星見の小数点コポコポとケトルから心地よい音が聞こえてスイッチを切ってマグに注ぐ。香り立つ温かな液体の名は育ての親が職場の付き合いで貰ったというどこにでも名の知れたカフェオレ。
テレビからは最新ヒットチャートがランキング式で流れたり来年に向けての長時間特番がひっきりなしに宣伝されたりと人間でなくとも忙しない。そういう時節とあっては学生の身分である立香は多少なりとも浮き足立つものがあるが彼は違う。
『ゴメンネ。今日も夕飯の時間までには帰れそうに無いからしっかり戸締りして先に食べてて?』
「あー。そう分かった」
『なんか最近冷たくナイ!?ダディいっぱい頑張ってるのに?!』
「ハイハイ。ガンバッテネー」
『感情』
ここの所このようなやり取りばかりしている。
大学で教鞭を取る傍ら学会だの企業だの多方面から引っ張りだこな教授。それが年末ともなれば納めるものも納めなければ休みすらままならないという状況に大変だなあと月並みな感想しか抱けずにやっと温まってきたカフェオレに口をつけた。
「I’m homeマイボーイ、ダディが帰ってきたヨ!」
「(うるさ)」
ドアが壊れる程に、というのは言い過ぎかもしれないがややテンションが高めなのは否めない。年齢を重ねる度になんだか反応が大袈裟になっていったような気もしてお隣さんから苦情からが来ないかが心配だ。
ダウンジャケットを脱いで見慣れたベスト姿になったと思ったらこちらをじっと見て立ち止まる。夕飯は既に食べてしまったし飲みかけのカフェオレが欲しいわけでもないだろう。あれもこれもと消去法で要素を潰してみたが困ったことに全部無くなってしまった。
「何?」
「私に言うことあるよネ?立香?」
「……おかえりなさい?」
「それはもういいよ。いや、良くはないケド」
「えー、お仕事お疲れ様……?」
「嬉しい!でも違うから」
「?」
「とぼけちゃってマァ!斎藤クンから連絡あったからね。何をしたのもう」
「あー」
合点がいった。モヤモヤしていた霧が一気に晴れたように気分がスッキリとした。反対にジェームズの機嫌は急降下で下がっている墜落寸前だ。
斎藤さんは知り合いの警察官で担当エリアでよく補導されたのをきっかけに仲良くなってしまった。尤も立香は不良行為を働いたのではなく単に深夜徘徊をしていてそれが運悪くといった具合だ。悩みがあるのかと親身に接してはくれたがそんなものは無く目的を話したら呆気に取られながら次は親御さんとやりなさいと説教だけはされた。回数を重ねればそりゃ親にも連絡ぐらいいくのは目に見えている。
「廃ビルの上で星を見てた」
そう。それだけの為に。
新宿歌舞伎町の廃ビルの屋上で星をみる。都心のど真ん中ましてや夜も眠らない街の夜空なんてどんなに目を凝らしても一等星ぐらいしか見えない。それすら危うい日もあって正直星を見るには適していないことぐらいハナから承知の上だ。
加えて繁華街の治安だってそもそも良くは無い。1度だけ発砲騒ぎがあった時は流石に血の気が引いた。友達の紹介でその廃ビルの所有者だという人に許可をもらって星見をしていただけなのに。鳴り止まぬサイレンが周囲の道路を取り囲んでわらわらと集結する警察官に指名手配された逃亡犯のような心持ちにさせられた。
所有者の年齢不詳な白髪の男性は難儀な少年の願いに難色を示していたが最終的には条件付きで許可してくれて大いに感謝している。まぁそれとこれとでは話が違うのは仕方がない。
「それならそれとちゃんと言ってくれればよく見える所に連れて行ってあげるのに」
「俺は別に満天の星空が見たいんじゃない」
彼処だからいいのだと言っても彼は納得していないようだ。
「ソレでもだ、君はまだ未成年。私の目の届く範囲にいてくれないと……」
「……」
「とにかく。星座観察も程々にして早く寝なさい。もう10時を回ってるんだから」
「されど10時」
生意気言わないノ。
冗談に軽いチョップを入れられて渋々とマグを持って立ち上がる。シンクに置いて水で浸しておけば寝る前に洗って戻せば問題ないそして洗いやすい。
(明日から天気悪いのか…)
ふと後方から不自然な音の切り替えがあると思えばテレビのチャンネルを変えたらしい。陽気な歌番組から夜のお堅い時事系ニュース。専門は数学で直接的な話題になることはないにしても教職である以上目を通す必要はあるのだろう。
ロマンスグレーの渋めなおじさんが明日の天気予報の読み上げをする。全国的に天気は崩れがち、広い範囲で雨が降るといった内容に思わず落胆した。
「なんか最近雨多くない?イギリスだってこんなに降らないヨ?」
「雨男がなんか言ってる」
「水も滴るってヤツ??」
傘もささずに歩く悪癖を持つ身内が居ると二重の意味で嘆息が漏れるというものだ。頼むから小雨であったとしても折り畳みぐらいは持ち歩けと願わずにはいられない。