繋がったその温もりを 目を開けると、今一番見たい顔がそこにあった。
「アルトさん」
思わず名前を呼ぶと、アルトは僅かに微笑んだように見えた。
「すまない、起こしてしまったか。どうだ、調子は」
そう問われ、ミランは自らの状況を改めて確認する。熱を出して寝込んでいた。少し前までは何ともなかったのだ。それが急に発熱し、体調が悪くなった。ふらふらしているところを元軍師である宰相に見つけられ、強制的にベッドに押し込まれて医者の診察を受けさせられ、この数日間薬を飲んで寝ていたのだった。だが、そのお陰で以前よりは少し良くなっている気がする。そう自らを分析したミランはアルトにそれを伝え、それから肩を落とした。
「……情けないなぁ……今までほとんどこんなことなかったし、少し前までは全然ぴんぴんしてたんですけど」
おかしいな、とミランは横たわったまま首を傾げる。アルトはそれを聞くと、微笑を少し苦いものに変えた。
「疲れが出たんだろう。建国からずっと働き詰めだったと聞いている。疲労は時に、気付かないうちに蓄積されてある日突然溢れ出すことがある」
「……実体験ですか?」
「さぁ、どうだったかな」
経験があるような物言いがひっかかって尋ねてみたが、アルトの答えは明確なものではなかった。教えてくれないのか、と少し残念に思ったところで、はたと気付く。肝心なことを聞いていなかった。
「何故、ここに?」
終戦後も、グレッグミンスターに滞在しているということは知っている。また旅に出るかもしれないということは本人から聞いていたが、まだ具体的な時期は決まっていなかった筈だ。そして、ミランが倒れた事を城内で知る者は、ごく一部。噂話となって自分の不調が隣国まで届くとは考え難い。
「知りたいか?」
理由を聞きたいか、と問われ、ミランは暫し考え込んだ後で首を横に振った。
「大方予想がついたんでやっぱいいです。なんか借りを作ったようで癪だし」
「……君達は、まだそんな感じなのか」
「一種のじゃれ合いですね」
「まぁ、君達が楽しそうだから僕は構わないと思うが」
今度は可笑しそうに笑うアルトを見て、ミランはふ、と肩の力を抜いた。
「でも、顔を見れたのは嬉しいです。なんだろな、具合悪くなると気が弱くなるって、本当だったんですね」
元来体が丈夫なミランには、今までこんな経験はほとんどなかったのだが、一人で寝ていたら急に寂しくなって、周囲が暗くなったように思えて、親しい者に会いたくなった。今のミランが特に会いたいと願う者は三人で、そのうち二人にはもう会うことは叶わない。残りは戦時中から想いを寄せ、またそれに応えてくれたアルトだけだ。アルトに会えば、この暗闇に光が射すのではないかと思った。
「アルトさんの顔を見て、少し体が軽くなったし、部屋が明るくなった気がします」
「病は気の持ちようでもあるしな、気分の上昇に一役買えたなら来た甲斐があった」
アルトは、ミランの額に手を軽く添えて、続ける。
「休暇だと思って、ゆっくり休むと良い。終戦から今まで、ずっと動き続けていたんだろう。そろそろ休めと、体が伝えて来たんだ」
「そう……なのかな。俺としては、動いている方が気が楽なんですけど」
だって、動いていれば、余計な事を考えなくて済むし、とミランは呟いた。それを聞いたアルトはだから、今回のようになったのだろう、と言う。
「だから、ですか」
「さっきも言ったが、動き続けたいと思うが故に、疲労に気付かなかった……いや、見て見ぬ振りをしてきたんじゃないか」
紋章の力はあれど、僕達は怪我だってするし体調を崩すことはある、というアルトの言葉に、ミランは自らの最近の行いを振り返る。確かに、少し疲れたなと思うことがあっても、じっとしていると余計な事を考えそうで、わざと動いたりしていた。その結果が、これなのだろうか。まるで知っているかのようなアルトの口振りに、ミランはまた尋ねる。
「それも、アルトさんの実体験ですか?」
「さぁ、どうだったかな」
だがこの質問にも、アルトがはっきりと答えを返すことはなかった。きっと似たような経験はあったのだろうな、とミランはうっすら思う。だからこその、今の発言の数々があるのだろう。同じ痛みを経験していて、だからこうやって寄り添って言葉をくれる。
だったら、少し甘えてしまっても、良いのだろうか。せっかく来てくれたのだから。
「アルトさん」
「何だ?」
「手、握ってくれますか?」
そう言って手を出すと、アルトはすぐに握り返してくれて。繋がった箇所から、じわじわとあたたかさが伝わって、体の中にあった冷たい塊が、溶けていくような感覚を覚えた。そしてもっと、欲しいとも思う。
「……本当はこの中に入ってもらって、ぎゅっとして寝たいんですけど」
「抱き枕か。まぁ構わないが」
「流石に自重します。何か移しでもしたらクレオさんに怒られる」
「怒りはしないと思うが……なら、君の気が済むまで、こうしておく」
「ありがとうございます」
この温もりがなんだかとても嬉しくて、ミランは久しぶりに心から笑顔を作れた気がした。
◇ ◇ ◇
ミランが寝込んでいる、一度会いに来ては貰えないかと連絡を受けてすぐ、アルトはグレッグミンスターを出た。ルックの力もビッキーの力も使えない今は、遠いあの城には自らの足で向かうしかない。一刻も早く、たどり着きたかった。
ついにこうなったか、とアルトは思う。終戦後も時折顔を見に行ってはいたが、ひたすら走り続けるその姿を見て懸念はしていたのだ。彼の軍師であった宰相とも、幾度となく話はした。だが、彼の今の心情を思うとなかなかそれを止めることはできず、結果、器の方に限界が来た。
「何が何でも、休ませるべき、だったのか……?」
アルトは自分の記憶を辿る。似たような経験は、あった。立ち止まると余計な事を考えそうで、進めなくなりそうで、何も考えずに済むようにひたすら動き続けて。倒れかけて周囲に怒られたことも、何度かあった。今のミランも、きっと同じような状況だろう。
けれど、以前のアルトがそうであったように、そんな時は周囲の進言も耳に入らない。心が、ついていかないのだ。それもわかっているからこそ、アルトには強くミランを止めることができなかった。
旅路を駆け抜けて、アルトはミランのもとにたどり着いた。宰相と医者と会話をし、それほど重症ではないことを知り、まずは安堵する。
「こうなってしまい、申し訳ありません」
「いや、僕が側にいてもきっと同じです。あれを止めるのは、非常に難しい。身に覚えがあるからわかります」
それでも今後は互いにもっと気をつけなければと話し合い、それからアルトはミランの自室に入った。ベッドに横たわるミランの顔が見えて、少し安堵する。眠っているようだった。ならば様子だけ見て、また起きたら顔を見せに来よう、そう思って、起こさないようにそっと近付く。
少し顔は赤いが、呼吸は規則正しく、苦しそうではなかった。薬が効いて、良い方向に向かっているのだろう。少しだけだ、とアルトは細心の注意を払って、ミランの額に触れた。平常より、やはり僅かに温度は高いような気がする。それでも、指先から伝わるあたたかさにミランがここにいることを実感し、アルトは肩の力を抜いた。
「……僕は、君とずっと歩んでいきたいと、思っているんだ」
指を離しながら、微かな声でそう呟いた。
「だから、早く元気な顔を見せて欲しい」
その為なら、何だってする。
アルトは、そう決意を新たにした。
ミランの目がゆっくりと開いたのは、その直後たった。