石乙散文 乙骨が呪術師をするのは、自分に出来ることをしたいという意識が半分、これまで自分が傷つけてきてしまった人たちへの罪滅ぼしの気持ちが半分、という理由だった。恩師や同級生は、そんな乙骨の気持ちを知っているから頼ってくれたり任されたりもする。乙骨自身はそれが嬉しかったし、もっと頑張りたいという気持ちもあった。
それなのに。
「おい、ちゃんと飯食ったか?」
任務から戻った乙骨の顔を見るなり、そんなことを言ってくる人がいる。こちらが曖昧に返せば、やっぱり食ってないのかって、食堂で作ってもらったおにぎりやらサンドイッチやらを押し付けてくるのだ。しかも、乙骨がそれをちゃんと食べ切るまで見張っている、そんなに暇なのかと突っ込みたくなるが、そんなことを言えるはずもなく、大人しく押し付けられたものを食べる。その様子をよしよしなんて顔で眺めている。
彼の名前は石流龍。普通の人間ではなく受肉体であるため、呪術高専で管理されている。とはいえその扱いは普通の呪術師と然程変わりはない、石流を高専へ引き入れたのが乙骨なので、何かと関わり合うことは多かったが。
(多い、どころか、物凄く気に掛けてくれる…ご飯もそうだけど、ちゃんと眠れてるか?とか…そこでよく眠れてないなんて言おうものなら……)
運動でもすれば眠れるのではと訓練場へ連れて行かれたり、夜であれば乙骨の部屋まで乗り込んでくる。乗り込んで来て、なにをするかはご想像に任せるが、つまりは石流は乙骨に対してあれこれ世話を焼いてくるのだ。
(なんで、って聞いても、放って置けないからって言われるし……なんだろう、気付いたら物凄い……頼ってしまっている気がする)
その状態を『甘やかされてる』と茶化されたこともあるが、乙骨からすれば、石流に甘えてるつもりは少しもなかった。
(それでも……少し期待するようになっちゃったかな…石流さんなら、こうしてくれるんじゃないかって)
そしてそれに身を任せるのは『甘えている』ことになるのだろうか。乙骨には経験がないからよく分からない。
乙骨は、誰かに甘えるということを知らなかったから。
「乙骨」
石流からもらった食事を食べ終えたところで、そう声を掛けられる。乙骨が顔を向ければ、そっと肩を抱き寄せられて、石流と身体が密着する。
石流は乙骨にあれこれ気に掛けてくれるが、それは決してただではなく、必ず乙骨に見返りを求めてくるのだ。
「じゃあ──俺ももらうな」
そう言って、顎を取られて唇を重ねられる。ぐっと腰を抱き寄せられて、唇を薄く開けばその交わりは更に深くなった。
「んっ……」
彼がそれを欲しいと思うなら、好きにすればいいと思って乙骨はされるがままだ。それを不快だとも思わない、しかし、その違和感に、最近なんとなく気付いてしまった。
石流はどうして自分を気に掛けてくれるのか。
その見返りがどうしてキスなのか。
少し考えれば答えはすぐ出てくるのだろうが、その答えが信じられなくて、乙骨は飲み込めずにいた。
そして何より、石流になにをされても嫌だとは思わず拒むことをしない、自分自身のことも。
(石流さんは、受肉体で、その身柄は高専で管理されていて、いつ処分されるかも分からない人で)
そんな人に、頼り切るなんてことをしては、いけないと思っている。
(そんな人を、好きになんて、なっていいはずがない)
そう考えたら、ぎゅっと胸が締め付けられた。好き、好きなんだろうか自分は、石流のことが。
(少なくとも、嫌いではないけれど、そういう意味で、好きになっちゃいけない)
例えその腕の中がとても暖かくて、そこにいつまでもいたいと考えてしまうことがあっても、自分は立ち止まるわけにはいかない、みんなのために、何より自分自身のために、呪術師として、戦わなければならないから。
「っ……はぁ、あ……」
唇が離れてすぐ、はぁはぁと息をしていれば、そんな乙骨の顔をしばらく見つめた後、石流がぎゅっと抱き締めてくる。そして耳元でそっと、囁いてくるのだ。
「……好きだぜ、乙骨」
その言葉で、身体中に電流が走るようなビリビリとした痺れを感じた。蓋をしたはずの想いが、溢れ出てしまいそうで、ぎゅっと目を閉じた。
(僕も……石流さんが、好きです)
本当は、そう口に出して伝えたかった。けれど、その結果が怖くて、言葉には出せない。好きだと言われ、好きだと返して、彼との関係に名前がついてしまったら、もう後戻り出来なくなりそうな気がしたから。
自分が自分でなくなってしまいそうな、そんな気がしたから。
(僕は……呪術師だから、呪術師でいないと、いけないから)
自分を甘やかしてくれるこの人に、すべてを委ねてしまうワケには、いかないのだ。
ずるくて卑怯だと思う。
「オマエ、昨日はちゃんと眠れたか?」
そう問われて「…あまり」と返せば「そうか」と言われる。
今日はもう時間が遅く、外は真っ暗だ。
「……それなら、よく眠れるように、しっかり運動しないとな」
後で部屋に行く。
それだけ耳打ちされて、思わず肩を揺らした。乙骨から離れていく石流の背中を一瞥してから、ぎゅっと自分の身体を抱き締めた。
(ほんとに、ずるい……)
自分の気持ちにとっくに気付いているくせに。
それを伝えないまま、彼を頼ってしまっている、自分は。