眠りの幕間冬の夜は早く訪れて、静かに深く続く。
いつまでも温まらないベッドの中で、寒さに凍える左右の素足擦り合わせながら、瞼を閉じて夢の国への旅立ちをひたすら待つが、いつまで経っても水先案内人は訪れない。随分前に羊の数は数え飽きた。
「マーク?」
ベッドの中にいるマークすぐ横から小さな声が聞こえた。仰向けのマークが瞼を開くと暗がり中に天井の木材の幾何学模様がぼんやりと見えた気がしたが、そんなものはどうでもよくて、すぐに声の方へ顔を向けた。スティーヴン・グラントに呼ばれたらそうしたくなるようにマーク・スペクターはできていた。
「まだ、起きてる?」
隣にいる仰向けのスティーヴンの横顔は天井と同じようにぼんやりとしていたが、それでもぴったりとくっつている距離のおかげで瞼が閉じられていないことをマークは見ることができた。
「…起きてるよ。」
天井を見つめたままのスティーヴンにマークも小声で返す。夜の真っ暗闇の中のひそひそ声にはひそひそ声で返さなければならないルールがマークとスティーヴンの間にはあった。確かな約束を交わしたわけではないが不思議と二人が気がついた頃には当たり前のルールになっていた。
「寒い?」
「ああ。」
「やっぱり…僕も寒い…こんなに寒くちゃ眠れないな…。」
マークの凍えた素足にスティーヴンの同じように凍えた素足が重なる。スティーヴンはマークの寝間着のズボンの裾の隙間からいたずらに足指を差し込んで足首の微かな体温を奪ったかと思えば、次にはマークの足指の先に奪った温度を移すように擦り付けた。何度も、繰り返す。
「あんまり温かくならないね…。」
「…それはそうだろう」
マークの体温を奪って、マークに与えているのだから。
「マーク…ギュッとする?」
答えも待たずにスティーヴンが腕を回し、マークの頭を抱えるように抱きしめた。ついでとばかりにデューベイを頭まで引き上げる。
「マークもしてよ…。」
言われるままマークもスティーヴンに腕を回し、スティーヴンとは違うふうに強く抱きしめた。
2人の間にある寝間着と空気の冷たさに揃って一瞬息を止めたが、通り過ぎると後はじんわりと熱が灯る。マークの耳に当たったスティーヴンの胸から心臓の音が聞こえて、それはテレビで見たマグマのような響きだった。赤くて、熱くて、溶けて。
「… 眠れそうかな?」
「そうだな、これなら、そのうち。」
「僕も。」
シンとした沈黙と温もりが心地よくてマークは瞼を閉じる。今度は羊にも水先案内人にも頼らなくて良さそうだ。だってスティーヴンがこんなに近くにいる。
「…ねえ、子守唄歌ってあげようか?」
「子守唄なんて、知ってるのか?」
「…なんとなく、これかなっていうのは。」
スティーヴンから与えられるものなら何でもほしくて、マークは請わずにはいられない。請わなくても、マークが手を伸ばすより前に贈り物を押し付けるスティーヴンであると知っていても、手を伸ばさずにはいられない。
「なら、聞かせてくれないか…。」
歌われ慣れてない歌が声をあちこちに跳ねさせる。
スティーヴンのパラパラと跳ねる声で紡がれる子守唄は、マークが遠い昔に聞いた歌だった。
誰が歌っていたかなんて思い出すまでもなかったが、歌声も声色も思い出せない。たしか、まだ、優しかったはず。
でもそんなものは今は忘れて、スティーヴンの心音と歌声と、髪を柔くかき混ぜる指に満たされてたくて、マークはスティーヴンを抱く腕をほんの少しだけ緩めた。
マークの眠りに合わせるようにスティーヴンの歌声もトロリと溶けていく。
冬の夜は早く訪れて、静かに深く続いて、マークは眠り夢を見る。
夢の中でマークはスティーヴンと二人で羊の背に乗り、お互いがお互いの水先案内人になってどこまでもどこまでも旅を続けるのだった。
おしまい