幸福の在処(生存IFハドアバ+フロ) 大魔王バーンが倒され、世界には平和が訪れた。勇者ダイのみ消息が不明だがその他の戦士達は生存。各国は復興に勤しんでいた。
それはここカール王国も例外ではない。だが、カールには他国とは異なる喜びがあった。長らく独り身を貫いていた女王フローラが、王配を迎えたのだ。
その相手は、かつての勇者、アバン。王女と恋仲であったと真しやかに噂されていた騎士の帰還だった。危機的な状況でも国を導いた強き女王の傍らに、英知に長けた勇者が侍る姿は国民の感情を湧かせた。
……その裏で、かつての魔王が特例として女王の相談役に納まっていることを知る者は、ほんの一握りに留まった。
魔王ハドラー。かつて地上を制圧せんとし、勇者アバンによって討ち取られた男だ。その後、大魔王バーンの力によって復活し、魔軍司令となり地上を震撼させた。しかしアバンの使徒達との戦いによって武人として成熟し、最後には彼らと共に大魔王を討つまでに至ったという、一種異色な経緯の持ち主だ。
そのハドラーを己の側近くに据えた女王の真意を、政治の中枢に携わる者達は問うた。かつては彼女に求婚するという形で人類を恐怖に陥れた男を、何故傍らに置くのか、と。
女王の返答は潔かった。
――彼の者によって魔物は統括され、平和の助力に成り得るのです。
詭弁ではないかと語る者もいたが、魔物にも人と共闘出来る存在達がいることは周知の事実。ハドラー自身然り、ダイたちと長きにわたり共に戦ったクロコダイン然り。ハドラーに忠を尽くすヒムもまた、主の意向には素直に従った。
また、ハドラーは元魔王だけあって魔物の生態に詳しい。魔界の知識もある。求められれば己の持つ知識を開示することを厭わぬこの武人は、徐々にカール王国や他国の上層部に受け入れられていた。
けれど、女王がハドラーを国に入れた真の理由を知る者は、当事者である彼ら二人だけだった。そして、薄々それに感づきながらも何も言わぬ王配でもあった。
「貴方には窮屈な思いをさせているわね」
「構わん」
女王の執務室で平然と茶を嗜む元魔王。部屋の外で待機する兵士達は、既にハドラーの存在に慣れているので何も気にしていないが、初期はなかなかに大変だった。
我らが女王陛下を守るのだ!と勇む兵士達を、ハドラーはどうしたものかと見下ろすばかりであったのだ。何せ、ちょっと突いただけで死にそうな人間である。相手が刃向かってきたからといって、払いのける力すら考えてやらねばならなかった。
武人として成熟した今のハドラーと互角に戦えるのは、勇者ダイただ一人。かつての宿敵であるアバンとて、単純に戦闘力だけで勝負をすれば分が悪い。それでも、互いの癖を知り尽くしている部分もあり、割と良い勝負になる希有な例ではあるが。
「人間の一生など、我らにとっては瞬きだ」
「その瞬きとはいえ、貴方が縛られてくれるとは思わなかったのよ」
「それもまた一興と思ったまでだ」
「そう、ありがとう」
フローラは素直に謝礼を口にした。彼女には分かっている。眼前の元魔王に、随分と窮屈な生活をさせ、本来ならば応じずとも良い要請に応えさせている、と。
それと同時に、ハドラーが縛られてくれたのが己ではないことも。この世界でただ一人、ハドラーという男を縛れるのは対の存在とも呼ぶべき宿敵ただ一人だ。その存在が無ければ、彼が平然とカール王国に居座ることはなかっただろう。面倒を嫌い、デルムリン島辺りにでも隠遁した可能性がある。
それをせず、人目のある場所に留まってくれたことに、フローラは感謝しているのだ。彼女の監視下にいるという立場を崩さずにいてくれることも含めて。
「これから先の世界に、あの男の才は必要だろう。手加減させるのは惜しい」
「……本当に、話が早くて助かるわ」
困ったようにフローラは笑う。かつての敵と、こんな風に腹を割って話せるようになるとは思ってもいなかったのだ。だが同時に、理解もしていた。誰よりも同志と呼べるほどに同じ感情を抱ける相手でもある、と。
フローラもハドラーも、その心にアバンという男を住まわせている。抱く感情の種類も関係性も何もかもが異なっているが、ただ一つ共通して抱く思いがある。
それは、アバンの才能に関してだ。
かつての勇者は、そもそもフローラに会う前、会ってからもそれを隠して生きていた。ふざけた言動で他者を煙に巻き、その溢れんばかりの才知を封印するようにしていた。そうすることが、人間の中で生きていくための処世術だと言うように。
魔王ハドラーと対峙して初めて、アバンは己の全力を出した。多少ふざけた言動はそのままではあったが、本質を露わにしたのも事実だ。全力を出さねば魔王に届かないと理解しての行動だったのだろう。
その結果、アバンは魔王を討ち名実共に勇者となった。けれど、……そう、けれど、だ。そうして見せつけられたアバンの優秀さは、多くの者達の心に波風を立たせた。魔王がいるならば良い。しかし、魔王がいなくなれば人類最強とも呼べるその存在を、人々は恐れるしかなかったのだ。
また、哀れなことにアバンにはそれを理解出来るだけの聡さがあった。そしてアバンはカール王国を去り、家庭教師として諸国を放浪した。
……一カ所に留まることがなかった遍歴こそ、アバンが己を人間の内側に置くには異質と理解していた証拠に他ならない。
だから、フローラは一計を案じた。王配としてアバンを迎えるための下準備とも言えた。のらりくらりと逃げる男に居場所を与えるためならば、カールの女王はどのような布石でも打つ覚悟だったのだ。
そして、そんな彼女の思惑に、かつての魔王は素直に協力してくれたのだ。
魔物に対する相談役にハドラーを据える。そして、その彼への抑えとして王配であるアバンを頼む。
効果は覿面だった。
今は味方であろうとも、かつての魔王。いつか自分達に牙を剥くのではないかと恐れる人々にとって、盾としてかつての勇者が存在するのは好都合だったのだ。魔王ハドラーに対抗するための勇者アバン。かつての構図の再現だ。
その配置を実行に移したからこそ、アバンは全力で生きていられる。うっかり手を抜こうものなら、勇者が衰えたと判断されるからだ。実際は年を重ねてより一層厄介になっているのだが、傍目には分からない。わかりやすく実力を示す必要があった。
時折、ハドラーはアバンとの手合わせを所望する。周囲に被害が出ないようにご丁寧に結界を張った上でだが、王城の鍛錬場でぶつかる元魔王と元勇者の姿は、人々に畏怖を抱かせるには十分だった。同時に、勇者が魔王に対抗できると知らしめる場にもなっていた。
アバンは口癖のように「今の貴方が、地上征服とか面倒くさいことをするわけないんですけどねぇ」と言っているが、それは親しい者にしかわからない。
かつてアバンが「その才を用いて何らかの野心を実行するのではないか」などと言われたように。何も知らぬ者には、力ある者というだけで恐れの対象になるのだ。
「私はね、ハドラー」
「……何だ」
「アバンには自由に生きて欲しいのよ。その才を隠すことなく」
「そのために王配の座を与えた、と」
静かな男の言葉に、フローラはいいえと応えた。穏やかな声だった。凜とした声だった。けれどその声に潜むのは、寂寥に似ていた。
「王配の座を与えたのは、彼にこの国にいて欲しかったからよ。放っておいたら、すぐに消えてしまうから」
私の我が儘ね、と誇り高い女王は笑う。その表情に、武人は何も言わなかった。
彼女が長い年月、決して己の元に戻ってこない勇者を待っていたことを、ハドラーは知っている。その年月は、彼が宿敵との再戦を願って力を回復させた日々と同じだ。人間には長い歳月であることを知っている。
「あの男も、どこまでも鈍い」
「鈍いのではないと思うの。意図して、遠ざけようとするのよ」
「なるほど」
フローラの発言に、一理あるとハドラーは頷いた。
アバンという男は、大切に思えば思うほどに、それらを守るための最善を考えるのだ。そして、その結果が自分と離れることだったとしたら、ためらいなく選ぶ。そういう薄情な優しさの持ち主だった。
博愛精神に富んでいるとでも言うのだろうか。個人的な欲求がどこまでも薄い。常に全てを俯瞰で見据えることの出来る視野の広さが影響しているのかも知れない。
そこまで考えてハドラーは、口元を歪めた。愉悦に緩むその表情に、フローラは呆れたような顔をした。
「貴方も随分と、わかりやすくなったものね」
「あの男に関しては、否定せん」
「そうね。昔から、わかりやすくアバンに執着していたものね」
過去を思い返すようにフローラが告げた言葉を、ハドラーは否定しなかった。その執着に様々な感情が含まれるようになっただけで、執着自体は初対面の時から抱いていたのだから。
そして、ハドラーは知っている。己が抱くのと同程度の執着を、アバンが己に対して抱いていることを。その感情に名前を付けるのは難しいが、まず間違いなくアバンという男の心にもっとも大きく巣くっているのはハドラーだ。
「別に問題なかろう。俺がいることで、あの男も随分と生き生きとしている」
「そこが一番癪に障るのよねぇ……」
楽しげに笑うハドラーに、フローラは大きなため息をついた。かつての宿敵と過ごす時間を、アバンが喜んでいるのは彼らにはバレバレだ。何の遠慮もいらない相手というのは、彼には貴重なので。
何で私の恋敵が魔王なのかしら、と女王は小さくぼやく。ぼやくが、その奇妙な状況を完全に厭っているわけでもないのが、彼女の強さだった。
「まぁ、アバンがアバンらしくいられるなら、それで良いのよ」
「違いない」
その一点においては共同戦線を張るのもやぶさかではない女王とかつての魔王。その二人の企みに気づきつつ、「おや、仲良しですねぇ」と笑う王配がいる。そんな、どこまでも異質で、平和で、彼らにのみ分かる幸福の、形が。
勇者を誰より生かすのは魔王。それは彼らが知る、不文律。
FIN