毎日SS8/26「モリヒトってさ、字綺麗だよね」
一人では絶対にやらない宿題をさせるために、ケイゴをリビングに呼び出した。
ダイニングでモリヒトのノートを見ながら宿題の範囲を埋めていく。
「そうか?意識したことないが」
当然、モリヒトは宿題を終わらせている。ケイゴがさぼらないように見張りながら、夕飯の餃子を包んでいた。
「ノートも要点が纏まっててわかりやすいしさぁ」
「後から教えないといけないからな」
「オレなんて、文字書きます、ペン持ちますってだけで嫌だもん」
「それは勉強が嫌なだけだろ」
「……そうだけどぉ……」
ちらりとケイゴを見やり、包み終えた餃子にラップを掛ける。これであとは夕飯の時に焼くだけだ。
冷蔵庫に餃子をしまい、食器を洗うついでにやかんにお湯を沸かす。見た感じではあまり進んでいないが、そろそろ休憩の頃合いだろう。
カウンター越しにケイゴを見る。モリヒトの視線がなくなったからか、あるいはコーヒーの香りに気付いたからか、ペンを置きスマートフォンを弄っていた。
「ちゃんとやれ」
「休憩だよ、休憩」
「さっきからそればっかりじゃないか」
口ではそう言いつつ、コーヒーを置く。このままなら三十分と経たずに終わるだろう。
「ねぇモリヒト、ここなんだけど」
「ん?どこだ」
一息吐いて落ち着いたのか、ケイゴがノートをモリヒトに見せる。綺麗とは言い難いが、丁寧な文字が並んでいた。
「ああ、これはこっちの応用だな」
「へぇー、さすが」
「やれば出来るんだから溜め込まずにちゃんとやれ」
「褒められれば伸びるタイプなんだよ。もっと褒めて?」
「褒められることをしろ」
ノートをケイゴに差し戻し、マグカップを持つ。
読み終えた朝刊はリビングのテーブルの上だ。他にやることもなく、コーヒーを飲みながらケイゴを眺める。
「なんかめっちゃ見てくるじゃん」
「他にすることがなくてな」
「賽の河原で鬼に見張られながら石を積む子供の気持ちになるからやめて」
「なんだそれ」
確かにモリヒトは鬼であるが、それはあくまで此岸の話だ。だいたい、報われない努力を強制するのが鬼だなんて人聞きが悪い。
「後はプリントだけだな」
「ていうかさ、宿題の範囲超えてない?多すぎ」
「真面目にやってればちゃんと終わる量だぞ」
「ぐう」
正論を言い返され、言葉に詰まったケイゴがプリントに目を落とす。
「名前書き忘れるなよ」
「モリヒトって本当に字綺麗だよね」
必要のなくなったノートを閉じ、表紙に書いてあった名前を撫でる。性格の几帳面さが出た文字は、同い年の高校一年生とは思えない程綺麗だった。
「気になるなら練習すればいいだろ」
ケイゴがしきりにそう言うせいで、表面はなんでもない風を装ってみても、内心の嬉しさは隠しきれない。
「じゃあそうしようかな」
「あっ、おい、プリントを終わらせてから」
ケイゴが再びノートを開く。一番後ろのページの罫線に、名前を書いた。モリヒトとしては早く宿題を終わらせて欲しかったが、今のペースなら少し脱線しても大丈夫だろう、と溜め息を吐く。
「乙ってなんかぐにゃっとしてて書きにくくない?」
「そこでなんでオレの名前なんだ。書くなら真神だろ」
「だってオレの名前画数多いもん」
ふと名前を思い浮かべる。確かに総画数はモリヒトより多いが、だからって何故そうなる、と突っ込んだ。
「お、と、ぎ、もりひと……どう?」
「どう?と聞かれてもコメントに困る」
罫線を無視して縦書きで書かれた自分の名前は、気を遣って書いたのか、普段の文字よりは綺麗だった。
「じゃあちょっとお手本見せてよ」
シャープペンとノートをモリヒトに差し出す。そんなくだらないことをやってないで宿題を終わらせろ、と突っぱねるのは簡単だ。
「お手本も何もないだろ」
と言いつつ、ペンを持つ。モリヒトだって乗せられやすい性質なのだ。
「おお」
真神圭護とフルネームを、自分の横に並べた。
「なんかあれだね、署名みたい」
「署名ってなんだ署名って」
「……連帯保証人?」
「死んでもそんな書類にはサインしないぞ」
「冗談だって」
くすくすと笑いながら、ノートを眺める。二人の名前が並んだページに、ケイゴが何を思ったのかは知らない。
もう一度ケイゴがシャープペンを持つ。真剣に文字を書く顔をこっそりと覗いた。
出来た、と呟き、また見せられるのかと思ったら、ケイゴがすぐに消しゴムを持つ。
「なんだ、出来たんじゃないのか」
「あっ、待ってコレなし……!」
「……」
ケイゴがノートを引くより、モリヒトが取る方が早かった。丁寧に書かれた文字列を見つけ、目を丸くする。
「じょ、冗談だからね……?ほら、ちょっと気になったというか、上手く書けるかなーって……」
そこには、ケイゴの字でしっかりと『乙木圭護』と書かれていた。横に並ぶ自分の名前と、ケイゴの名前を見比べる。
「黙んないでよ、消すから返して」
ケイゴがノートを取り返そうと躍起になって手を伸ばすが、それを拒むように胸の前に抱いた。
「……」
ついでに机に落ちたシャープペンを取り、さらりと文字を足してケイゴにノートを返す。
「別に、どっちでもいいんじゃないか」
『真神守仁』と書かれた文字は、腕にノートを抱いた状態で書いたせいで、モリヒトの字にしては随分と歪んでいた。