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    斑猫ゆき

    キメツとk田一中心。

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    斑猫ゆき

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    精神病院の患者タンジロと医者タミオチャンのお話です。なんでも許せる人向け

    #ジョハリの箱庭
    joharisBoxGarden

    ジョハリの箱庭・Ⅰ『プロローグ』

     白い建物には、単調な足音だけが満ちていた。
     空白だけで埋め尽くされた廊下を、魘夢民尾は歩いていく。打ちっぱなしのコンクリートで固められた壁はほんの僅かなくすみも見いだせず、リノリウムの床は足跡一つ無い。それを踏みしめる彼の洗いざらした白衣が、無色の上にまた無色を重ねて翻る。ゆるりとした足取りで揺れる彼の肌も抜けるように白く、ともすればこのまま立ち止まってしまえば周囲の白に溶け込んでしまうのではと危ぶまれるほどに色がない。
     視界の中に見える唯一の色彩は、右手側に並ぶ窓くらいのものだった。青々と茂った樹幹が切れ目なく敷き詰められ、遠くへ行くにつれて蒼く霞んでいる風景。矩形に区切られたそれが数メートルごとに廊下の壁に張り付いている。色彩があると言うだけで、特に代わり映えがある訳ではない。時折吹く風が、梢を揺らして、濃淡を塗り替えていくくらいのもので。
     行き過ぎては新たに目の前に現れる緑と白を顧みることもなく、民尾は廊下を進む。此処に赴任してしばらくは辺鄙なところだな、などという辟易もあったものだけれど、もうすでにそれも絶えて久しい。特に代わり映えのしない景色は、代わり映えのない日常に埋没して、とうに順化してしまった。だからといって何を思うこともない。停滞こそが、この病院の美徳なのだから。何か変化があるのは、乱暴事が起きる時でしかない。
     ふと、民尾の足取りが止まった。
     彼の瞳が、進行方向の左手にある扉へと吸い寄せられる。横一文字の瞳孔が刻まれた、彼本人は決して見ることの出来ない色彩。それが、ほんの僅かに開いた扉のスキマへと視線を向けていた。
     眉を顰めて、民尾は今まで行き過ぎてきた廊下を振り返る。病室の扉は向かい側に開いた窓とは斜交いになるよう等間隔に据え付けられていて、いずれも固く閉ざされていた。
     それを確認してから、民尾はもう一度行く手にあるドアを見据えた。やはり、開いている。部屋番号のプレートを確認する。四〇四号室。民尾は首を傾げる。あの病室は、まごうかたなき空き部屋の筈なのに。
     この病棟では、基本的には各病室は扉に据え付けられたテンキーで厳重に施錠管理がされている。中からの開閉は出来ず、決められた食事や運動時間、もしくは事前申請のうえ医師から認められた用件がある場合にしか外出は認められていない。
     極めて前時代的な処置ではあるけれども、そうでもしなければ、何が起こるかわからない。譫妄や情緒障害を伴う患者を専門に受け入れているこの療養所では。
     民尾は足音を殺しつつ、四〇四号室に近づいていく。もしやすると、侵入者や脱走患者の類いが身を潜めているかもしれないし、そうでなくとも用心に越したことはない。施錠システムの故障であれば、システム系統全てに問題が生じている可能性だってある。今のうちにしっかりと見定めなくては。慎重に慎重を重ねて、民尾は隙間に手を掛けた。
     最小限に広げたドアの間に身を滑り込ませると、単調な音が耳についた。廊下にいたときには聞こえなかったはずのもの。眉を顰めて、すぐに緩める。ねじくれた機械音が、あまりにも懐かしくて。
     病室は簡素なもので、入り口から全容が見渡せるようになっている。入ってすぐの右手に鍵のかからないトイレがあり、正面にはベッドと小さな書き物机が置かれている。壁紙は白にひとしずくの緑を落としたような控えめな色合いで、床はそれをもう数トーン暗くした色の柔らかい素材で出来ている。両隣の部屋も、それを反転させた作りであるという以外にはさしたる違いは無い。その、筈だ。
     けれども民尾の目に入ったのは、この病棟にとってあまりに異質に過ぎるものだった。
     まず意識についたのはベッドの不在だった。この部屋が患者の居室であるということを担保する狭く短い電動ベッドは影も形もなく、暗い緑色の床は足下に切れ目なく続いていた。一拍おいて、それが目の錯覚であることに漸く気づく。ベッドが置かれている筈の場所には、微細な盛り上がりが見て取れる。
     目を凝らせば、窓から落ちた照り返しと見えたそれは、山間部の風景を模したジオラマのように見えた。カラーパウダーと樹木キットで飾り立てられた緑色はそこそこに精巧で、先程遠目に見た窓の外の風景にも見劣りしない。山並みの間には環状にレールが敷き詰められて、その上を忙しなく蒸気機関車がジイジイと音を立てて動いていた。どうやら音の出所はこれらしい。
     民尾は、囚われたように走り回る列車を見下ろしていた。明らかな異常ではあれど、驚異ではない。それでも、民尾は動けなかった。唇が発狂して震える。意味も無く吐き出された吐息が霧散する。
     甲高い音を立てて、列車はレールを走る。巡っては戻り、戻っては巡り。停滞を愛するこの病棟を嘲笑うように。懐かしい音、異常な音。民尾は抱えたカルテを握りしめる。この車体は八六二〇型。大正期に作られた蒸気機関車。鉄道は好きだ。昔、俺もこれと同じ模型を持っていた。持っていた、けれど。
     列車は尚も巡り続ける。民尾がどれだけ知識を意識表層へと手繰り寄せようが、無関係に。
     何故列車は走るのか。
     何故こんな所にあるのか。
     何故列車なのか。
     何も、答えようとはしてくれない。
     レールと車体が擦れる音が空間に転がる。本物のレールを走る列車のあの轟音には似ても似つかない。その単調さからすると、寧ろ跨線テルハに近い気がした。かつて鉄道が流通輸送の要であった頃、ホーム間での荷物の上げ下ろしを担っていたクレーンの一種。鉄道荷物輸送が全廃されてからは姿を消した過去の遺物。効率主義が切り捨てた浪漫。まるで、この療養所のような。
     そこまで考えて、民尾は鼻を鳴らした。あまりにも予想の埒外にあった光景に、どうも郷愁が呼び寄せられてしまったようだった。元々幼少期から鉄道マニアの民尾だったが、このところは在来線の電車ですらついぞ見ていない。この山奥では交通手段は車くらいのものであるし、そもそも外出すら宅配サービスに頼りきりで稀になりつつある。そんなことが続けば、神経がささくれ立ちもするだろう。色彩の極端に乏しい、この場所では。
     押し寄せてきたえも言われぬ感傷を断ち切って、民尾は無理矢理に踵を返した。何故こんな所に鉄道模型があるのかは見当もつかないが、知ったことではない。もしや、新しい患者が近々入るのかも知れない。それか、使っていない病室を改装して談話室にでもする予定なのか。そんな話は聞いたこともなかったが、所長のワンマン経営ぶりを思えばない話ではない。
     腕に巻いた時計を見る。三時四十四分。あと一分で問診の時間だ。この階にいる唯一の患者が、民尾を待っている。脇に抱えたままのカルテを抱きしめて、民尾は早足で廊下に出た。
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    MAIKING精神科の患者タンジロと医者たみおさんの炭魘シーズン2です。『ジョハリの箱庭』本編の裏で起こっていたことをタンジロとむざさま+上弦が解説してくれる話。長いので複数回に分けての投稿です
    Lycoris radiataの生活環・Ⅰ「こんな山奥に、よく来たなぁ。疲れたろう?」
     先導する男が笑う。
     童磨と名乗った医師の、白橡の髪を視線でなぞりながら、炭治郎は白い廊下を進んでいた。リノリウムの床に、歩幅のまるで違うふたつの足音が輪唱する。
     今いるこの四階に、自分の病室があるのだという。
     先程上がってきたエレベーターの中で説明された筈の情報ではあるが、どうにも実感が湧かなかった。それどころか、今日からこの診療所に転院してきた自分を、童磨が施設の入り口で出迎えてくれたときの情報も、もう既に酷く遠い。記憶は確かなのに、まるで、ほんの少しだけ過去の自分と現在の自分が、透明な壁で隔てられてしまっているかのように。
     視界は明るく、そして白い。右手にある窓の外には先程車を走らせてきた樹海が犇めいている筈なのだが、壁側に寄っているせいか、炭治郎の位置からは雲の張り詰めた空だけが見える。白と黒と、その濃淡だけで構成される景色。ときたま視界を掠める色は、雲間から零れる日射しの白から分けられたものでしかなかった。
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