芸能パロ石乙(なんか……成り行きでとんでもないことになっちゃったな)
石流から渡された予備のヘルメットを受け取り、それを被ってからバイクに跨がった石流の後ろに同じように座った。「しっかり掴まってろよ」と言われて、石流の背中にぎゅっと抱きついたけれど、石流の背筋も胸筋と同じくしっかりしているが柔らかさもあった。
(まさか……龍さんの家に泊まらせてもらうことになるなんて……いや、でも、ご家族もいるだろうし、ふたりきりとかにはならないから大丈夫かな…)
むしろこんな夜中に転がり込んで本当にご迷惑じゃないんだろうか。そんなことを気にする乙骨を尻目に、バイクは走り出した。
確かに石流の言ったとおり、自宅は今日の撮影現場から近いようで、10分くらいでとあるマンションに着き、そのまま地下駐車場に入っていった。ここってかなり高級なタワマンでは?と思いつつ、バイクの駐車場で停車してエンジンを止めた。
「こっちだ」
石流は乙骨にそう声を掛けて、駐車場から直接建物内に入れる出入口の方に向かっていくので、乙骨も慌ててその後を追った。
「あの……こんな時間にお邪魔して、本当に大丈夫なんですか?」
「だからいいって言ってんだろ」
「龍さんはいいかもしれないですけど、ご家族とか…」
そんな会話をしながらマンションの建物内に入り、エレベーターを待ってそこに乗り込めば、石流は「はぁ?」という顔をした。
「誰もいねぇよ」
「え?」
「家には誰もいねぇって言ってんだ」
エレベーターの数字がぐんぐんと上がっていく。それを眺めながら、乙骨の頭が、石流の言葉を反復する。
(誰も??いない??え、留守ってこと??)
エレベーターが指定した階につき、石流が降りていくので乙骨もその後を追う。そして、1つの扉の前で、石流はチャイムも鳴らさずに鍵穴へ鍵(というか認証チップみたいなやつ)を入れた。いや、こんな夜中なんだからチャイムなんて鳴らすはずはないのだけれど。
「…どうした?入れよ」
扉を開けた石流にそう促されて、乙骨は戸惑いながらも「お邪魔します…」と言って敷居を跨いだ。
(ご家族は留守で誰もいないってことは、つまり……朝まで、龍さんと、ふたりきりってこと…?)
背後でパタンと扉の閉じる音がした。
ほんの少し、あらぬことを考えてしまったが、ご家族が不在なだけで、石流が既婚者であることには変わりない。変なことを考えるな!と思って、お風呂を借りて、来る途中にコンビニで買ってきたもので夕飯を軽く済ませた。
「酒は……オマエは飲まない方がいいか…」
「そうですね……僕、酔うと記憶が飛んじゃうみたいだし」
ハハハ、と苦笑しながらそういえば、石流がプシュッと缶ビールを開けて、それをぐいっと飲んだ。
「あの時は周りに気を遣って飲みすぎたんだろ?量を間違えなければ大丈夫なんじゃないか?」
「んー、まぁそうかもしれません…」
「でもま、明日も朝が早いなら飲まない方がいいと思うが」
石流はそう言いながらも、缶ビールをぐいぐいと飲んでいく。喉がぐっぐと動いていて、そんなところが男らしくてカッコいいし、色気があるなぁと思ってしまう。
(はーもう、ダメだってそんなこと、考えたら…)
思わずその思考を振り払うように首を振って、石流から視線を逸らすと、食べ終わったコンビニ弁当のゴミをまとめた。それからリビングのソファに近づき、その弾力を確認して、ここで寝られそうだと判断してから石流に聞いた。
「寝る場所なんですけど……このソファを借りてもいいですか?あと、毛布だけもらえたら」
「はぁ?寝室のベッドを使ってもいいぞ?ソファは俺が使うし」
「いやそれはさすがに…」
寝室のベッドってつまり石流が奥さんと寝てるベッドということでは。さすがにそこを使うのは…と思っていれば。
「なぁ」
不意に石流がそう声を掛けてきて、乙骨が顔を向ければ、石流が缶ビールをすべて飲み終えたのか、椅子から立ち上がって乙骨のいるリビングに近づいてきた。
「…どうしました?」
「寝る前に少し、オマエに確認したいことがあるんだが」
そう言って、乙骨がいるソファの隣にとさりと座った。なんか距離が近いような気はしつつも「…なんですか?」と問いかければ。
石流は乙骨の顔をじっと見つめたまま、あっさりと言った。
「…オマエ、俺のこと好きなのか?」
その内容に、ひゅっと息が止まるかと思った。
ドクドクと鼓動が速くなるのを落ち着けるように息を吐きつつ、苦笑を返した。
「そ、そりゃあ好きですよ、龍さんは憧れの俳優さんですから」
普通に返せただろうかと不安になるより早く、石流が眉を寄せながら「違ぇよ」と言った。
「好いた惚れたの意味で好きなのか、って聞いてんだ」
その言葉にぎゅっと胸を締め付けられたような気がした。バレてる?でも、絶対に肯定しちゃいけないと思った。
「……そんな、ワケ…」
「本当かよ?」
「…いや、むしろなんでそう思うんですが?」
思わずムッとしてそう問い返せば、石流はけろっととんでもないことを言ってくる。
「オマエにキスされたからだよ」
「は……?」
「酔っ払ったオマエを家まで送った時に、別れ際、オマエにキスされたんだ」
そんなことをさらりと言われて、思わず目が点になる。
酔っ払った自分を、家まで送ったときに、キスをされた?
いわれた言葉を脳内で思わず反復させ、やっとその内容が頭に入ってくる。
「…………ウソ」
「こんなウソをわざわざ吐くかよ」
「そう、なんですけど、でも……」
背中に嫌な汗がダラダラと流れている。酔っ払った時って、やはりあの打ち上げの夜のことだろうか、いやあの時しか考えられない。
(あーもうなんてこった……)
乙骨が頭を抱えていれば、石流が言葉を続けてくる。
「それともオマエは、誰彼構わずそういうことするタイプか?」
そして言われた内容に、先程とは違う感情で息が止まった。ふるふる首を振りながら「違います!!」と声をあげた。
「ぼく、は……そんな、誰彼、かまわず、なんて…」
「…それならやっぱり、俺だからしたってことで、俺のことが好きってことでいいのかよ?」
そうだ、それを否定したらそういうことになってしまう。それでも、乙骨はその問いに口籠もった。その通りだけれど、でも、どうしてもそれを肯定したくなかった。
(だって、この気持ちがバレたら……もう龍さんとは……)
思わずぎゅっと目を瞑れば。
「……いいんだよな?」
そう確認された後、すっと肩を抱き寄せられた。えっと思って顔をあげたところで、あまりに近くに石流の顔があって。
そのまま彼の唇が、自分のそれと合わさった。
キスをされたのだと、理解したのは唇が離れた後だった。
「へ…?あ、え…?なん、で…?」
何故、石流は自分にキスしたのだろう、なんで、どうして。
頭に疑問符を飛ばしている乙骨に、石流は更にとんでもない言葉を続けた。
「…そんなの、俺もオマエが好きだからに決まってんだろ」
今度こそ、頭が真っ白になった。
好き?好きって誰が?誰を?龍さんが?好き?誰を?オマエって、誰?誰ってそれは──。
「…っ、待って…待って下さい……」
頭が混乱する。そんなはずはない、そんなことは有り得ないと、頭の中を警報が鳴り響いていた。
「…だって、龍さんには、奥さんが……」
石流は既婚者のはずだ。相手がいるのに、そんなこの人が、自分を好きとか有り得ない、有り得るはずがない。
そんな乙骨に、石流は「はぁ?」と言った。
「あいつとはとっくの昔に別れただろうが」
「は?」
「なんだオマエ、知らねぇのか?」
乙骨が石流を見れば、呆れたような表情でこちらを見てきている。別れた?え、いつ?誰と誰が?
「ウソ……」
「ウソじゃねぇよ、結婚指輪もしてねぇだろ」
「それは……役があるからと思って…」
「それだったら仕事終わったら戻すだろ。実際、別れる前はそうだったし」
石流の言葉が段々荒くなっている。何かに苛立つように、頭を掻いていて──それもそうか、人によってはあまり触れられたくない部類の話だ。
でも、乙骨にとっては大事なことで、重要なことだ。
「なん、で……」
「あ?」
「なんで……奥さんと、別れちゃったんですか…?」
乙骨のその問いに、しかし石流の表情は険しくなるばかりだ。
「オマエには関係ねーだろ」
「…っ、確かに、関係ないですけど、でも……僕には、すごい、幸せそうに、見えたから…」
乙骨が小学生の時、ニュースで見た石流と結婚相手の姿はぼんやりとしか思い出せないが、子供ながら嬉しそうだなって雰囲気だけは感じていて、それだけは覚えていた。
石流のことは好きだけれど、そうやって誰かと一緒にいて、幸せそうにしている姿も好きで、あの相手と別れてしまったという事実に寂しささえ感じていた。
(ぼく……おかしいのかな、でも…)
乙骨には、その事実が、悲しいと思ってしまった。
そんな乙骨の姿をじっと見つめていた石流はひとつ息を吐いてから、口を開いてきた。
「……元々、あいつとはデキ婚だったんだよ。それでも俺なりに幸せにしてやりたいと思ったさ。けど、根本的に合わなかったんだよな、あいつと俺は」
頭をガリガリと掻きつつ、不機嫌そうに、でもほんの少し寂しそうに、石流は話を続ける。
「何度も話し合ったし、距離を置いてみたりした。けど、やっぱり無理だった。子供もいたし、なるべく別れたくなかったんだけどな、そう考えれば考えるほど、ダメになって行ったんだ」
そういうこともあるんだ、と石流は言った。乙骨も聞いていて胸が苦しくなったけれど、きっとその時の感情を掘り起こして吐き出した石流の方がもっと苦しいだろうと思った。
「……すみません、そんな話をさせてしまって」
「いや、いいさ。その辺はしっかり話とかねぇと、オマエだって不安になるだろ」
俯いた乙骨の頭を、石流の大きな手がそっと撫でる。そして、石流の言葉が、更に降ってきた。
「……だから、オマエを好きだと気付いた時も、俺なりにオマエとの距離感を考えたんだ。オマエとは傍にいてどう思うか、オマエの言動は、考え方は、俺に合うのかってな」
(そんなこと、考えてたんだ…)
自分は石流と一緒にいて、ドキドキしたり嬉しかったり、そんなことばっかりで、相手が自分と合うかなんて少しも考えたことはなかった。
「……そしたら、オマエとはもっと一緒にいたい、離れたらすぐにまた会いたい、もっと傍にいてえって、思ったんだよ」
石流のその言葉に、ゆっくりと顔をあげた。石流の表情を見れば、自嘲じみた苦笑を浮かべながらも、先程までの苛立っている様子はすっかりなくなっていた。その、自分に向けられる視線が温かくて、じんわりと胸に、染み入ってくる。
悲しくて、苦しくて、でもそれ以上に。
「…っ、……」
思わず両手で顔を覆った。石流の「ゆう?」という呼び掛けに、ぐっと目元を拭った。
「…ぼく、いいんですか…?」
いつの間にか息苦しさはなくなっていて、でも胸が熱くてたまらなかった。
「……龍さんのこと、好きで、いいんですか…?」
震える声でそう囁いた乙骨に、石流は目を見開いたあと苦笑して「いいに決まってんだろ」と言った。
それから再び顔を近づけてきて、唇を重ねてきた。今度はそれをこちらも目を閉じて受け止めた。
ほんの少し塩っぱくて、ほんのりとビールの味がするそのキスを、自分は一生忘れないだろうと、乙骨は思った。
※後日談とかでもう少し続きます。