「そういえばさ、この前の合コンどうだったの?」
「あー、この前のやつ? ハズレもハズレ! ぜんっぜん、盛り上がんなかったし、かっこいい人もいなかった」
「でも、向こうは商社のエリート揃いでしょ? それに噂じゃ、イケメン揃えたって話じゃん」
「そうだけどさー。でも、顔が好みじゃなかったんだよね」
「あんたは面食いすぎるから!」
「でもさ〜、近くにめちゃくちゃイケメンな人がいたら比べちゃうじゃん? うちの社長とかヤッバいし」
「それは分かるかも! でも、社長って確か……四十は過ぎてない?」
「それね〜。でも、そうは見えないよね」
「分かる〜! 三十前半ぐらいだって言われても違和感ない」
「それに、めっちゃイケメンだし、フレンドリーな感じじゃん。仕事に関してはかなり厳しいらしいけど、そこがまた良いっていうか……。マジ、社長となら付き合えるわ」
「まぁ、分からなくもないけど……。でも、この歳まで独身なのはなんか訳ありって感じもしない? それに、浮いた話ひとつないらしいじゃん」
「そこがいいんじゃん! なんなら、ワンチャン狙えるかもなところが!」
「ねぇ」
給湯室の中。まだ初々しさを残した女性社員たちに声をかける。
彼女たちはビクッと肩を跳ね上げると、ゆっくりとこちらに振り返った。誰かに会話を聞かれているとは思わなかったのだろう。こちらを見るなり、さあっと顔を青くした。
「もうすぐ昼休み終わるよ。あとそこ、使いたいんだけど」
「す、すみません……! どうぞ!」
ペコペコと頭を下げて、彼女たちが給湯室を出ていく。その様子を見ながら、ハァとため息をついた。別に給湯室に用事などなかったが、ついでだとばかりにコーヒーメーカーで二人分のコーヒーを淹れる。
「君たちの社長は俺のものだってば」
そうぽつりと呟くと、淹れたばかりのコーヒーを持って社長室に向かった。
◆
「それで? カッとなって給湯室に入ったはいいものの、手持ち無沙汰になって俺のコーヒーまで淹れてきたってわけ?」
だって、レオのことをそういう目で見るから。そう言ったら、玲王がゲラゲラと笑った。こっちはモヤモヤした気持ちで此処まで来たというのにあんまりだ。
御影コーポレーションの現社長、御影玲王は、腹を抱えて笑いながらくるりと椅子を回転させた。
「なーに拗ねてんだよ。別にお前のことを言われたわけじゃないんだから気にすんなよ」
「は? 気にすんに決まってるでしょ」
ダークウッド調の大きな机の上には、あのときの写真が飾られている。また、玲王が座る椅子の後ろ――ちょうど自分が立っているところの後ろ――には、あの日のユニフォームや写真が飾られていた。
「レオがいつまで経っても首を縦に振らないから」
皮肉を込めて言い、机の上にある写真立てを引き寄せる。
今からちょうど二十年前、玲王と共にワールドカップで優勝した。そのときに撮った写真の中で、玲王はキラキラと眩しい顔で笑っている。自分はというと、ピッチの上で跪いていた。映画やドラマで見るベタなプロポーズよろしく、指輪が入った小さな箱を開きながら。
「これ、マジでよく撮れてるよな」
「嬉しいけど嬉しくない……」
「なんだよ、さっきからしょげんなって」
横からぎゅうっと子どもみたいに抱きつきながら、ご機嫌斜めです、とアピールする。玲王はポンポンと頭を撫でると、そういうところは昔から変わんないなーと笑った。
「レオもでしょ。いい加減、俺と結婚して」
もう何度も告げてきた言葉を口にする。最初は歓声が溢れるピッチの上で。それ以降は日々の生活の中で。それでも玲王は首を縦に振らなかった。ピッチでプロポーズしたときなんかは最悪で、
「気持ちは嬉しいけど……いつかな」
「は? いつかっていつ?」
「二十年後とか……?」
「だったら今でもいいじゃん。それともなに? 俺のこと、好きじゃない?」
「んなことねーよ。お前のことは変わらず好き」
「だったら……!」
「でも、今はまだダメ」
そう言って小さな石がついた指輪を突き返してきたから、強引に玲王の薬指に指輪を嵌めた。そのときは指輪をつけてくれたけれど、合宿所に着いて、一晩眠ったら外されていた。それ以降、同棲してからも毎晩、玲王の薬指につけているが、朝になるとケースの中に戻っている。一回ぐらい、うっかり外し忘れてくれてもいいのに。
「別に結婚しなくたって、今のままでも困らねーじゃん」
「困るよ。今の若い子たち、俺たちのこと、ほとんど知らないんだから」
「あー……まぁな」
「ほら」
ワールドカップで優勝してから二十年が経っている。彼女たちが幼少期に自分たちの姿をテレビで見たといっても、五歳とかそこらだろう。そんな彼女たちから見れば、玲王も自分も過去の人間に過ぎない。
引退後、芸能界へ行った人間は覚えてもらえるが、インストラクターやコーチになった者、自分たちみたいに企業に入り、表舞台から去った者は、すぐに世間から忘れ去られる。だから、玲王がピッチの上でプロポーズされていたことすら、知らない若者の方が多い。それに、あのときはうまく玲王も茶化したから、大事にはならなかった。いつもの二人がまたなんかやってるよ……で処理されてしまった。
「もう、あのときの約束から二十年経ってるんだけど」
「物覚えだけはいいよな、お前」
「レオとのことならぜんぶ覚えてるよ」
今日も何もない左手薬指を撫でる。擽ったいと笑う玲王の手を引き寄せた。肌の衰えを感じさせない男の指に唇を滑らせる。わざと歯を立てたら、こら! と怒られた。
「もう約束のときだよ。結婚しよ」
「今さら結婚しても、特にメリットないだろ」
「そういう損得勘定で考えないでよ。毎日、俺とおはようのキスとおやすみのキスができるじゃん。嬉しくない?」
「それは今もしてんだろ」
「じゃあ、毎日抱きしめ合って眠れる」
「今もお前から抱きついてくるじゃん」
「えっちも毎日できるね」
「ハァ!? てか、毎日はさすがに今でも無理だろ!!」
「………………」
「なんだよ、その間。怖いんだけど」
「とにかく、いっぱいイチャイチャできるじゃん」
「うーん……」
「だから、お願い」
またしても玲王の指に歯を立てる。いっそ、指輪が駄目なら、消えない噛み跡でも残してやろうか。なんて、物騒な考えが頭をよぎった。
「じゃあ、ひとつ条件」
「えー、もういいよ」
「お前が面倒みてるスポーツ事業部の売上を一番にしたら結婚する」
「うわっ、めんどくさ……」
「別にやめてもいいんだぞー」
「やるに決まってんでしょ」
軽く玲王の唇にキスしてから立ち上がる。もう何度もキスしているのに、こんなところでするな! と怒られた。社員であっても内線でアポを取らなければ入ることができないこの社長室に、他の誰かなど来るわけもないのに、それでも玲王は怒るし照れる。そんなところが可愛いから、怒った玲王にもう一回キスをした。
「約束だからね。絶対だから」
はいはい、分かったから。と、適当にあしらう玲王に、今に見てろと思う。その気になればいつだってトップに立てるのだ。ただ、トップになると表彰されたり、次の期の目標が上がりまくったりと面倒なことになるので、ずっと二番手で留まっていたのであり。だが、明確な目標が定まったいま、セーブする必要などない。すべては玲王と結婚するため。玲王は自分のものだと証明するために。
「楽しみに待っててね」
そう言って社長室を出る。
早く自分の左手薬指にも玲王とお揃いの指輪をつけたい。
そんなことを思いながら自身の薬指を撫でた。
◆
「ねぇ、聞いた!? 今日、社長の左手薬指にさ……!」
「あー、聞いた聞いた。っていうか、朝たまたま会って指輪みた。つい最近、結婚したんだって」
「マジ!? ずっと彼女いないと思ってたのに〜! そんな噂もなかったじゃん」
「それ! でもなんか話によると、ずっと前から付き合ってて、同棲までしてたらしいよ? 社長的には、御影コーポレーションを背負ってるし、立場的なものもあって、なかなか結婚に踏み切れなかったんだってさ。相手が大変になるからって」
「なにそれ、純愛じゃん……。一途で相手想いとかますます推せる」
「推すってウケる!」
「あー、でもなー……。これでワンチャンとか消えた……」
「たぶんそれ、みんな思ってるし、悲しんでるっしょ」
昼休み。給湯室の中。彼女たちの会話を聞きながら、後ろでコーヒーメーカーのスイッチを押す。カチッと音がしたことで、やっと自分の存在に気付いたのだろう。彼女たちが振り向いた。
「あっ、えっと、お疲れ様です」
「……どうも」
「…………」
「あ、俺には気にせず、会話を続けてもらって」
二つ分のコーヒーを淹れて、熱々のカップを両手で持ち上げる。その間、彼女たちは静かだった。給湯室を出る直前までは。
「でも、社長と結婚できるなんて羨ましい〜!」
「分かる! 幸せだろうね」
その言葉に、思わず振り返ってしまった。振り返ったついでに、ぽろりと本音を零す。
「うん、幸せ」
そう呟いた凪の表情は晴れやかだった。それを見た女性社員たちが目を丸くして、ほとんど関わったことのない男の、去っていく後ろ姿を見つめる。
「……てか、あの人って誰?」
「確か……スポーツ事業部の部長で……。あと、社長も元サッカー選手だったらしいけど、あの人……凪さんもそうらしいよ!」
「へぇー! そうなんだ。てかさ、さっきの人も指輪してたね」
「うん……っていうか、めっちゃ見覚えのある指輪してた」
「ん? どういうこと……?」
「だから、社長と同じデザインの指輪してたってこと!!」