太陽が西へ沈んでいき空が橙色に染まる頃、カランと軽やかなベルが人の出入りを知らせ開けた店内の中央には、スポットライトを浴びたグランドピアノが存在を放っていた。週末にはそのピアノを使った小さなコンサートが開催されるこのレストランは、浮奇のお気に入りの店の一つ。
「ここ、最近できたばっかりなんだけど雰囲気がいいし料理もワインも美味しくてお気に入りなんだ」
そう言ってファルガーとディナーに来た浮奇は、いつもは見ない好みの顔したウエイトレスが料理やらアルコールやらを運んでくれ上機嫌だった。
店内にゆったり流れるピアノの旋律と共に小さく鼻歌を歌う浮奇を真っ直ぐ捉えることができないファルガーは内心チクチクとした感覚に襲われながらも表情には出さず食事を進めた。
ふたりのシルバーの金属音が妙に緊張感をもたせ、浮奇はなにやら空気が重いような気がした。
「ふーふーちゃん、料理美味しくない?」
「そんなことはないさ。浮奇のすすめなだけあってどれも美味しいぞ」
料理はもちろん美味しい、店内の雰囲気もなかなかいいな、ファルガーは自分の口に料理を運ぶ手を止めない。
「ほんとう?ならいいけど、なにかあった?」
淡々と食べ進めるファルガーに少し違和感を覚えた浮奇は眉尻を少し下げファルガーを瞳にとらえた。
「いや。どうした浮奇?そんな心配そうな顔をして」
浮奇は困ったように口角を上げるファルガーに本人が"なんでもない"と言うのなら、と深く聞くことをやめた。
「そっか。ふーふーちゃんがそう言うなら俺の思い過ごしかな」
浮奇はそう言って喉元まで出かけていた言葉をアルコールで流し込んだ。
料理と浮奇が好きな赤ワインを楽しみ、ほどよく身体がふわりとした感覚に包まれたところでふたりは席を立った。
会計時にも浮奇が気に入っていたウエイトレスが対応し、浮奇はハーレムたちに話しかけるようないつもの艶のある声で挨拶を交わし合っていた。
そんな2人を尻目に会計を済ませたファルガーは浮奇の手を引き店を後にした。
店を出たふたりは手を繋いだまま歩幅を合わせ歩み進めた。手を繋いでいることが嬉しいのか浮奇はクスクス笑いながら「ねえふーふーちゃん?どうしたの?」と少し声音を弾ませファルガーに問いかけた。
その瞬間ファルガーは握っていたぬくもりをパッと離し浮奇を置いていくかのように先程と打って変わり足速に進んだ。
「まって、ねえふーふーちゃん!さっきからほんとうにどうしたの?!」
驚きながらも置いていかれまいと必死にファルガーの後を着いてくる浮奇は、久しぶりに履いたいつもより高さのあるヒールで足を絡ませ転倒しかけた。
ファルガーは浮奇が転びそうになるところを慌てて掴み身体をぎゅっと抱きしめ支えた。
「どうしてそんな辛そうな顔してるの……?おれ、何かしちゃった……?」
浮奇は瞳に涙を溜め、抱えてくれたファルガーの腕をギュッと掴んだ。
「浮奇は何も悪くないよ。危ないから足元ちゃんと見ろよ」
そう言ってファルガーは浮奇を立たせてやりまた歩き出した。
「やだ、ねえ、ふーふーちゃん、怒らないで。ごめんなさい。おれが何かしちゃったんだよね。直す、直すから、置いていかないで…っ!」
甘い色をした色違いの瞳からぽろぽろと涙をあふれさせ、先ほどより弱々しい足取りで跡をついてくる浮奇がどうしても気掛かりでファルガーは足を止めた。
「浮奇、置いていかないから。危ないからゆっくり帰ろう?」
ファルガーは先ほど離した自分より少しだけ小さな浮奇の手をもう一度握りしめた。
「うん……。取り乱してごめんね。ふーふーちゃんに置いていかれると思ったら、おれ、怖くて……」
浮奇はファルガーが握ってきた手を今度は離さないようにと力強く握り返した。
「なんでふーふーちゃんさっき冷たかったの?悪いところは直す努力をするから、嫌なとこがあったら言ってほしい……」
力なく話す浮奇に自分の方が歳上なのにしょうもない独占欲が顔をのぞかせたせいでかわいい恋人を泣かせてしまい、ファルガーは心底自分を馬鹿な奴だと思った。
「すまない。浮奇を困らせるつもりはなかったんだ。いつものことだし俺も気にしてないつもりだったんだが……」
歯切れ悪く話すファルガーに痺れを切らした浮奇は涙をいっぱいに溜めた瞳でファルガーを睨みつけた。
「ねえふーふーちゃん。ちゃんと話してくれないとわからないよ。おれはふーふーちゃんの言葉で聞きたい」
そう力強く話す浮奇に負け、ファルガーは深く息を吐き、わかったよ、と観念した。
「さっきのウエイトレス。浮奇の好みの雰囲気だっただろう。せっかく俺と食事をしていたのにそっちばかりを気にしてて、少し、その、妬いたんだ……」
語尾が弱々しくなりながらもファルガーが放った言葉たちはしっかり浮奇の耳に届き、浮奇は固まった。
「え、っと。ふーふーちゃん、嫉妬してくれてたの?」
「……そうだよ」
(どうしよう、あのふーふーちゃんが!嫉妬してくれてただなんて!)
思ってもみなかった言葉に浮奇は内心嬉しくなりながらも口角を上げないようゆっくりと言葉を落とした。
「ふーふーちゃんがまさか外で嫉妬してくれるなんて思わなかった。でも、おれだってふーふーちゃんに冷たくされて傷ついたんだよ?」
尻尾を垂れ下げまるで叱られた子犬のようにしょんぼりと肩を落とす浮奇にファルガーは心臓がギュッと締め付けられた。
「本当にすまなかった。浮奇のことになると冷静を装っていられないな」
申し訳なさそうに話すファルガーに浮奇はある提案をした。
「ううん。おれだってふーふーちゃんに嫌な思いをさせちゃったし。心配させるようなつもりはん全然なかったんだけど、これからはちゃんとふーふーちゃんの言葉で伝えてほしい。もちろんいつも一番はふーふーちゃんだからね。それだけは忘れないで」
仲直り、そう言って浮奇はファルガーの首に腕を回しちいさな街灯だけがひかりを落とす暗闇で唇を重ねた。