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    途綺*

    @7i7_u

    🐑🔮(🐑) / 画像投稿した作品はTwitter限定公開です

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    途綺*

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    🐑🔮//真珠貝の唄

    人魚姫パロ。※👟 の友情出演があります。※🐑の翻訳はTwitterで投稿していますが、見なくても楽しめます。

    #PsyBorg

    海底に住む人魚が陸に住む人間に恋をする、遥か昔から語り継がれる物語。好奇心旺盛な人間と人魚によって、いつしかその物語は人間と縁を切っても切れない存在である人魚の世界にも広まっていた。人間の世界のそれとは、少し話の尾鰭を変えて。



    「ねぇ、お願い!」
    「やだってば」

    海底深くにある煌びやかな世界で生まれ育った浮奇もまた、人間の世界に憧れる人魚だ。もう何十回も断られているにも関わらず、諦めの悪い浮奇は今日も人魚の魔法使いであるシュウの元へ通っていた。

    「シュウもほんとしつこいよね」
    「浮奇が言えたことじゃないよ、これで何回目だと思ってるの」
    「十五回くらい?」
    「三十二回目だよ」

    わざわざ数えていたことに笑い出す浮奇を横目に、シュウは溜息を吐いた。作業場に篭りがちなのをいいことに二日と間を空けずに通ってくるこの人魚は、小さい頃から知っていることもありシュウにとっては弟的な存在である。

    「だって、人間の世界に行きたいことの何が悪いの?古い御伽噺なんか気にしてバカみたい。あんなの子供騙しのための妄想だよ。最後は王子様に食べられて骨だけ戻ってくるなんて嘘ばっかり。でも、本当に食べられちゃうとしても好きな人になら別に構わないもん。そういうもんでしょ、だって彼らにとって俺たちは半分食材なんだから」
    「...怖がってたくせに」
    「子供の頃の話でしょ!シュウだって本当じゃ無いって分かってる癖に。俺に説教をする奴らは揃いも揃ってそれを信じて、食べられるから危険だとか言うんだよ。あいつらバカなんじゃないの」
    「浮奇」

    やけに真剣な声で咎められて、浮奇は顔を逸らしながら黙った。

    「分かってるでしょ。僕だけは、簡単には許せないんだよ」

    浮奇が黙って浜辺に何度も近づいていることも、そこで複数の人間に姿を見られたことがあることも知っている癖に、シュウは頑なに浮奇に魔法を掛けようとはしてくれない。それは魔法使いであり人間になれる薬を作り出すことができるシュウが、何度も警告してくれている他の人魚の話に全く聞く耳を持たない浮奇を止める最後の砦であるからだ。

    「じゃあ、シュウが魔法をくれないならこのまま陸に上がる。そのまま食材になったらシュウのせいだからね、骨だけ返ってきてもいいんでしょ!死んだらこの部屋に化けて出てやる!」
    「浮奇はどうしてそこまでして陸に上がりたいの?」

    物語だ空想だと言いながら脅し文句に使うとは支離滅裂なことに気付いているのかいないのか、鰭を返して部屋を出ようとしていた浮奇に大鍋をかき混ぜる手を止めたシュウが問いかけた。浮奇は背を向けたまま、振り向かない。

    「...会いたい人がいるから」

    酷くシンプルな理由を震えた声で告げる浮奇に、シュウは眉根を寄せる。

    「浮奇、もしかして人間と言葉を交わしたの」
    「だったら何?」
    「...聞かせて、その話」

    初めてシュウが興味を持ったことを不審に思いながら浮奇が振り返る。シュウは怪訝そうな浮奇の表情に苦笑しながら、テーブルをコツリと叩いて座るように示した。



    「俺がなんでいつもショールを着るか知ってる?」

    浮奇からの問い掛けにシュウは首を傾げる。浮奇が小さい頃から可愛いものや煌びやかなものを好んでいたのは知っているが、ファッションに疎いシュウは特にそれを気に留めたことは無い。言われてみれば、ほとんどが上裸で過ごす男体の人魚にしては珍しく、浮奇は常にひらひらと波に揺れるショールを羽織っていた。

    「知らない、おしゃれかと思ってた」
    「これ見て」

    くるりとシュウに背を向けた浮奇がショールを肩から降ろす。顕になったものに、シュウは息を飲んだ。両方の肩甲骨の間あたりにシュウの手のひらほどの大きな傷があった。塞がってはいるものの、碌に傷口の手当をしなかったのか肌の色が変わったそこは酷く痛々しい。

    「俺が会いたいのは、俺を助けてくれた命の恩人だよ。あの日はやけにピリピリしてたサメに追いかけ回されちゃって、浅瀬の岩場に迷い込んだ。どうにか逃げ切ったんだけど岩肌に背中を擦っちゃって、痛くて動けなかったとこに彼が来たの。血が止まるまで手当をしてくれて、よく分かんない布を巻いてくれた。それから俺を見かけるたびに背中を見てくるから、俺のことを覚えてて心配してくれてるんだと思う。俺にはこの傷が見えないし手も届かないから手当はできないし、人間の話なんてしようもんなら皆がうるさいのは分かってるからショールで隠してる」
    「...そういう傷を治す目的でなら、僕だって歓迎したのに」
    「だって、どこで怪我したのとか聞くでしょ。シュウだって人間の話したらうるさいじゃん」

    否定はできず黙り込むシュウを横目に、浮奇はショールを戻しながら話を続けた。

    「言葉が通じないから感謝も伝えられないし、彼の言葉が分からない。皆が褒めてくれる俺の声だって、陸ではイルカが鳴いてるような声にしかならない。会いたいのに俺に足が無いせいで彼が来るのを待つことしかできない。こんなの地獄だよ。だったら陸で彼をずっと待って干からびた方がマシ」

    話を終えた浮奇がシュウを見ると、顎に手を当てて何か考え込んでいるようだった。考え始めると長いシュウの言葉を待つ間、浮奇は部屋を見回す。シュウの性格を表すように整然と並んだ薬品と難しそうなタイトルの本が並ぶ棚を眺める。浮奇が飽きてきた頃、ようやくシュウが口を開いた。

    「...三日後に、此処に来て。浮奇の願いが叶うものを作るから」

    目を見開いて数秒固まる。やっとシュウの言葉を理解した浮奇は、花が開くような笑顔で勢いよく抱きついた。



    『強い薬は大きな対価を必要とするからあげられないことは理解して。僕は浮奇を失いたくは無いからね。この薬を海の中で飲んで地上に上がれば、鰭を足に変えてくれる。効果は一度きりだけど、これで彼に会いに行ける。身の危険を感じたらすぐに海に飛び込んで。全身に水を浴びれば人魚に戻れるから。』

    彼に初めて会った場所であるいつもの岩場に座って、決して美味しいとは言えないそれを飲み込んだ浮奇は、遠のく意識の中で彼の姿を思い出していた。



    「Hvem er der」

    遠くから聞こえてくる声に目を開ける。岩に手をついて上半身を起こした浮奇は、視界の端に映る肌色にぼんやりと目をやって叫びかけたのを寸でのところで噛み殺した。普段は鱗に覆われてる鰭に変わって、人間の足がある。ずるように足を引き寄せて触れてみる。腹へ触れた時と同じような感触に思わず嬉しさに声を上げた。

    「Hej, er du okay」

    聞き慣れた声に顔を挙げると、そこには会いたくてやまなかった彼がいた。銀色の髪が陽に当たってキラキラと輝いて、軽く首を傾げながら灰色の瞳でこちらを見詰めてくる彼はさながら王子のようだ。

    「Hvad laver du herHvor er dit tøj」

    見惚れている浮奇をよそに上着を脱いだ彼が、それを浮奇の足に掛ける。じっと見詰める浮奇に照れたのか、苦笑した彼が赤い手で浮奇の頭を撫でてくる。優しい手付きが心地良く、ようやく跳ね続けていた心臓が落ち着きを取り戻していた。

    「Jeg ved ikke, hvorfor du er menneske, men er der noget, du gerne vil」

    冷静になった頭が彼の発する音を聞き取って、混乱していたせいで理解できなかったと思っていた彼の言葉が、いつも通り耳に届いていることに気付く。

    「え、待って、彼の言葉は分からないままってこと?」

    思わず呟いた言葉は、陸の上にも関わらず海の中と同じように響く。咄嗟に目の前の彼を見たが優しげな眼差しで首を傾げられて、浮奇の言葉も通じていないのを実感した。

    「Sproget er stadig havfrue.Forstår du mit sprog」
    「ねぇ、マジで全然分かんない...」

    せっかく足を手に入れたのに言葉が通じないのでは伝えたいことも伝えられない。浮奇は涙目になりながらシュウを恨んだ。浮奇の望むままに人間の足を手に入れて言葉を通じるようにするには「対価」が大きいことを懸念した、シュウなりの優しさなのだろうことは分かるがいかんせん心がついていかない。

    「Det er svært, når man ikke taler sproget.Jeg er nødt til at tage tøj på. Kom hjem til mig.」

    赤くて硬い指先が浮奇の前髪を宥めるように梳き、目元に浮かんだ涙を拭ってこちらを伺うような視線を向けられる。何を求められているのかすら分からず、浮奇は半ばやけくそになりながら赤い金属がついた首へと両腕を回した。

    「もう、なんでもいいから好きにしてぇ」



    浮奇の背中と足の半分くらいにある関節の下へ手を入れた彼は、軽々と浮奇を持ち上げた。お姫様抱っこだと理解すれば途端に顔を赤くする浮奇に、彼が笑いながら言葉を溢す。そうして彼の腕の中で揺られたまま到着したのは一軒家だった。

    「ここがあなたの家?」

    鍵を掛けていないらしく器用にドアノブを捻ってから肩でドアを押し開ける彼に、浮奇が手を伸ばして手伝う。浮奇の行動にびっくりしたらしい彼は、ドアをくぐるなり浮奇へ言葉を掛けた。

    「Tak skal du have.」
    「たっ、...たっくす...?」

    タイミング的には感謝を言われたのだと気付き、覚えようと小さく声にしてみたがやはり難しい。浮奇の様子にくすくすと笑った彼はそのまま優しくベッドへと浮奇を降ろす。

    「Lad os tage tøj på først.Gad vide, om der var noget tøj, du kunne have taget på.」

    部屋の奥にあるクローゼットを開けて唸っていた彼は、やがて大小の布を三枚ほど持ってきて浮奇に渡した。

    「...これ、何?」

    浮奇の住む人魚の世界ではおしゃれのためにショールのような布を纏うことはあれど、身体全体を隠すような服を着ることは無い。彼が渡してきた布は全て筒状になっており穴が二つも三つも空いているものばかりで、纏うには向いていない気がする。浮奇は布を引っ繰り返してみたり引っ張ってみたりした後に、途方に暮れて彼を見た。

    「Okay, havfruer har ikke tøj på.Lån mig den.」
    「へ?なに?」

    何か納得したような顔をした彼が手を伸ばしてくるので、その赤い手のひらへ自分の手を乗せると目を丸くした後に彼は爆笑し始めた。何か変なことをしたのだろうかと戸惑っていれば、まだ笑ったままの彼が浮奇の持った布を指差してから持ち上げる。

    「あ、これを渡してってことだったの!?」

    ようやく理解した浮奇は、自分の勘違いに羞恥で顔を赤くした。あまりの恥ずかしさに海底の深い洞窟に篭りたいと思ったが、水に濡れれば浮奇は人魚に戻ってしまう。

    悶々とする浮奇をよそに布を取り上げた彼は、腕を叩いて浮奇の視線を向けさせると肘を伸ばすよう身振りで指示した。浮奇が両腕をまっすぐに伸ばすと、彼が布にあった穴をそれぞれの腕へ通す。そのまま大人しくしていれば頭も穴に通されて、上半身が布に包まれた。浮奇が感心していると、今度は足をそっと掴まれる。足の動かし方はよく分からないためされるがままに任せていると、彼は手早く片方ずつ穴に通して、丈が短い布と長い布の両方を浮奇の足に纏わせた。肌に布が触れる感覚をむず痒く感じていると、彼が浮奇の身体を傾けて足に纏わせた布を腰の位置まで引き上げる。反対も同じように引き上げられれば、満足そうに頷いてくしゃりと浮奇の髪を撫でた。

    「Vidunderligt」
    「すごい、人間って大変だね」

    手招きをする彼に従って動こうとしてベッドに手を付いて、思ったよりも身体が前にいかずにつんのめりそうになった浮奇は咄嗟に伸ばされた彼の腕に抱き留められる。

    「...くそ、人間ってこんなに動きにくいの?」

    思わず暴言を吐いて眉根を寄せれば、足の半分にある関節の下へ赤い腕が入り込み、両足をベッドの下へと降ろされる。脇の下へと戻ってきた腕が浮奇の身体を持ち上げたせいで、浮奇は自然と足裏を地面に付ける羽目になった。

    「Her, rejs dig op.」
    「なっ、え、うわ!」

    腕以外で体重を支える経験をしたことがない浮奇が反射的に足を突っ張り、前にいた彼の胸へと倒れ込む。何がしたいのか分からずに困惑しながら彼を見上げれば、予想に反して彼はやけに楽しそうな顔で浮奇を見詰めていた。

    「Lad os øve os i at gå.」

    首を傾げられたことで何かを問い掛けられているのは分かったが、内容は分からず浮奇も首を傾げる。柔らかく苦笑した彼は、抱き止めた浮奇の身体を一度ベッドへ戻した。

    「なにするの?」

    されるままの浮奇の足元へしゃがみ込んだ彼が、浮奇の足先の関節を優しく掴んで足裏をしっかりと地面に付ける。何か硬いものを触った時のような感覚が下の方からする違和感に、浮奇は息を詰めた。足の真ん中を折って地面に付いた彼が、自分の肩をトントンと叩き浮奇の腕を誘導する。恐る恐る硬いそこに手を置けば、次の瞬間に尻を持ち上げられて浮奇は驚きに悲鳴を上げた。

    「待っ、ちょ、むりむり」

    体重を掛ける概念もない脳みそがやはり突っ張る方向を選んで、彼の向こう側へ倒れそうになったのを分かっていたかのように肩に担ぎ上げられる。再びベッドへ戻された浮奇は、何が面白いのか笑い声を上げる彼へもげそうな勢いで首を横に振った。

    「むり!できない!」

    人間になりたいだなんて言わなければよかったと後悔し始める程度には心が折れて、思わず瞳が潤む。やっぱり人魚は人間にとってはただの食材で、人間になった人魚が珍しくて遊ばれているのかと疑いたくなった。ひとしきり笑ったらしい彼が伸ばした腕に警戒していれば、海で抱き上げられた時のように優しく目元を指先に拭われる。

    「Her, græd ikke.Kom her.Lad os få noget varm suppe.」

    宥めるように頭を撫でられて優しい声音で甘やかされて、いとも簡単に絆された浮奇は彼の腕に抗わず、歩かせることを諦めたらしい彼が抱き上げてくるのに身を任せた。



    「Drik dette,lad os falde lidt til ro.」

    椅子へと座らされた浮奇の目の前に、カップが置かれる。自分にも同じものを準備した彼が隣に座るのを見届けて、同じようにカップを持ち上げようとして指先に痛みを感じた浮奇は飛び上がった。

    「!?」

    驚く浮奇に驚いた彼もまた隣で固まっていて、思わず視線を向ければ彼がハッとしたように立ち上がる。

    「Der er ingen varm suppe i havet」

    何やら騒いでいるのは分かったが何を言っているのか分からない浮奇は、慌ただしくどこかへ行った彼を横目にカップをもう一度覗き込む。真上に手をかざすと熱を感じて、浮奇はようやく理解した。

    「痛いんじゃなくて、熱かったんだ」

    まだ小さい頃にシュウと海底探検をした際に見つけた噴出孔を思い出す。温かな水を吹き出すそこは浮奇のお気に入りであったが、時に高温すぎることがあるからとあまり近づかせては貰えなかった。それでも好奇心旺盛な浮奇が目を盗んで近づこうとするため、あまり温度が高いと痛く感じるし肌を怪我するのだとシュウに真面目な顔で言われたのを覚えている。

    「...ちょっとだけなら」

    子供の頃に満たせなかった好奇心とは時に大人になってからも顔を出すことがあるもので、浮奇はカップの水面へと指先を近づけた。水面に近づくにつれて湿っぽさを増すのが面白くて、何度か上下させて遊んでいた浮奇がついに指先を水面に触れさせた瞬間、

    「Hej」

    手首を掴まれて顔を上げると、彼が別のコップを持って立っていた。

    「...ごめんなさい?」

    あまりに真剣な眼差しがシュウと被って見えて謝るが、言葉が通じないことを遅れて思い出す。浮奇の指先を確認した彼はホッと息を吐いて、手に持っていたカップを掴んでいた浮奇の手に持たせた。

    「Koldt vand.Er det okay」

    渡されたカップは海水を思い出す冷たさで、少し傾けて舌で舐めた浮奇は彼の顔を見て頷き、大丈夫であることを伝える。安心したような顔で隣に座り直した彼は浮奇と同じようにカップを傾けた。

    飲み物をもらったことで少し落ち着いた浮奇は、柔らかな日差しを受けて煌めく銀髪と赤い腕を見詰める。浮奇が知る他の人間は顔と同じ色の腕をしていたが彼は違う。一度シュウに人間の腕は金属のように硬いのか尋ねたことがあるがどうやら人魚の腕と同じらしく、赤く硬い腕を持つのは特別なのだろうと思っていた。カップを持っているのと反対の手に触れると彼が首を傾げる。金属の硬い部分は爪を立ててつつくと音がするのに対して、繋ぎ目はゴムっぽく柔らかい感触がする。熱くも冷たくもない腕は、けれど優しくて温かいのだと今日知った。

    「Hvordan blev du menneske」

    不意に彼から言葉を向けられて、浮奇は顔を上げる。身振り手振りで伝えようとしている彼が、指先をゆらゆらと波立たせたり、空中に文字を描いてみたり、テーブルの上に二本の指を下向きに立てて交互に前に出したりするのを眺めた浮奇は、こてりと首を横に倒した。

    「んー、よく分かんないけど可愛い」

    彼が何を表現したいのか伝わらないが、一生懸命に伝えようとしてくる仕草が可愛くて、疑問を示すように腕を広げて首を傾げていた彼に抱き着く。言葉が通じないのはあまりにも不便だし当初の目的が何も果たせていないのは問題だが、命の恩人である彼が優しくて温かくて面白くて一生懸命な人なのだと知れただけでも浮奇には十分だった。唐突に抱き着かれた彼は呆れたような顔をしながらも、ちゃんと浮奇を抱きしめ返してくれた。



    「すごい、本がたくさん...」

    お互いにカップの中身を飲み干した後で何かを思いついたらしい彼に抱き上げられて、浮奇は彼の部屋らしき場所に連れて行かれた。やや乱雑な部屋は彼がよく使っている場所のようで、そこら中に紙や本が置いてある。ふわふわのクッションの上に降ろされた浮奇の前に、紙とペンを持ってきた彼が座り込む。

    「Fulgur, det her er mit navn.」

    キャップを開けて何やら文字を書いた彼が、文字と自分の鼻を交互に指さす。

    「もしかして、名前?」

    なんとなく意味を取った浮奇は、彼が書いた文字を指差してトントンと示した。

    「Fulgur」
    「ふぉ、ふぁが...?」

    彼の音を真似して発音すると、目の前の彼が目を見開いて固まっている。その様子に、言葉が通じないだけだと思っていた浮奇は、彼にはいつも通りイルカの鳴き声のような声に聞こえていたことを悟って、頭を抱えたくなった。あの高い声でキュイキュイ鳴いているだけに聞こえていたのだとしたら、さぞ煩かっただろう。

    「Lidt anderledes.Fulgur」
    「ふぁうぐ」

    どうしたらそんな音が出るのか分からない浮奇は、発音の難しさに眉根を寄せた。

    「Det er svært.Hva med Fu-chanSig detr, Fuu」
    「...ふぅー」

    大袈裟に口を窄めた彼の発音に習って真似すれば、笑顔になった彼にくしゃりと髪を掻き混ぜられた。

    「Godt klaret」

    どうやら褒めてくれていることは分かって、浮奇も思わず笑った。彼が喜んでくれるのが嬉しくて「ふぅふぅー」と名前を呼ぶたびに頭を撫でられる。自分の名前も呼んでほしくて、浮奇は彼に倣って自分の鼻を指差しながら名前を口にした。

    「うき、うき」
    「Er det dit navn...Uki」
    「うき!ふぅふー!」

    彼に名前を呼ばれたのが嬉しくて体重を掛けて抱き付けばぎゅっと抱き返されて、胸に滲む温かな感情に泣きそうになった。



    「Skal du ikke hjem i dagHar du stadig lyst til at blive her」

    陽が傾きかけてきた窓を彼が指差して何かを問い掛けられる。名前を理解できたせいかやり取りを重ねたせいか、なんとなく彼の言いたいことが伝わって、浮奇は彼の腕にしがみつく力を強めた。帰らないのか、と問われたような気がしたから。

    「Vi vil ikke tvinge dig ud.Med ro i sindet.Har du lyst til at se huset indefraDer er ikke noget her, men...」

    抱き上げようとしてくる手から逃げようとした浮奇に、彼は指先で床をトントンと示してから円を描いた。

    「...ここにまだいていいの?」

    最低限、追い出されるわけでは無さそうなのを理解して頷けば、今度こそ抱き上げられる。お姫様抱っこではなく彼の胸へと身体を預けて赤い片腕の上に尻を乗せる形にされて、やや不安定な体勢に不安げにしていたことに気付いた彼が、浮奇の片腕を取って自分の首元へと回させた。

    「君ってモテそうだよね」

    こういう時ばかりは、言葉が通じなくてよかったとも思う。



    彼は浮奇を腕に抱いたままで、家中を歩き回った。最初に服を着せられたベッドルームに、陽当たりがよくふかふかそうなソファが置かれた部屋、ガタガタした箱が積み重なった先に昇って大きなベッドが置いてある部屋を回る。シュウが使うのよりも随分小さく浅い鍋や皿が置かれた部屋でナイフを見つけた浮奇が、ふと抱き着く腕を強めたので彼は不思議そうに首を傾げていた。




    最後に回ってきたのは、浮奇が余裕で入ってしまいそうなほどに大きくて広い鍋のような物が置かれた部屋だった。

    「Dette er et bad.Har du lyst til at tage et bad senere」
    「なに...や、やっぱり食べるの?」

    人間は食材を切るだけではなくて、熱い水に浸したり燃やして火傷させて調理するのだと聞いたことを思い出して、顔を引き攣らせる。腕の中の浮奇が青ざめて小さく震えていることに気付いて不審がった彼が顔を覗き込んできた。

    「Uki,Er du okay」

    こちらへ視線を合わせる彼の瞳には敵意も殺意も見えなくて、浮奇は少しだけ落ち着いた。こんな優しい人間が食べようとするわけがない。そもそも今の自分は人間の姿なのだから、食べる部分だってないだろう。

    「ふぅふぅ」
    「Uki」

    思わず名前を呼べば同じように返されて、浮奇は額を彼に擦り付けた。

    「Er du trætLad os gå tilbage til stuen.」

    背中をトントンと優しく叩いてから部屋を出ようとドアを開けるのを、浮奇も手を伸ばして手伝う。言葉がなくても通じ合えることにぽかぽかと胸を躍らせたその時、浮奇を抱いたままだった彼の足がふらついてバランスを崩す。咄嗟に浮奇を庇おうと抱き込んだせいで、彼の肩が音を立てて壁にぶつかった。

    「ふぅふぅ!」

    浮奇が心配して声を上げた瞬間に頭から何かが降ってきて、眩しい光に浮奇も彼も目を瞑る。



    「え...」

    目を開けると視界に入ったのは見慣れた尾鰭。状況を理解できず固まっていると、閉じていた目を開いた彼と視線が合う。

    「うき、大丈夫か?」

    心配そうに問い掛けられて頷きを返す。次いで彼の視線が浮奇の尾鰭へと注がれて、浮奇は視線を遠くへ向けながら尾鰭を揺らした。人魚であることは分かっていると思ってはいたが、こんなに早く戻るつもりではなかった浮奇は肩を落とす。

    「お前、本当に人魚だったのか」
    「そうだよ。あーあ、せっかく魔法の薬を作ってもらったのに。効果は一度きりって言ってたからまだ君といたかった。これじゃ戻らなきゃじゃん...くそ、最悪」

    投げやりに本音を溢しながら答える。不意に彼が手を伸ばして壁のボタンを押すと、頭の上から降っていた水が止んだ。どうやら彼の肩がぶつかったはずみで、水が流れるボタンを押してしまったらしい。

    「薬って人間になるために?人魚にはそんな薬を作ることが可能なのか?」
    「うん、彼が作る薬は一級品だからね。効果はバッチリだよ」
    「まるで物語みたいだな」
    「...人間の世界にも、人魚の話があるの?」

    彼の言葉に浮奇は首を傾げた。人魚の世界にある物語だと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

    「人間の世界にも、人魚の話はあるぞ。人間の王子様に会うために、人魚のお姫様が魔法で人間になって陸に上がるんだ」
    「じゃあ、やっぱり君は俺を食べちゃうの?」
    「なんの話だ。...というか、うき。俺の言葉が分かるのか?」

    彼の問いかけに浮奇は黙り込んだ。確かに、そういえば──

    「「通じてる!?」」

    重なった声が部屋に響く。ようやく状況を理解した二人は言葉にならず、魚のように口をぱくぱくと動かした。もっとも、片方は半分が魚だが。

    「驚いたな...人魚に戻ったせいなのか」
    「そうかも知れない。うぅ、どうせなら人間のままでふぅふぅと話したかった」
    「せっかく言葉が通じるんだから、これから話せばいいだろう?」

    唸る浮奇の頭を撫でた彼が不意に立ち上がって、曲がった管の栓を回して大きな鍋に水を入れ始める。

    「待ってろ、水を貯めるから。そのままじゃ干からびるだろ」

    彼の行動に気を取られた浮奇は、自分が入るほどの鍋に水を貯めるとなればすることはひとつだろうと、尾鰭を床に叩きつけながら彼と距離を取るために身体を縮こまらせた。

    「熱い水に浸すんでしょ、やっぱり食べるんだ!」
    「はぁ!?」

    騒ぎ立てる浮奇に心底驚いた顔をする彼に、浮奇は首を傾げる。

    「食べないの?」
    「お前をか?食べるわけないだろ!」
    「あ、そうなの」

    やはり人魚の世界に広まる話はただのお伽噺で、子供を怖がらせるための嘘だったのだと理解して、浮奇はホッとした。大口を叩いておきながら、子供の頃から聞いてきた話なだけに内心は食べられたらどうしようかと思っているなんて、シュウには言えなかったのだ。

    「どこで聞いたんだ、そんな話。人魚を食べる人間なんて聞いたことないぞ」
    「人魚の世界にはね、人間に会いに行って食べられて骨だけ海に帰ってくるっていう子供騙しの話があって」
    「...子供騙し、ね」

    浮奇と会話をしながら何やらふわふわとした布を持ってきた彼は、部屋の床に敷いてその上に座り込む。

    「おいで、床は痛いだろう。俺はお前を食べないし、すぐに追い出したりしないから安心していい」

    彼の言葉に、部屋を回る前に帰らされるのかと不安になっていたことを見透かされていたことに気付いて、浮奇は熱いものが込み上げるのを誤魔化すように尾鰭を波打たせた。鰭では地面を動けないため無言のままで彼へと両手を伸ばせば、慣れたように抱き上げられて彼の足の上で横向きに抱えられる。

    「うきの話も聞かせてくれ。どうして、人間になりたかったんだ?」
    「ふぅふぅ、俺のこと覚えてない?」

    浮奇は背中を見せようとして、彼に布を纏わされたことを思い出した。

    「これ、取って」
    「ん?あぁ、腕を上げて」

    布の下の方を引っ張って示せば両腕を上に持ち上げられて、素直に従えば布が頭の方から引き抜かれる。一緒に持ち上がってしまった髪を手櫛で直してくれた彼が、不意に浮奇の背中を覗き込んだ。

    「痕が残ってるな。ちゃんと手入れしなかったんだろう」
    「...その傷が、俺がここに来た理由だよ」

    指先で傷をなぞっていた彼が、浮奇の言葉に首を傾げる。

    「俺は、あなたにお礼を言いたくて来たの」

    浮奇は真っ直ぐに彼を見詰めた。正確にどれほどの日数が経っているのかは分からないが、やっとこの機会を手に入れたのだ。言葉も、住む世界も越えて。

    「あの日ふぅふぅが助けてくれたこと、俺は忘れない。だけど俺は人魚で、ふぅふぅは人間。ふぅふぅは俺を見つける度に背中を気にしてくれたのに、言葉が違うからお礼を言えなくて、俺に足がないから会いに行くこともできない。会いたかったの、ふぅふぅに。貴方に、会いに来たの」

    ようやく彼に伝えられたことに安堵して、今日直接触れた彼のたくさんの優しさを思い出して、胸がいっぱいになりながら言葉を伝えた。浮奇を抱えた彼が、赤い手を浮奇の頬にそっと添える。

    「...うきを海辺で見る度に、嬉しくなっていたのは俺も同じだ。今日この綺麗な瞳を間近で何度も見て、俺はあの日、お前に一目惚れしたんだって気付いたよ」

    溢された彼の心に触れて、浮奇は小さく涙を溢した。彼が拭う間もなく頬を滑り落ちたそれは、こつりと音を立てて床を転がる。驚く彼に微笑んで、浮奇は転がった涙を拾い上げた。

    「人魚の涙は、真珠になる。...愛する人を想う時だけ」

    強く抱き締められて優しく唇が重なる。額を合わせて覗き込んだ彼の瞳も、きらきらと潤んで輝いている。両腕を回した金属の付いた首を、だいすきを込めて甘噛みした。



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    途綺*

    DONE🔮🐑//貴方を護る星空の祈り

    少し疲れて夢見が悪くなった🐑の話。「君の知らない真夜中の攻防(https://poipiku.com/6922981/8317869.html)」の対になるイメージで書きましたが、未読でも単体で読めます。
    人間にはそれぞれ活動するのに適した時間帯があるのだと、ファルガーが教えてくれたのはいつのことだっただろう。朝が得意な人もいれば、夜の方が頭が働きやすい人もいる。だからそんなに気にすることはないと、頭を撫でてくれたのを覚えている。あぁそうだ、あれは二人で暮らし始めて一ヶ月が経った頃だった。お互いに二人で暮らすことには慣れてきたのに、全くもって彼と同じ生活リズムを送れないことを悩んでいた。今になって考えれば些細なことだと笑えるけれど、当時は酷く思い悩んで色んな人に相談して、見兼ねたファルガーが声を掛けて「心地よくいられること」をお互いに最優先に生活しようと決めたのだった。




    そんなやり取りから数ヶ月。いつも通り深夜に寝室へ向かった浮奇は、すっかり寝入っている愛おしいひとの隣へ潜り込もうとベッドへ近づいた。静かにマットレスへ膝を付いて起こしていないことを確認しようと向けた視線の先で、眉を顰めて時折呼吸を詰めるファルガーを捉える。
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