「たまには俺も甘えたい」
そう言ったのがすべての始まりだった。本当に、なんとなく。凪の濡れた髪を乾かしてやって、変に捲れ上がっていたスウェットの襟元を直してやって。これで、寝る準備ができたな! って頭を撫でたときに、ふと自分も同じように甘やかされたいと思ったのだ。
「急にどうしたの、レオ」
「いや、俺もお前みたいに甘やかされてーって思って」
「甘やかされたいって、たとえば……?」
「んー、そうだな……。あ、じゃあ、試しに俺の髪を乾かせ!」
名案だとばかりに頷き、持っていたドライヤーを凪に手渡す。てっきり面倒くさいって一蹴されるかと思ったが、凪は文句を言うことなくドライヤーを受け取ってくれた。「じゃあ、レオが下に座って」と凪がフローリングを指差す。言われた通り下におりれば、逆に凪がソファに上がっていった。
「なんか変な感じするわ。この体勢」
すとんとフローリングの上に座り、凪の足の間に収まる。
すぐに温かい風が襟足を揺らした。凪の大きな手でわしゃわしゃと髪をかき混ぜられて気持ちいい。初めてなのに案外うまい。
「おー、楽ちんでいいなこれ」
思わず目を閉じる。温風と優しい手つきに、ふわっ、とあくびが零れた。気持ち良すぎて眠くなってくる。
「……レオ、眠い?」
「いや、気持ちよくて……。案外うまいな、お前」
「いっぱいレオにやってもらってるからね」
はい、終わり。と凪がスイッチを切る。ちょっとだけ前髪が湿っている気もするが、まぁ、いいだろう。初めてにしては上出来だ。よしよしと愛犬を褒めるみたいに振り返って凪の頭を撫でたら、凪が嬉しそうに目を細めた。
「なんかいいね。これ」
「だろ?」
「何かしてあげるのって面倒くさいな、って思ってたけど、ちょっと楽しいかも」
他にして欲しいことないの? と凪がせがむ。正直、そんなにないのだが、とりあえず髪をくしで梳いて欲しいとお願いした。
「レオの髪、サラサラだね」
「お前の髪ももふもふしてて触り心地いいけどな」
「同じシャンプーとリンス使ってるのに不思議」
すん、とうなじに鼻先を押し付けられてびっくりする。凪の髪が肌に触れてくすぐったい。
「バカ、くすぐったい」
「えー、でもおいしそうなんだもん」
かぷかぷとうなじを甘噛みされて小さく息を呑む。慌てて凪を引き剥がすと、もう終わり! と言ってドライヤーとくしを回収した。甘噛みされたうなじを撫でながら、洗面所に移動する。
すると、凪も飼い主の後をついてくる犬みたいに洗面所にやってきた。キラキラした目で見つめてくるから、なんとなく嫌な予感がして、歯磨きは自分でするからな、と先手を打つ。まだ何も言ってないよ、と言う割にちょっとだけ見えない耳と尻尾が垂れた気がした。
自分の歯ブラシにも、凪の歯ブラシにも歯磨き粉をつけ、口の中に放り込む。しばらく無言でそれぞれ歯を磨いていたが、それが終わっても凪がついてきた。
ソファに座っても、キッチンに水を取りに行っても凪がちょこちょことついてくる。
「……さっきからなんなんだよ」
「いや、他にして欲しいことないのかなって」
「さっきのやつ、まだ続いてんのかよ……」
「だって、レオが言ったんじゃん。甘えたいって」
それはそうだけど、俺としてはさっき髪を乾かしてもらっただけで十分だ。別に、甘やかされるのに飽きたとかそういうわけではなく。純粋にさっきので満たされたのだが、凪としては不服らしい。他にはないの? とせがんでくる。
「あー、じゃあ、俺のこと寝室まで運んで」
「YESBOSS」
「え、そっち!?」
ふわっと体が持ち上がる。不安定な体勢に、ぎゅっと凪の首に腕を回した。
まさか、お姫様抱っこされるとは思わなかった。てっきりおんぶかな、と思っていたのに、想像以上に優しく寝室のベッドまで運ばれる。
シーツの上におろされて、布団までしっかりとかけられて。凪も横から布団の中に潜り込んでくる。
いつもならベッドにごろんとするだけして、布団なんてかけないのに。それじゃあ、風邪引くだろ! ってこっちが布団をかけてあげる側なのに。なんだよ、やれば出来るじゃん。と、凪の頭を撫でた。
「ちょっ……いきなり何?」
「いや? なんでもない!」
「あっそ。じゃあ、おやすみー」
「あぁ、おやすみ」
…………。
………………。
あれ? なんかいつもと違う。いつもだったら「レオ〜」ってすぐにすり寄ってきて、おやすみのキスがしたいって言ってるくるのに。からかい半分で避けると分かりやすくしょげるから、笑って凪の鼻先にキスをしたり、頬にキスをしたり。「違う、こっち」なんてじゃれながらキスをするのが日課なのに、今日はそうやって甘えてくる素振りを見せない。
気になって凪の方に寝返りを打てば、こっちを向いていた凪とバチッと目があった。近すぎる距離に、うぉ、と色気のない声が出る。
「どうしたの? 眠れない?」
「いや、その……」
「なに?」
「なにって、いつもの……」
「いつもの?」
キスしたりハグしたり、お前から甘えてくるじゃん……。とは言えなくてモゴモゴと口を動かす。いつまで経ってもはっきりしない俺に、凪もなんとなく察したのだろう。俺に甘えたいの? と聞かれて、こくんと頷いた。
「だったら、ちゃんと言って」
「えっ、」
「それか、レオの方から甘えてきてよ」
淡々とした声で言うが、どこか楽しそうだ。恥ずかしさやプライドが邪魔してうまく甘えられないのをいいことに、れーお、と指で唇をつついてくる。
「早く、おいで」
後頭部を引き寄せられて、互いの鼻先が擦れる。だけど、凪からキスしてくることはなかった。あくまで、俺からじゃないとダメらしい。
「……目ぇ、閉じろよ」
「ヤダ。レオの顔、見たいもん」
コイツ……! と思いつつも、勢いをつけて凪の唇にキスをする。軽く口付けて終わりにするつもりだったが、離れる直前にぺろりと唇を舐められた。そのまま凪に好き勝手されて、唇が離れたときには互いの息も上がっていた。
「……なぎ、」
縋るようにギュッと凪のスウェットを掴む。いつもなら何も言わなくてもそのままもう一度キスをして、なし崩し的に事に及ぶけれど、今日はそうもいかないみたいだ。凪の期待するような目に、じわっと頬が熱くなる。
「ほら、どうしたいの?」
追い打ちをかけるように凪が言う。
こんなことになるなら、あんなこと言わなきゃよかった!
そう思うけど、もう遅い。逃さないとばかりに抱きしめられて、嗚呼、もうどうにでもなれ! と半ばヤケクソになって凪の首に腕を回した。
「……もっといっぱい、お前に甘やかされたい」