『交際 三ヶ月 手を出されない』
『初エッチ 交際 何ヶ月目』
『同棲 恋人 セックス』
際どい単語が検索バーに並ぶ。わざと検索履歴をタブレットに残した。こうでもしないと、凪に手を出されないと思ったからだ。
付き合って三ヶ月。同棲期間も三ヶ月。
さすがにそろそろ手を出されても良い頃だと思う。いや、逆にこちらから手を出すべきなのか。凪のことだから「面倒なことはしたくなーい」「楽なポジションの方がいい」「痛くて苦しいのは嫌だ」って言いそうな気がして、自分が受け入れることばかり考えていたが、もしかしたら逆だったのかもしれない。いや、でもそれはさすがにないか……。
そんなことを悶々と考えながら、新品のバスローブに袖を通す。ふわふわのタオル生地は見るからに触り心地が良さそうで、実際に着心地も良かった。わざとゆるめに羽織り、胸元をはだけさせる。腰紐一本で貞操を守っているだけのこのバスローブは、さっさと脱がせろよ、という意味も込めて着ていた。同棲初日から。それなのに、凪はバスローブに触れてこようとしなかった。わざと肌を露出して迫っても、風邪を引くからとブランケットを手渡される。お前で温めてくれてもいいんだけど!? というテンプレみたいな台詞を飲み込むこともしばしばだ。だから、今日はこれ見よがしにアピールする作戦に出た。
「……なんか今日の夕飯、すごいね」
「だろ!? すっぽん鍋と鰻の蒲焼、あとガーリックバター味のステーキ!」
食卓にはあからさまなぐらい精がつくものを用意した。そして、凪が入浴中している間には甘ったるい香りがするアロマキャンドルを。極めつけは、風呂から戻ってきた凪に手渡した際どい検索ワードが並ぶタブレット。最後はボディクリームを塗り、ふわふわのバスローブを身につけた自分。これで落ちなかったら、もはや不能でしかない。
「よっしゃ!」
今日こそ凪に抱かれる! 絶対に!! と気合を入れてリビングに戻る。
すぐにソファーに座ってゲームをしていた凪と目があった。おいで、と言わんばかりに、凪が横に座るようソファーをぽんぽんと叩く。
「またバスローブで出てきたの? 寒いからこれ掛けて」
「またかよ……。別に寒くねーし大丈夫だって」
「ちゃんと髪は……乾かして来たんだね。じゃあ、遅くならないうちに寝よう」
「は?」
ゲームを切り上げた凪がふわっとひとつ欠伸をする。これだけやっても落ちねぇの……? 抱きたくならねぇわけ? と頬が引き攣った。
早く歯磨きして寝よ〜〜と言う凪に洗面所まで連れられて、しゃこしゃこと歯を磨く。
いや、違うんだけど?? 思い描いていた夜と違うんだけど? と混乱しているうちに気付いたら布団の中だった。肩の上まで布団を掛けられ、子どもを寝かしつけるときみたいに優しくお腹のあたりをぽんぽんされる。
気持ちいい……けど、望んでいたのはこれじゃない。
「……あのさ、凪」
「んー?」
「俺たち、何かすることあんじゃね?」
「あったっけ……? あ、」
凪が何かを閃いたみたいだ。のそのそと凪が起き上がる。
そう、その調子! そのままがっついて来い!! と思ったが、
「おやすみ、レオ」
軽く唇にキスされただけだった。それ以上は何もなく、凪が布団の中に戻っていく。
「……」
「…………」
今夜もダメだった。どれだけ色仕掛けをしても肌を隠せとばかりにブランケットを渡され、早く寝ろと言わんばかりに寝室へと誘導される。今日は夕飯の時から仕込んでいたのに。
「……なぁ、凪」
「どうしたの、レオ」
「俺ってさ、」
そんなに魅力ねぇの? っていうか、男同士はやっぱり無理とか……?
いろんな思いが浮かんでは消えていく。鼻の奥がツンと痛んだ。別に凪とはそういうことをしたくて付き合っているわけじゃない。でも。まったく手を出されないと自信もなくなるわけで。このまま今みたいな状況が続くなら、さすがに心が折れるかもしれない。
玲王は滲み出そうになる涙をぐっと飲み込むと、頭まですっぽりと布団を被った。
◆
「あっぶな……」
凪はハァと深いため息をつくと、玲王が眠っていることを確認してからベッドを降りた。
ダメだ。可愛すぎる。誰がって玲王が。恋人の玲王が。
元々、玲王のことは出逢った当初から大好きだった。そうじゃなかったら、自分の人生をかけてまでサッカーしていない。玲王と一緒に夢なんか見ない。玲王のことはずっとずっと好きだし、こうして玲王に想いを受け入れて貰えただけでも幸せだ。同棲が決まったときは、今日が命日になっちゃうかも……と馬鹿なことすら考えた。それぐらい、自分にとっては幸せなことだった。
だけど、そんな玲王との同棲は初日にして忍耐と苦痛に苛まれた。だって、玲王が風呂上がりにバスローブ姿で出てくるから。腰の紐を引っ張ったら脱げちゃうような格好で出てくるから、本気で頭が痛くなった。玲王には言えないけれど、コンマ数秒で玲王のことを脳内で押し倒していたし、ぐちゃぐちゃにしていた。
これはたぶん、だけど。玲王は"凪誠士郎"に夢を見ている節がある。「凪って淡白そうだよな〜」「でも案外、好きな子は大事にしそう」「お前ってロマンチストだからさ、最初とかめちゃくちゃ丁寧そうじゃん」と、付き合う前に言われたことがあるからだ。
残念ながらこっちも男である。人畜無害、無欲で紳士な聖人君子ではいられない。普通に性欲はあるし、玲王のことを抱きたい。めちゃくちゃに。でも、嫌われたくもない――
「マジ最悪……」
テントを張った下半身を見て二度目のため息をつく。正気、今日はヤバかった。
これ見よがしな夕飯に、玲王からの期待するような熱視線。風呂に入る前は、ペタペタと玲王に体まで触られた。
「なーぎ! マッサージしてやるよ」
「いや、大丈夫」
「んだよ、遠慮すんなって。ってか、やっぱり筋肉ついたよなー」
玲王がぺろんとシャツを捲って、無遠慮に腹や胸をペタペタと触ってくる。
玲王は気付いてないだろうが、ざっくりと編まれたニットは首元が開いていて、屈むと胸元あたりまで見えてしまう。もしかしたらこれも玲王の計算かもしれないけど。
「……レオ、そろそろお風呂入ってくる」
「もう?」
「うん」
残念そうな顔をした玲王を引き剥がすのは可哀想だけれど、これは玲王のためでもある。玲王の身体のためだ。初夜からめちゃくちゃにされるのも嫌だろうし。
雑念を振り払って、シャワーを浴びに行く。絶対に玲王には手を出さない。と心に決めながらも、体は念のため二回洗った。清潔感は大事だし。断じて、そういうことをするつもりはないけど、一応。
そうして邪な気持ちを振り払ったのに、お風呂から上がったらまた玲王からの攻撃が始まった。
部屋中に漂う重く甘ったるい香り。トドメとばかりに、際どい検索履歴が並んだタブレットまで渡された。この前のインタビュー動画が上がってるぞー、なんて言って渡されたけど、正直そんなことよりも検索履歴の方が気になった。
「やっぱり、レオも期待してんのかな……」
嬉しい。けれど、困る。紳士な彼氏でいたいのに。玲王のことは大事にしたいのに。
「どうしてくれんのさ……」
ハァ、とため息をつく。そのため息は玲王が眠るまで何回も続いた。
そうして玲王を自分から遠ざけて自制心を保ってきていたのに、さすがの今日はダメだった。
玲王の寝顔を目に焼き付けて、いそいそとトイレへ向かう。もちろん、処理するためだ。玲王のことを思いながら、淡々と自分を慰める。何が悲しくてトイレに籠もってるんだろう、と切なくなりながら。
「っ、レオ……」
名前を呼んで、息を吐く。そうやって、何度か玲王の名前を呼んだときだった。突然、ドンドンとドアを叩かれた。
「おい、凪! いるんだろ? 大丈夫か!?」
「レオ……?」
「いますぐ開けろ! 苦しいんだろ!?」
「は……? 違うし、大丈夫なんだけど、」
「どこが! 全然、大丈夫な声じゃねーだろ! 今日、いろいろ食わせすぎたからだよな……。まさか吐いてるんじゃ……」
「本当に、うっ……大丈夫……」
「凪!? クソッ、開けるぞ!」
「待って、開けちゃダメ!」
「今さら吐いてても引かねえって!」
「だから、ちがっ……」
慌ててトイレットペーパーで手を拭き、わたわたとスウェットを上げようとする。が、
「「あっ」」
無情にもドアは開いてしまった。
◆
一瞬、意識が落ちかけたものの、眠りが浅かったのか目が覚めた。目が覚めて、隣に凪が居ないことに気付いた。
きっとトイレだろう。そう思って待っていたのだが、暫く待っても凪は戻って来なかった。
「やけに遅いな……」
そっとベッドを抜け出し、廊下に出る。もしかしたら眠れなくてリビングでテレビでも見てるかも、と右手側にあるリビングの方を見たが真っ暗だった。だけど、左手側にあるトイレの扉からは微かに光が漏れている。
「トイレか」
じゃあ、戻ろう。と踵を返したときだった。うっ……と呻くような声がした。
「なぎ……?」
小さく名前を呼ぶ。だけど届かない。それどころか、うめき声が断続的に聞こえるようになった。しかも何やら「レオ」と名前を呼ぶ声まで聞こえてくる。
滅多に物怖じしない凪のことだ。呻くぐらいだから、もしかしたら一大事かも。晩御飯にいろいろ食べさせすぎたから腹を下して苦しんでいるとか……。と、そこまで想像して、玲王の顔がサァっと青くなる。
吐きそうになってたらどうしよう。ごめん、凪、なぎ!!
「おい、凪! いるんだろ? 大丈夫か!?」
「レオ……?」
「いますぐ開けろ! 苦しいんだろ!?」
「は……? 違うし、大丈夫なんだけど、」
「どこが! 全然、大丈夫な声じゃねーだろ! 今日、いろいろ食わせすぎたからだよな……。まさか吐いてるんじゃ……」
「本当に、うっ……大丈夫……」
「凪!? クソッ、開けるぞ!」
「待って、開けちゃダメ!」
「今さら吐いてても引かねえって!」
「だから、ちがっ……」
凪の静止を聞かずに勢いよくドアを開ける。そう、開けてしまった。
「「あっ」」
…………。
………………。
痛いほどの沈黙が落ちる。凪の切羽詰まった表情と半端にずり下ろしたスウェットでいろいろと察してしまった。これは見てはいけないやつだと。
「……わりぃ、凪。てっきり、夕飯食べすぎて吐いてるのかと……」
「違うって言ったじゃん」
「だよな……。悪い。えっと、どうぞ……続けていただいて…………」
自分はそのまま静かに帰りますので、と扉を閉めようとする。が、
「逃がすわけないでしょ」
「わっ」
あっさりと中に引き入れられて息を呑む。最悪だ、と呟く凪の声は熱っぽかった。するりと腰に手が伸びる。
「てかさ、よくこんな格好でいられるね。紐引っ張ったらすぐ脱げそうな服とかダメでしょ」
「ちょ、凪……!」
「あー、でもレオは俺に脱がされたくて毎晩着てるんだっけ?」
夕飯のメニューも、部屋のアロマも、タブレットも、バスローブもそういうことだもんね? とはっきり口にされて、一気に頬が熱くなった。そうだけど、指摘されると羞恥が勝ってしまうわけで。
「いまさら逃げるのはなしだからね」
しゅるしゅると腰紐を解かれて、バスローブが床に落ちる。
翌朝、目が覚めると、体中が凪に噛まれた跡でいっぱいだった。