒュンケルは吹き出してしまった。
下心は初日からだったのだ。
2023.08.23. 22:30~00:10 SKR