尾月と行くSCP544JP 届いた訃報を、尾形は訃報として受け取ることができなかった。何の話だと言うのが最初の感想だった。数年前まで共に暮らしていた男のことを今まで忘れて、いや全く知覚出来ずにいたからだ。
正確には生死不明、確認が出来ないため見なし殉職とされていた。潜入中の事故らしい。詳しいことを尾形は知らない。所属する財団の機密保持のため例え家族であろうとも任務の詳細は明かせないから、恐らく当時の尾形もどこに行ったのかすら知らなかったはずだ。
ずっと小さな違和感はあった。自分のものではない少し着丈の小さい衣類、知らない小物、誰かの痕跡。ただ、それを明確な違和感として尾形が認識することが出来なかったのはひとえにこのオブジェクトの異常性からだ。忘れていたことも特性を考えたら当たり前の避けられない事象だった。数年足りなさを覚えていた空いた欠片を今しっかりと認識した。こんなに濃い他人の空気を感じ取れていなかった。
顔も声も思い出せないが大事な人のはずだ。
忘れざるを得なかったことに歯噛みして、尾形は使者に問う。
「月島は、何か言っていましたか」
「尾形のことを頼むと言っていたそうです」
そもそもその伝言が数年の後に届くのはどうなんだと、尾形は思う。存在自体を覚えていられなかったのだが。遺品と手渡されたのは尾形にとって見覚えのないもの。ただ、それは自分が送ったものであることははっきりわかった。不思議な感覚だ。
渡された遺品に目を落とす。
三日月に乗った黒猫の刺繍がされたハンドタオルだ。少し色褪せている。使い古したごわごわした感触ながらほつれは殆どない。
『あんたが俺のこと猫みたいなんて言い出すから』
プレゼントしたときに選んだ理由を聞かれ、羞恥に襲われながらそんなことを答えた記憶がうっすら浮かぶ。
「これは」
「ええ、これは……――」
次の日から、尾形は資料をかき集め出した。
レベル3研究員のため、ある程度の情報は得られる。SCP-544-JPのあらゆる報告書に目を通す。インシデント記録、事故報告、その中に月島基の名は無かった。ただ一人機動部隊員が行方不明になった代わりに子供が一人保護されたと言う話だった。
これが尾形の探している月島のことだと思った。
三年前の報告書。
丸三年、すっかり尾形の頭の中から月島が消えていたことになる。
異常性はこの数年で概ね解明されていたが、異常存在を報告したフィールドエージェントの要請で月島たち機動部隊員が足を踏み入れた頃にはまだ殆ど状況が明らかになっていなかった。
尾形は報告書を捲る。
月島らしき機動部隊員がロストした代わりにこのデパートを模したSCPに囚われていたらしい子供が一人保護されている。放送室の奥から出られなかった迷子だったようだ。その子供の口から月島の名が出て、先日尾形が渡されたハンドタオルが収容されたそうだ。それには異常性は全くないことが明らかになってから尾形の元へ届いたんだろう。
「5階の放送室」
小さく呟く。まだもし生きているとしたら恐らくそこだ。
今のクリアランスで見れる限りの資料はこれだけだった。
尾形は嘆息する。今、このデパートの形をしたSCPは実験以外で入ることは不可能だ。ならどうするか。
お誂え向きにも今担当していたSCiPは先日Anomalousアイテムになったばかりだ。低危険度収容庫に入れられ保管されるだけのものになる。異動を願うなら今だろう。今のサイトから目的のサイトまでは距離がある。順当にいけば同サイト内で別のSCP担当になるのだが、どうにかして捻じ込めないだろうか。
尾形は思考を巡らせながら指先で机を規則的に叩く。
暫く、室内に尾形が立てる机を叩く音だけが響く。
ややあって端末を取り出すと、それを操作して画面を呼び出した。
「すみません、お力をお借りしたいのですが」
『珍しいな、お前がそんな殊勝な態度なんて』
通話先の相手は全てお見通しと言わんばかりに笑っていた。
「主任研究員の宇佐美です」
「尾形です」
小さな部屋で簡単な挨拶を交わす。鶴見の伝手を辿って時間はかかったがなんとか対象サイトへ潜り込めた。月島が居なくなってから四年が経っていた。
「と、堅苦しい挨拶はここまでにして」
宇佐美は指先でスイッチを一つ押す。
ぷつんと小さな音がした。
「録音機器は一時的な異常を起こしましたー、と」
何をしているんだろうと訝しむ尾形に宇佐美は口元を緩める。
「篤四郎さんの推薦ってことだからどんな奴がくるかと思ったら、冴えないブスなのな」
「ああ、そういうことか」
ここからはオフレコということなのだろうことを察し、いきなり罵倒から来た宇佐美を胡乱げに見遣る。
「お前さ、あのSCiPの中に潜入したいとか本気?特性もちろん目を通してるんだよな」
「知った上でだ」
「ふーん?忘れられたいの?」
「『篤四郎さん』から何も聞いてないのか、哀れだな主任研究員」
「殺すぞ」
「やれるもんならやってみろ」
売り言葉に買い言葉、宇佐美は般若のような表情を浮かべ尾形の頬に拳を叩きつける。
「言っておくけどな、あの方は通話で情報が漏れないようにしてんだよ、思慮深いお方なんだ、お前みたいなブスが気軽に声かけていいような人じゃないんだぞ、身の程弁えろ!」
発狂したように叫ぶ初対面の男を、尾形は床に倒れ伏したまま見遣った。哀れだな、と思う。
普段は思慮深い考察力のある実力派の研究員だと聞いていた。普段はと誰もが口にするのはこれかと尾形は思った。頭に血が上ると手が出る。尾形は反対側の鼻を押さえて、ぶっ、と鼻血を吹き出した。白い清潔感のある床にびしゃりと血痕が広がる。
一発殴って叫んですっきりしたのだろう、宇佐美は息を吐いて椅子に座り直した。起こせよと尾形は冷たい床の上に転がりながら思った。
そんな感じの話をこねくり回しています。
以下の設定を拝借して改変してます。
Author: DocRone様
Title: SCP-544-JP - 孤独な放送室
Source: http://scp-jp.wikidot.com/scp-544-jp
CC BY-SA 3.0