セザンヌ色のシャツの少年 飛行機は定刻よりも少し、遅れてパリのシャルル・ド・ゴール国際空港に到着した。玲太と七ツ森は、無愛想な入国審査官のブースを抜け、パリの市内を目指した。まとまった休暇が取れたから、どこかに行こうよと言い出したのは、七ツ森のほうだった。彼はこういうとき、行き先を玲太に委ねるか、或いは玲太の出張先についてくる。彼は旅行の目的地にあまり、頓着しない。ただ、玲太と非日常を共有することに重きを置いているので、大抵は玲太の提案をそのまま、飲むかたちになるのだった。それでも旅先での体験を新鮮に楽しむことができるのは、七ツ森の持って生まれた気立ての良さと、柔軟な魂のおかげだった。
今回のこの旅行もそういう経緯で突然計画された。玲太は、パリのいくつかの蚤の市を何度か訪れていたけれど、このサントゥアンには久しく行っていないから、という理由でそこを目的地の一つに決めた。フランスに行くなら、と珍しく七ツ森がもう一つの目的地を提案した。マルセイユ湾。
玲太はかつて、出張先から七ツ森へ宛ててセザンヌの絵葉書を送ったことがあった。その絵のブルウが、かつて玲太が高校時代に着ていた制服シャツの色と似ていると言って気に入り、長いこと洗面台の鏡の横に無造作に貼り付けられていた。
七ツ森はそのことを思い出したようで、いつかこの色と同じ海のブルウをお前と見てみたいと思ってたんだ、と言った。
パリの街中のホテルにチェックインすると彼らは荷物を置き、時差と自分の体内時計を馴染ませるために近所を散歩する。ごつごつとした石畳を歩き、日本では感じられない開放感のような、高揚感のような浮き立つ気持ちを七ツ森は玲太の肩にそっと自分の手を載せることで表現する。普段彼らはこうして親しげに身を寄せ合って歩くことがない。
翌日玲太は早く起き、気に入りのブーランジェリーで買ったバゲットとチーズをスライスして置いておく。朝起きてこない七ツ森のための朝食をテーブルに残して蚤の市に出掛けるのだった。簡単なメモを残しておけば、彼は来るだろう。
黒い髪に赤銅色の目をした彼は、何度かそこにある多くの店に出入りするうちに、数多の顔馴染みを作った。彼らの中には、採算度外視で玲太の来訪まで品物を保管しておいてくれる者や、店先で玲太を見かけると店の奥まで引っ張って、新しく入手した品物を見せる者もいた。
七ツ森は玲太と落ち合うけれど、あまりに彼が幾つもの店をまわって時間を掛けるので、すっかり飽きてしまって、玲太を残して近所のカフェで彼の買い物を待つことも、あった。そんなとき玲太は必ず、幾つかチョコレート粒を詰め合わせた小さな缶を買って来た。
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パリを出た二人は、マルセイユ湾を見下ろす美しいホテルに滞在した。南仏の赤茶色の土の色と太陽の黄色、そして玲太のシャツのような空ブルウはパリと違う生命に満ちているようだった。
七ツ森はセザンヌのポストカードの話をして、きっとここから描いたのだと目を細めた。
玲太さあ、お前が高校生の頃、こんな色のシャツ着てたの覚えてるか?俺さあ、たぶんきっとあのシャツ着てるお前が、俺の思うお前そのものなんだよね。セザンヌの絵みたいにちょっと多面体が整ってなくて自然なゆがみがあって……。俺、玲太の、整おうとしていながら自然と心が抗ってはみ出そうとしちゃう、そういう脆いところが大好きだったんだ……。一生懸命それを悟られないように守ってて。でも、真っ白のシャツを着ることは嫌だっていうお前なりの強がりっていうか美意識がさ、好きだったんだ。
お前のシャツの色と同じ色した絵があって、それを描いた場所にお前と来れて、なんかいいなってさ。
玲太はあの頃着ていたシャツに、意味など持たせたことはなかったけれど、それでもここに二人で来れたことはよかったと思った。
日本に帰ったら、サントゥアンで買った幾つかの品について、いろいろ話してみようと思った。